“私の友が先日、国際協力機構(JICA)海外協力隊のシニア隊員として、アルゼンチンに農業技術指導者として派遣されました。私たちはともに岐阜と長野の県境の零細農家の長男として生まれ、幼いころから野山を駆けずり回りました。親たちの農業を手伝いながら、さらなる高みを目指し、農業高校で学びました。
その後、最新の農業技術を学ぶため、それぞれカナダ、アメリカで複数年研修。帰国して私は酪農、友は園芸に従事しました。私は十数年で力不足のため挫折し転職しましたが、友は努力のかいあり、息子を立派な後継者に育て上げ、六十五歳を転機に経営を譲りました。
そして四十数年で身につけた高度な農業技術を、少しでも役立てることができないかと考え、海外協力隊のシニア隊員に応募。見事合格して旅立つことになったのです。努力家の友は、さっそくスペイン語の勉強に取り組み、六十の手習いで始めた趣味の津軽三味線の腕も、ますます磨き上げました。彼なら、日本の農業技術と文化を、アルゼンチンの人々に広く伝えることができると思います。ひと言、「健康に気をつけてナ」と声をかけ、友にエールを送りたいと思います。”(2月2日付け中日新聞)
愛知県豊田市の自営業・松井さん(男・67)の投稿文です。またまた凄い人があるものだ。海外協力隊など若い人でも凄いと思うが、65歳である。元気な65歳なら、今の時代全くの隠居でもあるまいが、それでも始めての海外協力隊である。技術的なことは今までの経験知識で十分であろうが、言葉の勉強から始めるのである。人の能力と意欲は凄いのである。
そして、人によって余りに差が大きいのである。差の大きさは能力と言うよりは意欲であろう。考え方であろう。しかし、これは人間性でもある。今ボクの関心は地域の役員である。もうこの「話・話」で何度も書いているが、余りに情けないのである。従来からある組織が瀕死の状態である。海外協力隊に比べれば全く小さな事である。新たな組織の発足はあるのだろうか。ないことが当たり前の社会になるのだろうか。
先日ボクが会長を務めるサロンで「三味線と唄の集い」を催した。50名近い参加者で大いに盛り上がった。ボクが司会を務め、三味線に合わせ斎太郎節を唄った。疲れたが一番楽しんだのはボクではなかろうか。しなければ楽しみもない。みんなの協力を得ればこんなこともできるのだと、喜びもある。