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本 覚 寺 (羽島市竹鼻町)


平成22年3月27日、一宮友歩会10月例会の下下見で本覚寺を訪れる。
境内及び本堂内を丁寧に案内、説明をいただいた。
(説明文は本覚寺で頂いた資料を参考にした)

                              真如山本覚寺
 寺伝によると、往古は天台宗の寺院であったという。永禄元(1558)年、正眼寺八世玄沢祖栄が創建開山、天台宗を改め曹洞宗とした。天正時代初期、竹ヶ鼻城主不破源六広綱が父祖本覚寺殿大雲義沢大居士の菩提供養のために一宇を建立、山号を真如山本覚寺とした。
 その後、天正12(1584)年の小牧・長久手合戦で、慶長5(1600)年の関ケ原合戦で、安永3年には火災により、再建されても度々焼失した。また明治24年の濃尾大震災で堂宇がことごとく倒壊したが、時の住持豊山霊牛の勧進により伽藍が完成した。以後当寺は格地(上位の資格を有する寺院)として現在に至っている。
 当院は竹ヶ鼻城主の帰依が深く、菩提寺として不破源六広綱・杉浦五左衛門などの位牌が納められている。

本    堂

鐘   楼


本堂天井には見事な板絵があった。

                           天井画・八方睨みの雲龍
本堂の天井の板絵は、幕末の勤王家浮田一恵斉による嘉永3(1850)年の作だが、中央に鏡を作り、その全面に極彩色の八方睨みの雲龍が描かれている。この絵は濃尾大震災により破損したが、大正4年、森村宜稲画伯によって改修され、現在は県の重要文化財になっている。また、同画伯の手による松の襖絵もある。


また、本堂の両脇には沢山の羅漢像が安置されていた。

                      羅  漢  像
 室内の祭壇に祀られている16体の羅漢像の他、震災の痕を物語る痛々しい姿のままの像と鮮やかに修復された像の合わせて125体の羅漢慄が堂内のぐるりに安置されている。これらはいずれも江戸期以前のもので、文化財的な価値があると思われる。


本堂右手の墓地には仏の佐吉といわれる永田佐吉の墓があった。


県指定史跡・永田佐吉の墓

法名・覚翁実道庵主

永田佐吉については次のページをご覧ください。永田佐吉と佐吉大仏


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