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'06熱田・伊勢125キロ  
     初詣でウオーク
(第2回)


平成18年1月12日から4日間、昨年に続いて「熱田伊勢125キロ初詣でウォーク」が開催された。
第1日、2日は愛知県ウォーキング協会の役員として行動し、第3日、4日は一参加者として歩いた。
その状況を大会誌を活用しながら、
また、川柳連れ連れ草第49号に掲載した句を織り込みながら紹介します。


第1回は団体歩行であったが、今年は自由歩行になった。それに加えて、
ショートコースも設けられた。以下に全行程表を示します。

集合日時

集合場所

コース

経由地及びゴール
(歩行は原則自由歩行です。)

距離

12日(木)
730

熱田神宮
(南門広場)

全ウオーク

熱田神宮→宮・七里の渡し跡 海南こどもの
→水郷公園 →桑名・七里の渡し跡

29km

ショート

熱田神宮→海南子どもの国

18km

13日(金)
730

桑名・七里の渡
(九華公園)

全ウオーク

桑名・七里の渡し跡 淨泉坊 四日市中央
緑地公園
→弥都加伎(ミヅガギ)神社→ 勝速日神社

35km

ショート

桑名・七里の渡し跡→四日市市役所

15km

14日(土)
730

(かつ)(はや)()神社

(白子駅すぐ)

全ウオーク

勝速日神社→ 河芸町町民の森 津観音寺
小野江ふれあい広場 神楽寺 JR松阪駅

36km

ショート

勝速比神社→津駅前(栄町公園)

17km

15日(日)
800

松阪城跡
(松阪駅西10)

全ウオーク

松阪城跡 A櫛田 →いつきの宮休憩所
小俣改善センター 外宮 内宮

25km

いつきの宮
休憩所

ショート

この日だけ、このコースの集合時間は1000です

いつきの宮休憩所
→内宮

14km


*****  第1日目 1月12日(木)   29km  *****

熱田神宮に集まり、出発式後、宮宿・七里の渡しまで団体歩行で進み、
その後スタート印を押し自由歩行になった。

熱田神宮

昔から「あつたさま」と呼ばれて親しまれ、伊勢神宮に
つぐ由緒深い大宮として全国的に知られている古社。
三種の神器の一つ草薙剣をまつり、相殿には天照大
神・素盞鳴(すさのおの)尊・日本武尊・宮簀媛
(みやすひめの)命・建稲種(たけいなだねの)命を
祀ります。
樹齢千年を越える大楠をはじめとする
樹木が生い繁る6万坪の境内は、古来「蓬莱
(ほうらい)島」の名で知られ、大都会の中心にあり
ながら、静寂で四季の装いあふれる市民のオアシスと
して親しまれています。
境内外には本宮・別宮外
43社が祀られ、主な祭典・神事だけでも年間70余度、
昔ながらの尊い手振りのまま今日に伝えられています。


四時起きし熱田の森に向かう足   
神宮に集う仲間の意気高く
      出発式筋書きにない檄が飛ぶ
      会旗持ち先頭歩く堂々と
      本殿に完歩祈って一礼し
  先競う人を見送る常夜灯
  寒い空次の持ち場は交差点
早足に競争ですかと人が問う



旗手を務めた後は安全誘導を担当し、海南こどもの国からは最後尾を歩いた。
桑名の七里の渡しを過ぎればすぐゴールの九華公園である。
アンカーが着いたのは午後3時半であった。


本多忠勝像(九華公園)

七里の渡し跡
慶長6年(1601)正月、江戸と京都を
結ぶ東海道が制定され、桑名宿と
宮宿(現名古屋市熱田区)の間は、
海路7里の渡船と定められた。

九華公園
昭和3年(1928)に当時の桑名町が
楽翁公
(松平定信の隠居号)没後
100年を記念して、桑名城一帯を
公園として整備した時に、江戸時代
から使われていた桑名の別名
「九華」にちなんで付けられました。
中国に九華扇という扇があり、
扇城の名と九華(くはな)の
読みを掛けて付けられた名前です。



*****  第2日目 1月13日(金)  35km  *****

昨日のゴール・九華公園で
出発式後、35km先の
勝速日神社をめざす。
今日は旗手の後アンカーを
最後まで努める。

ゴールに着いたのは3時半である。
曇り空の下、一時雨がぱらついたが
たいしたことなく終わった。

勝速日神社

福徳神社が移転して
二つに分かれ、一つは
久留真神社となり、
もう一つが白子駅
近くの勝速日神社と
なりました。
勝速日神社は、4町の
氏子中でそれぞれが
山車を持ち、漆塗り,
金箔仕上げで、豪華な
つづれ織りの垂れ幕
(見送りの幕)で飾られ、
鈴鹿市の指定文化財と
なっている。


標識を張ってはがしてつのる虚無
       理不尽にアンカーの後に人がいる
    足早にここは無用とこどもの国


*****  第3日目 1月14日(土)  36km  *****


勝速日神社を出発するときからもう雨である。そして、次第に強くなる。
今日はこのウォークの最長距離の日である。大変な日となった。
三重県ウォーキング協会の人は、この雨の中、この日の運営をすると共に、
明日のコースの標識張りをしなければならない。本当にご苦労様である。

津観音

古来より日本三大観音の
一つといわれ、本尊は秘仏の
聖観世音菩薩。海上安全、
所願成就の観音様として
深く信仰を集めています。
1430年、将軍足利義教が
三重塔を寄進しましたが、

70
年後の明応大地震で倒壊、
20015月五重塔として
再建されました。


どこを見るでもなく、どこに寄ることもなく、ただひたすら歩いて3時少し前に
ゴールの松坂駅前に着く。ホテルがすぐ近くでありがたかった。


寒風の中で風邪が消えていた
      曇天の次の日は雨愚痴が出る
          強い雨ためらう足をなだめてる
    雨の中肉刺ができて友ができ
          右もなく左もなくただ歩く



*****  第4日目 1月15日(日)  25km  *****

昨日とうってかわっての上天気である。全コース参加者は松坂城址で出発式である。
前日のゴール地と翌日の出発地が違い、また、全コースとショートコースの出発地が違うのは
第4日目だけである。それは、共に内宮をゴールとするためである。

松阪城址
正保元年(1644)に天守閣が風のため倒壊して土台だけになったと記されている。その後、
寛政6年(1794)には二の丸に徳川陣屋が建てられているが、これは明治10年、失火により
惜しくも焼失した。残っていた他の表門、裏門、中門、土蔵等も明治14年頃までには取り壊された。
当時の城中の建物としてはもと隠居丸にあった米蔵のみが、現在、殿町御城番に残っている。


さわやかな空の下、一宮友歩会の面々と歓談しながら気持ちよく歩く。
斎宮で早い昼食をし、さらにへんば屋さんでは餅を食べ、外宮に参拝し、
ゴールの内宮には3時に着く。

斎宮(いつきのみや)
斎宮とは天皇の代替わりごとに選ばれ、伊勢の大神に仕えた斎王
(いつきのみこ)の宮殿と、彼女に仕えた役所である斎宮寮をさします。
昭和45年より本格的な発掘調査が始まった斎宮跡は、東西2`、
南北700bの約140fを占める全国屈指の大規模史跡です。

へんば餅

今を去る230年余り
前の安永4年(1775)
参宮街道の宮川のほとりで
茶店を設け餅を売り
出したのが起源だという。
当時、街道を馬に乗って
やってきた参拝客は、
宮川の渡しにさしかかると、
ここで馬からおり、馬を返し、
この店で一服した。
 そこから、この茶店で売る
餅をいつしか「返場餅」と
云うようになりました。

外  宮

「お伊勢さま」と呼ばれて親しまれている
伊勢神宮は、皇大神宮(内宮)と豊受大神宮
(外宮)の両正宮からなっている。 

豊受大神宮(外宮)は高倉山の麓に鎮座し、
衣食住の守護神である豊受大神を祀っている。
社殿の規模は内宮とほとんど同じです。
両宮の間は約6キロメートル離れており、豊受大神宮から
参拝するのが昔からの習わしとなっています。

内  宮

皇代神宮(内宮)は神路山
の麓にあり、祭神は皇室の
先祖である天照大神で、
ご神体は三種の神器の一つ
八咫鏡
(やたのかがみ)です。
伊勢神宮の社殿は
神明造りといい、
わが国古代の建築様式と
して有名です。
特に伊勢神宮の場合は、
神明造りの典型を示して
いるところから、唯一
神明造りと呼ばれています。


一宮友歩会の面々


雨上がりさわやかに集う松阪城
      へんば餅先急ぐ人が食べている
    標識が途切れて迷う未熟です
                    内宮だゴールだ足から安堵する


うして多くの人の多大な力により、4日間のウォーク大会が無事終わった。
今回の反省も加えて、来年また開催されることでしょう。ますます発展することを期待したい。


このウォークの感想文も合わせてご覧ください。'06熱田伊勢ウォーク

*このページ作成には、mamuさん、ひげおじさん、ゆきさんに
写真提供など協力頂きました。ありがとうございました。


川柳&ウォーク