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美濃路を行く(U) 起〜熱田
美濃路を行く(T)からの続きです。まだの方はまず
そちらをご覧ください。(次をクリック) 美濃路(T)垂井〜起
起宿脇本陣の隣に尾西市歴史民俗資料館がある。
訪れたとき、「ぞうがきた」という特別展の展示物がまだ
残っていたので、学芸員の方から説明を受けた。
奧は江戸に向かう象の行列。 手前は象船とその上の仮小屋。 |
象船に乗った象。乗船後は仮小屋 のむしろが降ろされる。(左写真) |
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尾西市歴史民俗資料館には「船橋と象の通行書上」の資料があり、それを元に「ぞうがきた 〜四つの川の物語」という特別展が平成16年8月に企画された。享保13(1728)年、 ベトナムから長崎の港まできた象は江戸の将軍に献上するために、長崎から江戸まで旅をした。 5月2日に美濃路の垂井に到着、揖斐川、長良川、境川、木曽川の四つの川をどう渡すのか、 大変な問題だったが、象船を組んで1日で四つの川を渡ることができた。 |
まもなく街道の両側に大きな榎の老木が見える。冨田の一里塚である。
美濃路で両側に塚と榎が残るのはここ のみ。昭和12年、国の史跡指定。 |
木曽川から冨田の一里塚間については、次のページも
ご覧ください。 (次をクリック) 美濃路(1)
名神高速道路をくぐり抜けると、まもなく「孝子佐吾平遭難遺跡」である。
天保年間、播州明石の藩主が江戸への参勤途中、暴れ馬を取り押さえよう と行列の前を横切った萩原宿の馬方佐吾平が、先駆の武士に無礼打ちに なった。佐吾平は家は貧しかったが盲目の母によく仕え、孝子の誉れが 高く、人々は彼の死を悲しんだ。これを聞いた尾張藩は、以後、明石藩が 尾張藩領を通行するときは夜間に葬式の装いをしてのみの往来を許した。 |
日光川の萩原橋を渡ると、まもなく萩原宿であり、
本陣跡や問屋場跡の標柱が目につく。
名鉄尾西線、国道155号を過ぎてまもなく高木の一里塚である。
萩原宿本陣跡 |
萩原宿問屋場跡 |
高木の一里塚 |
稲葉宿に入り、古い家並みを見て歩く。本陣跡の碑は
美濃路から少しはずれたところに移設されていた。
美濃路から少しコースを離れ、国府宮神社に向かう。
国府宮神社は10kmコースのゴールである。
国府宮神社参道 |
国府宮神社一の鳥居(美濃路沿い) |
県道清洲尾西線を進み、JR東海道本線を過ぎるとすぐに
四ツ家追分の碑がある。そしてすぐに、丹羽盤桓子出生地の碑である。
美濃路と岐阜街道の分かれ道。 旅人が休むための茶屋が数軒あり、 「四ツ屋うどん」の評判が高かった。 |
安永2年(1773)〜天保11年(1840) 尾張藩の儒者。能書家。尾張藩主徳川 斉温の侍講。藩校明倫堂の教授を務める。 |
丹羽盤桓子の碑のある交差点を直角に右(南)に回る。
まもなく六角堂とも呼ばれる長光寺である。
長光寺は臨済宗妙心寺派の寺で、尾張六地蔵の一つである。境内の真ん中に建つ 地蔵堂が六角の円堂になっているため、六角堂と呼ばれるようになった。 平清盛の弟、頼盛が1161年に寄進し建てられた。その後、足利尊氏が 1338年に復興させ、織田氏や徳川氏の保護も受けた。 地蔵堂の中には重要文化財の「鉄造地蔵菩薩立像」が納められており、 この地蔵は、世の中に悪いことが起こる前になると全身に汗をふきだし、 人々に知らせるという言い伝えがあり、「汗かき地蔵」とも呼ばれている。 |
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北市場に美濃路公園が整備されている。
そして、門前に「国宝虚空蔵菩薩」の碑が立っている亀翁寺である。
訪れたとき、本堂を開けてもらい菩薩の写真を見せていただく。
また、ウォーク開催日にも開けていただくことをお願いしてくる。
亀翁寺(きおうじ)の創立は鎌倉時代と言われ、曹洞宗の尼僧寺である。ここに 安置されている「木造虚空蔵菩薩坐像」は,南北朝時代の寄木造で重要文化財に 指定されている。25年に一度ご開帳となる秘仏であり、本堂裏に宝物殿がある。 |
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東名阪自動車道のガードをくぐると清洲宿である。
清 洲 宿 本 陣 跡 建坪312坪を数え、美濃路最大の本陣。「本陣の松」として 2株の松が有名で、「高松館」とも呼ばれた。 |
ツーデーのコースとしては、清洲古城跡や清洲城に寄ることにする。
そのため、清洲宿は通らないことになってしまった。
清洲古城跡 JR新幹線、JR東海道本線 によって分断されてる。 |
清洲城模擬天守閣 五条川をはさんで清洲古城跡の対岸にあり、 郷土資料館として利用されている。 |
五条川を渡って右折し、道なりに3kmばかり進むと枇杷島橋である。
途中、正覚寺や瑞正寺、問屋記念館がある。
問屋記念館は20kmコースのゴールである。
正覚寺の仏足跡 |
瑞正寺の宝塔 |
正覚寺から問屋記念館については次のページも
ご覧ください。 (次をクリック) 庄内緑地と美濃路
庄内川にかかる枇杷島橋を渡り左折し、道なりに歩く。
堤防下にある旧枇杷島橋跡
そして、清音寺である。ここには哀しい娘の恋物語があり、
物語に由来する琵琶から枇杷島の地名になったといわれている。
榎権現、海福禅寺等を見ながら、国道22号を渡り、幅下公園に来ると
延命地蔵尊がある。こうした物も楽しみながら先に進む。
名古屋高速道路をくぐってからは、美濃路より一本西側の
四間道(しけみち)の方が見所があるということでそちらを通ることにする。
桜通に出て東に向けて歩き、本町からは人で混み合う道を一路南下する。
大須を通り抜け、国道22号をひたすら南下を続ける。
佐屋街道の道標を見たりしながら、断夫山(だんぷさん)古墳による。
そして30kmコースのゴール七里の渡し(宮の渡し公園)である。
宮の宿から桑名の宿へは、東海道唯一の海上路であり、 その距離にちなんで七里の渡しといわれた。宮の渡し公園は、 江戸時代に繁栄した船着場あとを整備した歴史公園である。 |
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時 の 鐘 |
常 夜 灯 |
寺さんのウォーク・トーク
●美濃路は愛知県ウォーキング協会や一宮歩こう会の例会などで、
部分的にはすでに何回も歩いている。
しかし、今回のように全ルートを通して歩くのは初めてである。
●今回歩くにあたって、本を読み地図も調べた。まだまだ知識不足で
あるが、歩くにこれだけ勉強したことは珍しく、よい機会となった。
●美濃路については詳しく、素晴らしいホームページが多いので、掲載を迷ったが、
ツーデーウォークのコース紹介と自分の記録として掲載することにした。
●ホームページ掲載に最初から迷いがあったせいか、中途半端になり、特に後半は
写真も少なく大きく省略してしまったのは、いささか不本意なところである。
●以前作成したもので参考になるページを途中で
示しましたが、次のものもご覧ください。
美濃路(2) 美濃路(4) 欄干(T) 欄干(U) 留蓋
●11月13・14日の美濃路ツーデーウォークには多くの人に参加していただき、
見所いっぱい、歴史いっぱいの美濃路をたっぷり楽しんでいただきたいと思う。
(平成16年10月5日作成)