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桶狭間古戦場

平成14年の初歩きは織田信長が天下統一に
踏み出す第一歩となった「桶狭間の合戦」の舞台を歩く

・年月日  平成14年1月6日(日)  
・主 催  愛知県ウォーキング協会
・距 離    15km 
・時 間    6時間
・コース
  名鉄中京競馬場前駅・・・・桶狭間古戦場公園・・・・高徳院
  ・・・桶狭間田楽坪・・・長福寺・・・・戦評の松・・・・丸根砦跡
  ・・・鷲津砦跡・・・成海神社・・・見晴台遺跡・・・・笠寺観音
  ・・・呼続公園・・・・裁断橋・・・・熱田神宮・・・・名鉄神宮前駅    

桶狭間古戦場付近地図

   駿河・遠江・三河の三国を征圧した今川義元は、永禄3年(1560年)
   5月12日に駿河を出発し、約2万5千(一説4万)の大軍を率いて尾張に
   迫った。17日に岡崎、18日には沓掛城に入り、尾張大攻撃の準備をした。

       一方、織田信長は5月19日に清洲城を出るときの軍勢は300人ほど
      であったが、熱田神宮に戦勝祈願の参拝をした頃には千人余りとなり、
      合戦の時には3千人ほどになっていた。


        丸 根 砦

       鷲 津 砦
織田勢の傘下のあった大高城が今川の手に渡り、尾張進出をもくろむ
今川藩の最前線拠点になった。織田信長は大高城を包囲して敵の力を
弱めることを目的に、1559年大高城の東900mの小高い丘に丸根砦を、
北東800mの所に鷲津砦を築いた。しかし、丸根砦(守将佐久間盛重)は
桶狭間の合戦の日の午前10時頃、松平元康(後の徳川家康)率いる
今川勢2500兵の総攻撃を受け陥落、鷲津砦(守将飯尾定宗)は
朝比奈泰朝率いる今川勢2000兵の総攻撃で同じく午前10時頃陥落する


戦 評 の 松
桶狭間の合戦の時、今川方の将瀬名伊予守氏俊がこの松の根本に
武将を集め、戦の評議をしたと伝えられる。昭和34年9月の伊勢湾台風の
被害で惜しくも枯れ、現在のものは昭和37年に植樹した二代目である。

    今川義元はさいさき良く織田軍の丸根・鷲津砦を陥落させ、
   田楽狭間に本陣を置き、戦勝気分に浸りながら昼食を取っていた。
   その時、天候急変して夕立となり、狼狽しているところに
   大将ヶ根に待機していた信長は、一挙に義元の本陣めがけて
   切り込んだ。そして、義元の首を取った。

国史跡 桶狭間古戦場伝説地(豊明市栄町)
この地には、1771年に建立された七石表があり、その1号碑には「今川上総介義元戦死所」と
刻まれている。そのほか1876年に立てられた今川義元の墓、1807年に立てられた
弔古碑などがあり、こうした関係で「伝説地」として国の指定を受けている。
(七石表:古くからあった7つの土盛りした塚に、1771年碑を建てたもの)

        今川治部大輔義元墓

        七石表の一号碑  

      高徳院境内にある碑

   高徳院境内にある句碑


桶狭間の合戦の主戦場はどこであったか、
又義元はどこで戦死したのか、各種の主張がある。
この名古屋市緑区の田楽坪もその一つであり、
伝説地より南西1kmばかりの所である。


        長 福 寺
 本尊の阿弥陀如来は、今川義元の茶坊主
林阿弥が持参し供養したと伝えられる。
また、境内で林阿弥が義元の首検証を命ぜ
られたと言われる。

    コース上の古戦場史跡を通り抜けて成海神社で昼食となる。
   その後は笠寺観音を参拝し、呼続公園でトイレ休憩となる。
   裁断橋を見るともう熱田神宮である。揃って参拝し解散となる。

 
   裁 断 橋
熱田神宮の南東約500m行った姥堂の前に裁断橋が
再建されている。かつて東海道が熱田宿に入るあたりに、
精神川が流れていたが、ここに裁断橋は架かっていた。
小田原の合戦の際18歳で病死した堀尾金助供養のため、
母が願いを込めて老朽化した裁断橋を架け替えた。
擬宝珠に母の子を思う心情を刻んだ碑文が有名。
「都々逸発祥の地」の石碑が奥に見える。

 
             寺さんのウォーク・トーク

       ・昨年(平成13年)の「岩倉市制30周年記念演奏会」の合唱以来、
        織田信長に縁付いている。
              (「付録」→「随想」→「尾張野」を参照されたい)
        合唱では信長の尾張部統一の過程が歌われた。そして、いよいよ
        来週(1月19日20日)は全国から千数百人の人に来ていただいて
        尾張野ウォークが開催される。その舞台を歩いてもらうのである。
       ・信長は1559年尾張部の統一を図ったその翌年、この桶狭間の
        合戦に遭遇するのである。そして、軍勢からして絶対不利なこの戦に
        運良く勝利を収めたことによって、天下統一に踏み出すのである。
        このように全く別々の行事が自分の意図しない中で、一連の係わりを
        持ってくるというこの縁を全く面白く思うのである。
       ・この桶狭間には過去数度来ているが、今回ほど興味を持って眺めて
        きたのは初めてである。
       ・今年のNHK総合テレビの大河ドラマは「利家とまつ」というこれまた
        前半は尾張部を舞台とする物語であろうから、どんな話につながるか
        楽しみである。

                             (平成14年1月9日作成)
川柳&ウォーク