wa038  観音の里
’01 高月ふるさとまつり



渡岸寺山門より境内を見る

高月町ふるさとまつりは毎年8月第1日曜日に開催され,
滋賀県ウォーキング協会の例会もこの祭に
あわせて開催される。今年は8月5日に開催され、
私は4年連続の参加となった。
(位置は高月観音地図を参考にしてください。)

滋賀ウォー協ではこの日に公開されている
21観音堂を3年計画で回るように計画されている。
今年は光明寺、横山神社、赤分寺、赤後寺、
保延寺観音堂と拝観し、観音寺で昼食となる。

                              高喜山光明寺・十一面千手観音菩薩

   赤分寺・十一面観世音菩薩
 延暦24年(805年)2月に伝教大師が巡錫さ
れた折り、赤川の底から一条の光明が指し光り
輝くものがあり、取り上げられた。
これが御堂に安置されている十一面観世音菩
薩である。
 御像が川底から現れるや早速に草庵を結び
青陽山赤分寺と号した。それから後、有縁の
信者たちが東西より群集をなし参詣されるの
で、ここに六つの坊を境内に建立し人々の便
宜を図った。
 ところが惜しくも永正元年(1504年)京極氏
と浅井氏との軍乱の際にその戦禍にあい坊は
消失するもご本尊のみは不思議にも戦禍を
免れた。
     横山神社・馬頭観音立像
   ・像高 約100cm  ・檜一木造り 
   ・12世紀の作
 
 創建以来秘仏として、公開禁制を堅く守ってきた
が、近年「観音の里・高月」に数多く存する観音像
の中で、ただ1体の馬頭観音として貴重な存在で
あり、数多くの方々にそのお姿を拝していただこう
と開扉の運びとなった。
 
 馬頭観音とは、頭の上に馬頭をいただく観音様
で、古代インドの神・ビシュヌ神が馬に化身して
威力を発揮したという古代神話が仏教に取り入
れられて生まれた。 
  

     赤 後 寺   右・ (重文)千手観音立像  左・(重文)聖観音立像   


浅井氏の居城があった小谷山

己高山観音寺 ・千手観世音菩薩立像

観音寺を過ぎると高月町雨森(あめのもり)の集落に
入っていく。この集落は「花のまちづくり活動」が
盛んで、数々の賞を取っている。
また、江戸時代の儒学者・雨森芳洲の出身地としても知られている。
    高月町雨森地区の説明
 北陸自動車道木之元ICからほど近い、人口520
人、115戸ばかりの純農村。15年ほど前から住民
同士のつながりの喪失を危惧し、青年会の呼びか
けにより地域のまちつくりへと発展した。緑豊かな
集落の中をきれいな用水路が流れ、そこに大きな
鯉が泳ぎ、用水路の所々に水車や花が飾られて
いるきれいな農村といったイメージである。
 まちづくり委員会長の平井茂彦さんは高月町の職
員であり、「雨森まちづくり名語録」の著作がある。

      雨森芳洲の説明
 江戸時代中期の儒学者(1668〜1755)で、対
馬の宗家に仕え、63年の長きに亘り専門の儒学の
ほかに、対馬藩が受け持つ「朝鮮外交・貿易・信使
護行」に大活躍した。
 芳洲は単なる外交の実務者ではなく「相手国の
言葉が語れなくて何が交隣ぞや」と必死になって
朝鮮語を学び、また中国語も堪能した。当時3ヶ国
語に通じた人は芳洲一人であったといわれる。   


その後、高月町の歴史民俗資料館を見学し、
国宝の十一面観音立像のある渡岸寺観音堂を
拝観して帰宅の途につく。
日ざしは強いながらもさわやかな風も吹き、
穏やかな観音様を拝みながらの快い1日であった。

’00観音の高月もご覧ください)
川柳&ウォーク