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永田佐吉と佐吉大仏

平成21年1月18日、名鉄ウォークに参加して永田佐吉及び佐吉大仏を知る。


佐吉座像(竹鼻小学校)


 永田佐吉(1701〜1789)は、江戸時代中期の美濃の国の人です。彼は、継母に対する真心のこもった孝養、分け隔てのない慈愛の行為、数々の社会奉仕、篤い信仰心等により誰言うとなく、仏の佐吉と称せられるようになりました。
 生い立ちは貧しく早くして両親に別れ、丁稚奉公等で苦労を重ねますが、正直で誠実な言行により、綿の仲買人として成功しました。佐吉は商いにあたり秤を持たず客に任せて取引をしました。人々は佐吉の信に応えようと、彼との取引を望みそして佐吉に不利になるような商行為を行うことはしませんでした。彼は、豊かになってからも決して奢らず質素倹約に努めました。社会奉仕のためには、道標の設置や道路補修等に惜しげなく資産を投じますが、そういう時には自分の名前を出すことはなく村全体で作ったと記しました。
 今、佐吉の住居した羽島市竹鼻町には彼の建立した丈六の大仏が祀られ、訪れる人の心を和ませています。又、市立竹鼻小学校正門付近には佐吉座像が設置され、郷土の生きた手本となる人物として尊敬を集めています。 (佐吉堂で配付された資料より)



佐  吉  堂

佐吉大仏(堂内)

 
 佐吉大仏は永田佐吉翁によって、宝暦9年(1759年)に建立された青銅の釈迦牟尼仏です。仏像の高さは石の台座を含め全体で5m程、台座の周りはおよそ8.3mです。作は江戸の鋳物師西村和泉守藤原政時です。(岐阜県指定史跡・羽島市指定史跡)
 大仏様を造った理由は、母の代わりに諸国巡礼の旅に出て、その途中大病にかかりますが、神仏に祈ったところ全快いたしました。帰宅後その話をしたところ、母は大いに喜び、仏様に感謝するよう勧めました。それで佐吉翁は大仏様を建立されたのです。又、本尊の大仏様にはお堂が設けられました。
 現在のお堂は明治24年(1891年)の濃尾震災で焼失したのを昭和37年(1962年)再建したものです。その際宗教法人「大仏寺」と法人化されました。
(佐吉堂で配付された資料より)



佐吉堂内(佐吉の一生の説明図)

柳原白蓮歌(佐吉堂フェンス)

佐吉堂境内

野口雨情歌(佐吉堂フェンス)


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