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岡崎北部徳川の史跡

平成14年6月23日、連れ連れ会は三河富士と言われる村積山
登ることを主目的に、岡崎市北部の史跡を巡るウォークに出る。

名鉄東岡崎駅より豊田市行きのバスに乗り、ほぼ豊田市に近い
細川バス停で下車、まず龍渓院に参詣し、村積山をめざす。

龍 渓 院 (曹洞宗)
 岡崎の苔寺と言われる。参道を覆う杉の大木と崖にたつ十六羅漢の石仏、
境内にはいると一面の苔、総門・山門・本堂は江戸時代初期の造営、
近世の末寺・孫寺300以上という中本寺であった。

     村 積 山
 低山ながら秀麗な山姿から三河
富士と呼ばる。標高257m。

(村積山については「付録→おらが富士(1)」をご覧ください)

     
そして、真福寺、岩津天満宮、信光明寺と近くに点在する神社仏閣を回る。


       真福寺・仁王門

   真福寺(天台宗)・太子堂
三河最古の寺、眼病に霊験がある水体
薬師を本尊とする。太子堂に国重文・木
造慈恵大師座像を安置する。

  岩津天満宮(祭神菅原道真)
1759年に鎌倉の荏柄天神を勧請したの
が始まり。今年は御神忌1100年大祭。

    信光明寺(浄土宗)
1451年、松平信光が初代親氏・2代泰親の
菩提のために創建。観音堂(写真)は国重文。


その後は南下を続けて大樹寺、更に伊賀八幡宮と参詣する。


      大樹寺・三門

     大樹寺(浄土宗)・本堂
1475年、松平4代親忠が松平氏の菩提寺と
して創建した。徳川家康が位牌は大樹寺にと
遺命したことによって、以後歴代将軍の等身
大の位牌が安置され、将軍菩提寺として幕府
の手厚い保護を受けた。

    伊賀八幡宮・随身門と神橋

     伊賀八幡宮・本殿
松平四代親忠が松平家の氏神として、社を
三重県伊賀より移したのがはじまり。江戸
時代を通して将軍家の崇敬は厚く、家康も
大きな合戦の際には必ず参詣した。本殿、
随身門、神橋などは国重文。


岡崎城にも寄って、東岡崎駅に戻る。
20数km、6時間ばかりのウォークであった。
岡崎市北部は徳川(松平)家にまつわる史跡を始め、
歴史を尋ねるウォークの好適地である。


岡 崎 城
1452年、三河守護代西郷稠頼が築城。その後、松平郷(今の豊田市松平町)の
松平氏が居城にする。1542年この城内で徳川家康が誕生する。
5万石という石高であるが、大御所生誕の城として徳川譜代の中でも
格式の高い譜代が封入した。明治6年に取り壊しとなったが、昭和34年に
天守閣と井戸櫓、附櫓が再建された。また、平成に入ってから大手門が作られた。

川柳&ウォーク