永田佐吉(1701〜1789)は、江戸時代中期の美濃の国の人です。彼は、継母に対する真心のこもった孝養、分け隔てのない慈愛の行為、数々の社会奉仕、篤い信仰心等により誰言うとなく、仏の佐吉と称せられるようになりました。
生い立ちは貧しく早くして両親に別れ、丁稚奉公等で苦労を重ねますが、正直で誠実な言行により、綿の仲買人として成功しました。佐吉は商いにあたり秤を持たず客に任せて取引をしました。人々は佐吉の信に応えようと、彼との取引を望みそして佐吉に不利になるような商行為を行うことはしませんでした。彼は、豊かになってからも決して奢らず質素倹約に努めました。社会奉仕のためには、道標の設置や道路補修等に惜しげなく資産を投じますが、そういう時には自分の名前を出すことはなく村全体で作ったと記しました。
今、佐吉の住居した羽島市竹鼻町には彼の建立した丈六の大仏が祀られ、訪れる人の心を和ませています。又、市立竹鼻小学校正門付近には佐吉座像が設置され、郷土の生きた手本となる人物として尊敬を集めています。 (佐吉堂で配付された資料より)
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