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川柳連れ連れ草5年を振り返る


 昭和55年3月の「川柳東浦の会」発足と共にその会員となり、川柳の活動に入った。それまで川柳などというものに全く縁がなく、まさに一からの出発である。そして、平成13年11月に21年9ヶ月継続して東浦の会は解散した。その間に260回の例会があったが、発足してまもなく転居したので例会参加回数はわずかであった。それでも時には投稿を休んだこともあるが、何とか最終回まで投稿を続けた。川柳大会にも時折参加した。
 このまま川柳活動を止める方法もあったが、それはいかにももったいない気がした。その上、このまま止めてしまえば、平成12年3月から「川柳&ウォーク」と題して始めたホームページが片肺飛行になってしまう。それでは様にならない。何とかならないかと考えていて、ホームページ上で川柳作品を募集し、ホームページの形式で発表していくことを思いついた。当分妻と二人だけであろうが、まあそれが続いてもかまわない。ともかく始めてしまおうと、14年1月から「川柳連れ連れ草」と銘打って始めてしまった。命名の説明も含めて、“川柳を志向する同好の友が連れ立って、つれづれ(徒然)なるままに歳月を積み重ね、豊かな人生の一助としたい”と書いた。


 1号は妻と2人、2号は1人加わって3人、3号は一挙に7名となった。その後10名前後が続く。4号から鑑賞文(感想文)を導入し、8号からは随想も掲載するようにした。連れ連れ草は句をメールで応募してもらうのだが、句と共に近況や作句の思いやいろいろ文章をつけてくれる人があり、その活用から思いついたのである。参加者には1人5句程度を掲載してきたが、私だけは特権で少し多めに掲載していたが、平成15年4月より20句を掲載することにした。これは自分への挑戦も含めているのである。最近は苦し紛れになっているが、それでも3年半続けている。私自身の句は1000句を越した。そして、平成18年12月で丸5年60号を達成したのである。

 
この機会に5周年記念特別号の作成を思いついた。過去に掲載した句から秀句を選び出し、特別号を作成するのである。合同句集の発刊である。1月2日の正月休み1日を費やして試みた。一度でも参加された方は31名にのぼる。その内訳は、1年以上投稿し現在も継続されている方14名、1年未満の現在投稿者1名、1年以上継続しながら中断された方6名、1年未満で中断された方10名となっていた。これだけの人の出入りだけでも5年の歳月を感じる。
 そして、連れ連れ草以前から川柳作句をしていた人は、我が夫婦を含めほんの数人であり、ほとんどの方が初心者である。そういう人のために、識者から見れば全く噴飯ものかもしれないが、私自身の川柳経歴の紹介を含めて、川柳というもの、作句の基本、手法、連れ連れ草の考え方などを「川柳観」としてまとめホームページに掲載した。「作句の基本」の部分だけ紹介してみる。

        
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 作句するにあたって、重要だと思うことを数点書きます。
●川柳はまず「5・7・5」の17音で書くことです。一呼吸でスムーズに快く読めることが大切ですので、この17音は極力守った方が良いと思います。ただ無理に5・7・5に収め、流れの悪いものにすることもないと思います。「中8は避けよ」とはよく言われることです。
●口語で書きます。「や、かな、けり」と言った切れ字の多用も避けたいと思います。
●一呼吸で読みますので、マス空け(一文字の空間)も原則しません。ただ意識的に一息切らせたい、ハッと思わせたいという効果をねらって一マス空けることがあります。これも多用は避けたいと思います。
●これが一番重要なことですが、生きている人間を詠む、人間の想いを詠むということです。自然を詠んでも花や動物を詠んでも、その中に人間が感じられることです。その中に人間が託されていることです。思想や抽象的なものが感じられればより味わい深いものになると思います。ただ注意したいのは、あまりに自己の世界に浸りすぎて、読む人には何を言っているのか、どうにも分からない句になることです。慣れてくると平易な句に飽きたらず、難解が高尚という錯覚に陥りやすいものです。あまり平易すぎて面白味がない句、あまりに難解で理解できない句、この間のさじ加減が難しいところです。
●他に私が気をつけていることとして、一般に使われる漢字はできるだけ使います。ただし、10人のうち2・3人しか読めないような漢字や当て字は避けます。又、平易な言葉を使うように心がけます。発表した句は人に鑑賞してもらいます。鑑賞者が読みやすい句に心がけることです。
●略語やその時代の著名人の名前を使うことも、時事川柳なら良いですが、避けた方がいいでしょう。数年もすると意味不明になる恐れがあるからです。
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 1年未満中断の方を除き、この間の秀句を投句数に応じて、5句から18句を選んでまとめてみた。そして、分かっていたことではあるが、それぞれに佳い句が並んだのである。ここで初めて始められた方数人の句を、数句紹介してみる。(初心の方には添削をさせてもらっているので、この句が添削を加えたものか定かでありませんことを断っておきます)

      *** 悠  澪 ***
     粉雪からぼたん雪へ私は私
     希望持ち踏ん張ろうにも地が揺れる
     日が昇るまでが勝負と草を刈る
     宛名のない手紙書いてる長い夜
     やり残しないですかと除夜の鐘
                         *** 柳  立 ***
                        おぉ友よ やや白めの月に会う
                        大空に朝日に向かう翼あり
                        むね深く乳飲み子眠る母よ海よ
                        独り居て若葉のささやきなお静か
                        この手にもひとすじ降ろせ蜘蛛の糸
*** ぺ天使叔母・華芳 ***
君逝きて語る術なししのぶ草
眠れぬ夜届きし新茶その色香
影踏んで遊んだ秋の日差しです
夜更けて未来に向けて朝が来る
風花と遊んで老いを自覚する
                         ***  摩夢多絽  ***
                        明日よりは晴耕雨読 幸不幸
                        苦も楽も絵空事なる今日の絵
                        爪を切る じっと考える明日の事
                        それぞれに過ごした月日手に残る
                        もう少しもう少し 夜が明けて雨

 これだけの句から個性を読み取るのは難しいが、川柳連れ連れ草全編を読めば個性や傾向を自ずから感じられるのである。特別号の最後にこう書いた。

            
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      特に意図して選んでいませんが、それぞれの個性を感じませんか。
        それでこそ川柳ですし、それでこそ書く意味があります。
          そして、結構良い句ばかりと思われませんか。
          数作れば、当然きらりと光るものが生まれています。
         目指すはただ継続です。気楽に臨んで続けてください。
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この川柳連れ連れ草に投稿しても評価が得られるわけでもないし、賞がもらえるわけでもない。参加者は愛知県が最も多いが、佐賀県や福岡県、広島県や東京方面の方もあり、皆さんが一同に会して交流をするわけでもない。刺激が非常に少ないのである。それだけに継続は難しい。詠むことや投稿することが楽しみか、自己に挑戦が張り合いか・・・中には少しオーバーな表現だと思うが、生き甲斐と言っていただいている方もあるが・・・それぞれに意義をみいだしていただいていると思うが、継続していただいている人には敬意を表したい。おこがましくも主宰を名乗っている私が、時折くじけそうになる時もある。しかし、送られてくる句に、くじけるわけにはいかぬと気を奮い立たせ続けている場面もある。そうしてまた続けられるのである。ありがたいことである。特別号の最後の最後にこう書いた。
   “投稿者の皆さん、また5年後目指して頑張りましょう。
    読者の皆さん、参加しませんか?”  


                               (平成19年2月20日)


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