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一宮友歩会・第25回例会
【史跡巡りシリーズ・西尾張編part7】
あ ま 市 の 史 跡
平成22年3月22日に海部郡甚目寺町・美和町・七宝町が合併して「あま市」が誕生した。
それを記念して一宮友歩会ではあま市の史跡を巡る例会を企画した。
平成22年4月10日(土)、名鉄甚目寺駅近くの甚目寺観音に集まる。
好天である。桜もまだまだ見られそうである。参加者は65名になった。
(写真には昨年11月14日、今年2月20日の下見時のものを含みます)
甚目寺観音の境内で、コース説明、準備運動などの出発式である。
甚目寺観音・本堂 |
出発式(後方は重要文化財の三重の塔) |
歩き始めて5分もすると円周寺である。この寺はハンセン病の研究、対応で
活躍された小笠原登医師誕生の寺である。住職さんに登医師などの話を聞く。
30分近く、頂いた資料を見ながら静かに熱心に耳を傾けた。
花のプロムナード、続いて、七福公園、平成のプロムナードを歩く。
花のプロムナード |
七福公園 |
平成プロムナード 全長400mの遊歩道で、町民が描いた絵のタイルが貼ってある。 |
甚目寺中央公民館で休憩、その一角に元飛行場開拓記念碑が立っている。
更に進むと、特産品の小松菜、方領大根の看板が目に付く。
元飛行場開拓記念碑 |
畑の学校 |
東名阪自動車道をくぐるとすぐに福田川である。その左岸の平和橋から御嶽橋までの500mは
水辺之並木道となっていて、四季を通じて楽しめる樹木が植えられている。その一部を歩く。
このコースには辻地蔵堂を沢山見かける。晴明塚、小町塚にもよる。
辻地蔵(法性寺前) |
旧美和町に入る。まず、戦国武将・福島政則公生誕地である。
そして、生誕地碑から300m程北の菊泉院である。菊泉院は政則公の菩提寺であり、
政則公の遺品を所蔵している。本堂に遺品を掲示して頂いて、説明を受けた。
山 門 |
本 堂 |
遺品を掲げて説明を受ける |
遺品の木造毘沙門天蔵と御位牌 |
福島政則公供養塔 |
三十三観世音菩薩石像群(仏の文字) |
蟹江川(大江川)沿いの二ツ寺親水公園で昼食である。
昼食後は大江川堤防を下流に歩き、文化の杜に向かう。
二つ寺親水公園 |
蟹江川堤防 |
文化の杜の園内を通り抜け、美和歴史民俗資料館に向かう。
ここでもこの地域の歴史や地勢について説明を受ける。
八ヶ川堤防を通りながら五八悪水治水記念碑に来る。この地域の水争い(排水)を知る。
そして、津島街道(上街道)の古い町並みを見ながら木田駅まで歩く。
ショートコースはここがゴールである。数人が帰られた。
五八悪水治水記念碑 |
津島街道(上街道) |
名鉄津島線を横切り、南へ歩く。昔ながらの湯ノ花神事を残す八剱社による。
八剱社・5台の山車の倉が建つ |
八剱社・湯ノ花神事の説明板 |
狐女房で知られる篠田の葛ノ葉稲荷社にも寄る。
葛ノ葉稲荷社 和泉の国信太(しのだ)にある葛ノ葉稲荷社を 勧請したと伝えられている |
歌碑「恋しくば 尋ねきてみよ 和泉なる 篠田の森の うらみ 葛ノ葉」 |
そして、旧七宝町に入る。七宝焼アートビレッジで30分ほどかけゆっくり見学する。
2班に分け係員から説明を聞く |
芳春院の里に着く。七宝駅近くに適当な場所がないということでここで解散式を行う。
芳春院の里・案内板 |
その後七宝駅までそろって歩きそれぞれ帰途についた。
駅に着いたときは3時半を過ぎていた。
寺さんのウォーク・トーク ◎4月例会はいろいろな行事が重なり毎年参加者が少ない。資料を70部に 減らして持って行ったところ、参加者は65名を数えた。もう少しで資料の追加に コンビニへコピーに走らねばならないところであった。嬉しい悲鳴である。 小学生や大学生のなど若い人の参加あったのも嬉しいことである。 ◎この会を知ってもらうことはほとんど口コミに頼っている。 そして今回は初参加の人が16名を数えた。熱心に誘って 頂いている人が何名もある。ありがたいことである。 ◎ウォークに参加してハンセン病の話を聞くことになろうとは 驚かれた方もあろう。これはいろいろな偶然が 重なって実現できたことである。こういう偶然は嬉しい。 この経過をまとめましたので、次をお読みください。 小笠原登を知る(クリック) ◎今回はその他に、菊泉院、美和歴史民俗資料館、七宝焼アート ビレッジでも説明をして頂いた。お願いに快く引き受けて頂き、 ありがたい限りである。この場を借りて御礼申し上げます。 ◎雨の場合を想定して昼食場所に文化の杜の会議室(有料)を借りておいた。 好天気になって無駄になったが、保険は使わない方がいい。 |