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城北線沿線庄内緑地と美濃路
名古屋の北部を走る城北線沿線ウォークに参加するのは、
今年の4月に続いて2回目である。15年11月1日、
一宮歩こう会の面々が9時に小田井駅に集合、スタートする。
小田井駅をでるとまもなく星神社である。
星神社は庄内緑地を取り囲む庄内川堤防の直下にある。
川の近くに神社があるのは、川が氾濫するのは川の神様の怒りだと
考えられ、神様に祈りを捧げ、怒りを鎮めようとしたためと言われる。
星神社の星祭(七夕祭)は毎年7月7日(今は8月7日)に盛大に行われ、 1100年以上続いていると言われる。庄内川を天の川に見立て、 牽牛星と織女星を一緒に祀っている。庄内川の氾濫が七夕伝説を生んだ。 |
堤防を渡り、庄内緑地公園の中を歩く。庄内緑地公園は
「水と緑と太陽」をテーマに庄内川の遊水池を利用した約40haの公園。
公園にはコスモスが咲き乱れ、その向こうには名古屋高速道路(国道22号)の工事が進む。
堤防を離れ、西方寺に参拝する。以前は小田井城前にあったが、
小田井城築城に際し、現在の町屋に移ったという。
西 方 寺 鎌倉幕府の念仏者取り締まりのため、親鸞上人が 1235年、関東から帰京するおり、当寺院に寄り、 それ以後浄土真宗に改宗した。 |
お手植えの百合の碑 親鸞上人が江戸から持ってきたという百合が あり、その碑が立っていたが、今の時期どれが その百合かわからなかった。 |
西方寺を過ぎるとすぐに小田井城址である。
小田井城は、15世紀後半、小田井の織田久孝が築城、小牧長久手の戦いの後廃城となり、 現在は公園となっている。碑の背面には「織田敏定斯波氏ノ守護代トナリ 尾張下四郡ヲ管シ数世之レニ居リ後羽柴秀吉ノ為メニ遂ハレ廃城トナル」とある。 |
再び庄内川の堤防に上がり、下流に向けて歩く。
旧国道22号を渡ると美濃路にはいる。
何と入り口は大きな大根をかついだモニュメントである。
一大青果市場を表しているのである。
問屋記念館は、小田井の由緒ある問屋であった山田九左衛門 家を移築したもの。江戸時代の問屋の形態を今に残す文化財。 |
美濃路を歩いていくと、屋根神さまに出会う。屋根神さまは、尾張独特の
もので今は四間道にまだみられるが、この美濃路では2軒のみであった。
なぜ屋根の上かというと、昔の人々の多くが長屋住まいで
社を建てる土地がなかったことによる生活の知恵と言われている。
次は瑞正寺である。日本一の宝塔があるという案内に寄ってみる。
門をくぐると高さ4.3mほどの「南無妙法蓮華経」と記した大宝塔が目につく。
一里塚の碑も建てられている。
長谷院(多宝塔)で昼食を取った後、正覚寺に参拝する。
正 覚 寺 初めは駿河の国にあったが、慶長15年 (1610年)徳川家康の命によって、名古屋に移し、 松平忠吉の菩提寺とした。 |
正覚寺境内にある仏群 |
仏 足 跡 お釈迦様の足跡を刻んだ石。全国に65 カ所あるといわれ、薬師寺のものは国宝。 |
外町一里塚道標 1945年頃、元一里塚のあった 用水を改修したところ川の中から 道標が掘り起こされ、正覚寺 門前に据え置かれた。 |
そして、11km、3時間半ばかりのウォークを終え、
キリンビール・キリンビアパーク名古屋に着く。
工場見学の後、しこたま試飲のビールをいただく。
寺さんのウォーク・トーク
◎庄内緑地と言い、美濃路と言い、もう何回も来たところであるが、
何と知らないことが多いのか、呆れるばかりである。
◎尾張は3英傑関連始め史跡の多いところである。何回来ても
新しい発見があり楽しむことができる、嬉しいことである。
◎正覚寺の足跡の碑について、説明を書こうにも手持ちの
資料ではさっぱりわからない。正覚寺の電話番号を調べて、
直接聞くと、「仏足跡」と丁寧に教えていただいた。
その他いろいろ聞くことができて、HPを作っている効果を
まざまざと感じた。HPを作っていなければ
電話で聞くこともなかったと思う。
◎今回歩いて、案内標識が非常に整備されてきたことを感じた。
地域活性化が図られているのだろうか。