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東海道をゆく(愛知)
熱田から知立
平成15年1月12日、豊田ウォーキング協会の例会に参加する。
名古屋市の熱田神宮から知立(ちりゅう)市の知立神社まで
東海道を歩くのである。
午前9時、170名ほどの参加者は、熱田神宮東門で
出発式後、本殿に参拝し出発となる。
熱田神宮・本宮 境内は約19万平方メートルで、本宮を始め 別宮1社、摂社8社、末社18社が祀られてい る。本殿の構造は伊勢神宮と同じ神明造りで ある。 |
熱田神宮・信長塀 織田信長が桶狭間出陣の折、戦勝 を祈願し、合戦後奉納した。土と石灰 を油で練り固め、瓦を積み重ねて作ら れている。 |
40分ほどで呼続(よびつぎ)公園に到着、トイレ休憩となる。
団体歩行にトイレの確保は重要なことである。
呼続公園・源頼朝公旗掛松(頼朝が旗をかけて休んだと伝えられ松) |
更に30分くらいで笠覆寺に到着する。一般には笠寺観音の名で知られ、
尾張四観音(他に、荒子観音寺、竜泉寺、甚目寺)のひとつである。
笠覆寺・仁王門 |
笠覆寺・本堂 |
笠覆寺境内にある宮本武蔵墓碑 宮本武蔵が仕官先を求めて名古屋に入り笠覆寺(笠寺観音)に2ヶ月程 滞在。仕官は叶わなかったものの滞在中に訪問者を指導したため、彼の 二刀流(二天一流)は尾張地域でも受け継がれている。 笠寺観音の墓碑は、武蔵の弟子左右田邦俊の子孫らが100回忌を記念 して、1744年5月に建立した。 |
(名古屋にもう1カ所ある武蔵の墓碑は新福寺(ここをクリック)を見られたい)
鳴海宿を通り、笠寺観音から1時間ばかりで
県営大高緑地公園に到着、昼食となる。
昼食後は絞りで有名な有松の古い町並みを見て歩く。
有松の町並み(右の家は有松絞りの店、屋根には卯建が見える) |
そして、桶狭間古戦場に着く。少し休憩の後、
阿野(あの)一里塚を見ながら先に進む。
史跡桶狭間古戦場 この敷地内には今川義元の墓、 七石表、弔古碑などがある。 |
国指定史跡阿野一里塚 道路を挟んで両側に残っている一里塚は 全国でも珍しい。 |
(桶狭間古戦場については桶狭間古戦場(ここをクリック)も見てください)
ちょうど4時にゴールの知立神社に着くが、滋賀県長浜市から
わざわざ参加していた知人に頼まれて、更に南東に2kmばかり歩き、
今も立派に残る東海道の松並木を見に行く。
池鯉鮒宿 品川から数えて39番目の宿 |
安藤広重・池鯉鮒宿の絵 整備された遊歩道の中に立てられている看板 |
450mほど残る知立の松並木 |
名鉄名古屋本線牛田駅に着いた時には、もう薄暗くなり始めていた。
寺さんのウォーク・トーク
・豊田ウォーキング協会の行事に参加するのは始めてである。
しかし、主な幹部の方は知っているので参加に戸惑いはない。
・行ってまもなく、滋賀県長浜市の親しくしている知人から声をかけられた
のにはびっくりした。私がよく滋賀県に行っているので、無理なく来られる
だろうと思ってやってきたと言われる。
ウォークの輪は確実に広がっている、嬉しいことである。
・愛知県内の東海道は細切れながら何度も歩いていると思うが、まだまだ
知ることが多い。そして、ホームページを作るようになってからは意外に
少ないのである。機会を見つけてもう1度歩く必要がある。
・1月5日の愛知県ウォーキング協会の例会で偶然宮本武蔵の碑を
見かけ、1週間後に愛知県内にもう1カ所あるという碑に出かけると
いう偶然は全く面白く、幸運である。
・熱田神宮から知立神社まで22km、6時間半ばかりのウォークであったが、
長浜の知人が更に3kmばかり歩くという意欲には全く敬服する。知立の
松並木が以前来たとき良い印象だったので、折角の機会なのでもう1度
見ておきたかったといわれる。この好奇心は見習うものがある。
・この時期にしては穏やかすぎるような良い日、知ることも多く、良い
ウォーク、良い1日であった。豊田ウォーキング協会の皆さんありがとう
ございました。また、ご苦労様でした。