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 私のホ−ムページ「ウォーク」のページを見てもらうと、滋賀県の紹介が非常に多くなっている。ウォーク愛好者の私にとって滋賀県は非常に良いところである。東海道本線(愛称・琵琶湖線)や北陸本線から少し歩けば、山あり海(湖)あり歴史ありである。愛知県人でありながら滋賀県ウォーキング協会の会員になっているのもその魅力に惹かれてである。
 そして、今年(平成14年)も8月4日の高月観音まつりにも参加し、その状況をホームページに掲載できた。高月観音まつりは高月町21社寺の観音様を一斉に無料公開しているものである。滋賀県ウォーキング協会では毎年この日に例会を組み、3年で21社寺を拝観できるように計画されている。そして、私のホームページでも不十分ながら今年で一渡り紹介することができた。
 平成11年6月に「湖北の物語」と題して駄文をしたためたが、この文は私にとって印象に残る駄文の一つである。上手に書けたということではなく、小説とウォークが私の中でうまく結びついからである。いささか古い文章ではあるが、高月観音まつりを一渡り掲載できたこともあってここに紹介し、ウォークのページの理解に役立てていただこうと思う。


 湖 北 の 物 語

 「・・・村の娘さんの姿をお借りになって、ここに現れていらっしゃるのではないか。素朴で、優しくて、ほれぼれするような魅力をお持ちになっていらっしゃる。笑いを含んでいるように見える口許から、下脹れの頬のあたりにかけては、殊に美しい。・・・・」
 これは私がつい先ごろ読んだ、井上靖の「星と祭」という小説に出てくる、木ノ本町石道寺(しゃくどうじ)の十一面観音さまに対する主人公架山の感想である。この小説には琵琶湖周辺の十一面観音さまが主人公の感想と共に多数紹介されている。まず最も有名な国宝の渡岸寺の観音さま、そして、鶏足寺、充満寺,赤後寺、知善院、善隆寺、宗正寺、医王寺、長命寺、福林寺・・・・等々。琵琶湖周辺には十一面観音が国家の指定を受けているものだけでも42体、それ以外のものになると何体あるか分からないと言う(注・昭和46年当時のこと)。それも湖北(琵琶湖の北部地方)に多いという。


 この小説は架山、大三浦という60歳前後の二人の人物を中心に転回し、架山は17才の娘を、大三浦は21才の息子を、琵琶湖において、同じボートに乗って失っている。親はまだ相手の子供を知らない。たまたま二人でびわ町南浜からボートで琵琶湖に漕ぎ出して、突風の犠牲になったのである。死体はいつになっても上がらない。架山は娘の死を運命と考えたり、娘の霊と対話することやヒマラヤへ月を見に出かけたりして、悲しみから抜け出そうとするが、なかなか娘の死にたいする哀しみは消えない。大三浦の方はただひたすらに悲しむ。しかし悲しむうちに十一面観音さまが二人を守っていてくださると思うようになる。そしてそのお礼に観音さま巡りが始まる。架山も大三浦と会ううち知らず知らずに観音さま巡りに引き込まれていく。この小説は次々事件が起こるというものではなく、二人の老人の心の変遷を描いたものである。そして、この作者は一人の人間の死はその周囲の人にとっては大変なことであること、また、死を軽く取り扱わないこと、裏返して言えば、生に対して手厚くあるべきことを知って欲しいと願っているのである。

 この小説を読もうとしたきっかけは、時折一緒に歩くびわ町のTさんから「湖北の観音さまを有名にしたのは井上靖の小説ですよ」と聞いていたからである。私もすでに渡岸寺の観音さまを始め赤後寺、赤分寺、己高山観音寺、その他いくつかの十一面観音像を見ている。そして、この6月13日にも鶏足寺や石道寺へ行くことになっていたこともあって、急に思い立って読むことにした。十一面観音は奈良中期頃から作られ、本面の上に10ないし11の面を持つところからきている。11面の配置は正面3面が慈悲、向かって左側3面が憤怒、向かって右側3面が牙をむき、後背1面は大笑、そして頂上が仏果を示す阿弥陀仏面ということになっている。観音菩薩は33に姿を変えて衆生のあらゆる願いに答えてくれると言う。 

 高月町では毎年8月に「観音の里ふるさとまつり」として町内21カ所の観音さまを無料公開している。私も昨年6カ所を拝観し、2、3年の内にすべてを拝観させて貰うつもりでいる。この「星と祭」でも記されているように多くの観音さまは地元の人々が協力して長い間守ってきたものである。この祭に参加するとそんな共同体意識、暖かさを感じる。

 6月13日のウォークは水上勉の「湖の琴」の舞台となっているところも歩くというので、この本も読んでみようと本屋へ行くが、発行が古くてもう在庫はないという。県図書館へいくことを思いつき、水上勉全集の中でやっと見つけることができた。重い本を通勤に持ち歩き、4日間ばかりで読み終えた。
 こちらの方は、若狭の山奥から、賤ヶ岳が近い木ノ本町西山という小さな村の、琴糸を作る農家へ働きに出たさくという15才の女性と、同じく若狭出身の宇吉という青年の恋物語である。二人が愛を誓うようになった頃、宇吉は徴兵へ、さくは京都で奉公勤めと離ればなれになる。そして、結果的にさくは宇吉を裏切ることになり、西山へ戻って自殺をしてしまう。さくの死体を見つけた宇吉は、それを誰にも見せたくなく、余呉湖に沈めようとする。そして、自分も沈んでいつまでも一緒にいようと思いつき、自分の体と死体を一緒にして余呉湖に沈んでいく。結末は何とも純粋な人間の、何とも言い知れぬ悲しさの中で終わる。
 かってこの地方は琴糸始め日本の弦楽器の糸の大半を作っていたようである。小説に似ず、繭作り、琴糸作りの紹介に多くのページを割いている。弦楽器の糸はその強さと純白さが要求される。ここの糸にはそれがあるという。理由はどうも水らしいがはっきりとは分からない。

 ウォーキングに出かけるのに2冊も小説を読んでいくとは、私にしては全く見上げたものである。果たしてその成果は如何であったろうか。
参加者は130人ほど、木ノ本駅からまっすぐ西へ西山を目指して歩く。天気はこの時期にしてはさわやか、幸運な日和である。西山にはいると「琴糸の里」の案内がある。山裾に古い面影を残すこじんまりとした山里である。大音という村にはいると想古亭源内という料理旅館がある。作中に登場する料亭「源八」である。今ここには糸とり資料保存館が併設されている。ゆっくり見ていて最後尾になってしまう。
 昼食は己高閣というところである。ここに鶏足寺の仏像が安置されているのである。鶏足寺は明治41年に廃寺になって今は跡形もない。昼食を早めにすませ、500円の入場料を払って扉を開けて貰う。常駐の管理人は居なくて、村人数人が今日の管理当番に当たっているようである。中央に十一面観音が、その左右に毘沙門天、不動明王の像が配置されている。丈はいずれも170センチ以上ある。その他いくつかの仏像が安置されているがこの3像が際だっている。庫内は比較的明るくよく観察できる。十一面観音はよく見れば年代が古いだけに彩色はかなり剥げ、また削がれている。頭部には虫食いの穴も見うけられる。しかし、その面影は優しくすらりとしている。頭部に乗っている十一面の顔は時間と共に丸みをおびたせいか憤怒、牙というものはあまり感じられない。静かな庫内を出るときには何か緊張が解けた感じである。やはりこれだけの仏像に囲まれると、慣れていないせいか、心静まるというよりこちらが観察されているようで緊張していたようだ。
 そこから20分ばかり歩くと石道寺に到着する。もみじの木が多く、秋の紅葉のすばらしさが彷彿される。石道寺の本堂を覗くと、中央の十一面観音が納められていると思われる厨子は扉が閉められたままである。その両側に大きな持国天、多聞天が置かれ、その厨子を守っている感じである。折角の機会なのに残念に思いながらその場を離れようとすると、沢山の女子学生と思われる一団が入ってきた。そして、その団体がお堂に座り終わると厨子の扉が開かれるではないか。自分も急いでその中に加わる。説明のカセットテープが回される。
 厨子の中には鶏足寺と同じくらいの大きさの十一面観音があり、その両脇には腰程までの2体の仏像が置かれている。何か小姓という感じである。厨子の中は薄暗く良く分からないなあと思っていると、誰かが懐中電灯で観音さまの顔を照らした。鶏足寺よりかなりはっきりとした輪郭である。薄暗い中に浮かび出ているのでより幻想的であり、美しく、尊さが感じられる。小説の中ではどの観音さまにも「立派ですね、美しいですね、優しい顔ですね」という感嘆の言葉がくり返されている。作家にしてこの言葉の連続であるから、私にしてみればこの言葉以外で表現するのは難しい。

 ウォーキングの団体はすでに出発してしまっているので、私はテープが終わると少し心残りながらも、急いでお堂を出て皆を追っかける。バスが1台広場で待っている。女子美術大学とあるので、あれはその学生であったのだろう。それにしてもあそこで扉が開けられたのは何とも幸運であった。
 旅の楽しみは、行く前2割、行って5割、帰って3割が私の持論だが、最近はこの楽しみ方を忘れていた。今回はそれを思い出させてくれた。
                        (平成11年6月21日)


 この時のホームページを作ればいいのだが、残念ながらデジカメ写真等
材料がない。関連のページとして、.......................
 '00観音の高月   ’01観音の高月
 '02観音の高月   余呉湖・賤ヶ岳
 を見ていただけるとありがたい。........................
 この文章の掲載はウォークの楽しみ方の一つを紹介したい意図もある。
熱意と時間があればウォークはもっともっといろいろな楽しみ方ができると
思う。さらなる活用を心がけていきたい。....................
                           (平成14年8月11日)


川柳&ウォーク