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第98号  2012年6月

2012/06/30(Sat) (第1626話) 胃を切除して 寺さん MAIL

 “私は、二十二年ぶりに二度目の胃がんとなり、とうとう胃が全部なくなりました。術後五日目には、流動食、具なしみそ汁、ホットミルクを三十分かけて「食べて」いました。全国には胃なし状態の人が百万人もおられるようで、私の強がりかもしれませんが「胃なし人」のメリットを聞いてください。
 メタボ完全卒業。若いころのズボンが入る。こんなにもゆっくり舌の上で味わうことができる。殿様みたいに、おいしいものを公然と少しずつつまみ食いできる。
 食べ物に対するありがたい気持ちがわく。食べること(つまり、生きること)がまだできる幸せ。リタイアしているので、食後三十分ゆっくり休める幸せ。三回食では足りないので、六回も食べられる幸せ・・・。
 既に切腹経験者ですから、ダンピング症候群は用心しつつ、これで正式に猪突猛進列車から降り、この「食と時間の豊かさと恵み」へのご招待を受け入れたいと思います。”(6月17日付け中日新聞)

 三重県鈴鹿市の萩森さん(男・63)の投稿文です。胃を切除したことは辛いことだが、なったことは仕方がない、それで良いことはないだろうかと考えた。その結果三つのメリットを見いだした、と言うところであろう。でも、このことは重要でしょう。挽回のきくことであれば、その悔しさを忘れず、糧に頑張れば良い。しかし挽回のきかないことであれば、早く忘れて次に向かった方が良い、またそうしなければいけない。萩森さんは賢明だ。
 食事をゆっくり味わう、これは何も胃を切除した人ばかりでなく、誰もがしなければいけないことである。日本人の食事は早すぎる。口に入りまでにどれだけの人が携わったのか、そのことを考え、感謝しながらゆっくり味わうことは誰にも必要なことである。




2012/06/28(Thu) (第1625話) 雨の日の運転 寺さん MAIL

 “梅雨になると思い出すことがあります。名古屋に住んでいた三十年以上も前のことです。友人に会うため、買ったばかりの白いワンピースを着て通りの歩道を歩いていました。その時、黒塗りの立派な車が勢いよく横を通り抜けました。「あっ」と思った瞬間、雨水がはね、白いワンピースに灰色の模様が広がりました。
 すると数回先でその車が急停止し、スーツ姿の男性が降りて私の所に走ってきました。「すみません。これクリーニング代にしてください。急ぐのでごめんなさい」と言って、手に千円札を握らせました。当時千円は私にとって大金で、しばらくの間ぽかーんとしていた気がします。
 今は水はねを気にせず走るドライバーが多く、登校時の子どもたちの列の横でさえ、速度を落とさずに走り抜ける車を見かけます。雨の日の思いやり運転、心からお願いします。”(6月6日付け中日新聞)

 前回の同じく「雨」と言うテーマで、愛知県愛西市の主婦・日比野さん(54)の投稿文です。ある意味当然と言えば当然な行為である。でもなかなか難しい行為である。特に急いでいるとなるとより難しい。
 この場合ボクならどうなるだろう。飛び跳ねを知ってそのまま走り去ったら、多分いつまでも心に引っかかり、悩むことになるだろう。絶対に止まって謝り、何らかの対応をすべきである。その方が身のためだが、その時の一瞬の判断がどうなるか、急いでいる時だけに今のボクに自信はない。後にゆっくり考える時になってよかったと言える判断が一瞬の時にできるか、これが人の分かれ目である。それには絶え間ない精進であろう。このスーツの男性はそれができていてよかった。




2012/06/26(Tue) (第1624話) 柔らかく謙虚 寺さん MAIL

 “中国の古典『老子道徳経』に「上善は水の若し」という一節があります。上善とは最も理想的な生き方を意味しています。そのように生きるためには、水のあり方に学ぶことだといわれます。
 水には私たちが学ぶべき三つの特徴があります。まず第一に、きわめて柔軟であることです。丸い器に入れると丸くなり、四角い器に入れると四角い形となり、相手に逆らわないで形を変えていく柔軟性を持っています。第二に地球上の生物を助け、育てるという大きな恩恵を与えていながらも、特別に自己を主張せず、だれもが嫌う低いところ、低いところへと流れていきます。そのあり方は実に謙虚です。第三には水はものすごいエネルギーを内に秘めています。急流ともなれば硬い岩をも打ち砕いてしまう力があります。
 水は、最後に打ち勝つちのは柔らかさや謙虚さだと教えているのです。水を人生の手本としたいものです。”(6月6日付け中日新聞)

 「水」と言うテーマで、滋賀県長浜市の中川さん(男・67)の投稿文です。「水」は人間にとって非常に大切なもので、また怖いものの代表格である。その水から良い人生訓を得る、古典にはいろいろな知恵が詰まっているものだ。
 水についての人生訓を探してみたら「黒田如水 水五則」と言うのを見つけました。
  1つ 「自ら活動して他を動かしむるは水なり」
  1つ 「常に己の進路を求めて止まざるは水なり」
  1つ 「障害にあい激しく其の勢力を百倍し得るは水なり」
  1つ 「自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せて容るるの量あるは水なり」
  1つ 「洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり雪と変じ
      霞と化して凝っては玲瓏たる鏡となり而も其性を失はざるは水なり」
その他、「水至りて渠成る」「水清ければ月宿る」「水積もりて魚集まる」「水積もりて川となる」「水は方円の器に従う」等々、いくつもあるのである。「水の恩ばかりは報われぬ」である。




2012/06/24(Sun) (第1623話) 報われた行為 寺さん MAIL

 “主人と三重県へ山登りに行き、下山する途中、大岩で休もうとした時にカメラが置いてあるのに気付いた。誰かが忘れて行ったのだろう。「この枝に掛けておく?」「登りの人なら、置き忘れに気付けば戻って来るだろうけど、気付かずに別のコースを下山するかも・・・」「それに、雨が降ってきたら・・・」主人といろんなケースを想定しながら考えた末、預かって下山し、警察へ届けることに。しかし、歩きながらもまだ迷っていた。《持ち主が大岩に戻って来て、その場にカメラがなかったとしたら残念がるだろうな・・・。でも、今更、戻れないし・・・》
 しばらくして、ご夫婦が登って来るのが見えた。そして「ひょっとしてカメラ見ませんでしたか?」。あまりのタイミングの良さに興奮しながら「ありましたよ! はいっ」。
 「ありがとう。二重にうれしいです。一つはカメラがあったこと。もう一つは、もう登らなくてもいいこと。本当にありがとう」
 判断が良かったのかどうか迷い続けていただけに、途中で持ち主に出会えてほっとした。報われたような気がしてご夫婦の後ろ姿に感謝し、私たちも足取り軽く下山した。”(6月6日受け中日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・鈴木さん(58)の投稿文です。置き忘れや落とし物を見つけた時、どうするか、この話のようにどうしようか迷う時って、よくありますよね。その場所の分かりやすいところに置いておいた方が良いのか、どこかに届けた方が良いのか、見つけたばかりに悩むことになる。ねこばばする勇気はない、知らぬ振りするほど不親切ではない、自分の性格と見つけたことを恨みがましく思う。それがこんなに運良く相手に渡せれば、ホッとすると共に嬉しくもなろう。
 このHPで紹介した「腕輪紛失顛末記(http://terasan.dousetsu.com/zu069.html)」はある施設内だったので、処理は比較的簡単です。なくしたことに気づいた人はほとんどの人が施設の管理者に問い合わせるだろう。だから施設の管理者に届けておけば良い。この山のような場合は全く難しい。警察に届けた場合、なくした人が警察まで問い合わせるかどうか分からない。問い合わせても見つかるかどうか分からない。ボクは警察に届けて相手に渡ったか知らされたことも、なくしたものを警察で受け取った経験もないのでよく分からないが、判断がよくできない。




2012/06/22(Fri) (第1622話) ゲームとサーカス 寺さん MAIL

 “世界十カ国の出演者が、空中ブランコやジャグリングで華麗な演技を披露する「ポップサーカス」が一宮市で始まった。各地で開催準備を担当する下垣純さん(三六)は、時間があれば、会場の脇から観客席の子どもたちに熱い視線を送る。注目するのは顔と手元。「ライバルは今、携帯ゲーム機なんです」公園や大型ショッピングセンター、ファミリーーレストラン。いたるところで、ゲーム機に熱中する子どもの姿を見かける。それはサーカス会場も同じ。直前の別の公演で、下垣さんは、目の前のステージで演技をしている時にゲーム画面に向かう子どもを見つけた。「ショックだった」
 しばらく見つめていると、ふと顔を上げた。そして前のめりになり、舞台に夢中に。「生ならではの迫力。音楽と動きの一体感。本物の良さが伝わったと思うんですよ」。心の中でガッツポーズを決めた。「ゲームも娯楽として素晴らしい。でも目の前の技を見て。見とれるから」。下垣さんの思いを込めた口ぶりから、人聞か動く舞台への愛着を感じた。”(5月31日付け中日新聞)

 アメリカ西海岸の旅行に出かけていて少し中断しましたが、今日からまた隔日掲載をめざしていきます。
 今回はもうだいぶ以前の新聞になりますが、記事からです。ボクはやらないからよく分からないが、どうして大人も子供もあれだけ携帯ゲームに夢中になれるのだろうか。所詮器械との1人遊びである。危険を冒してやっているサーカス会場に来てまでこれでは関係者は嘆かざるを得ない。でも、本物の素晴らしさに気づけば、やはり引き込まれるようだ。大人はまあいい、いろいろ知っての上である。子供らはまだいろいろ知らない。知らせねばいけない。大人はこの努力をすべきだろう。下垣さんは嬉しかったろう。
 ボクの孫やその親は誰も携帯ゲームにはまっていない。と言うか、持ってもいない。好ましいことだと思っているが、孫は同級生らとどのような付き合いをしているのだろうか。少し気になるところでもある。




2012/06/11(Mon) (第1621話) 父の言葉 寺さん MAIL

 “父から誕生日のお祝いに、幸せに生きるための十ヵ条の手紙をもらった。毎朝、読むことを習慣づけている。その中で、いつも守るのは難しいが、生きていく指標となる項目が二つある。
 一つは、どんなことがあっても他人を非難しない。苦しくても、それが幸せに通じていくーという項目。どうしても他人から嫌な態度や言葉を受けると怒れてくるし、批判したくなってしまう。でも、いつも父から贈られた言集を思い出して怒りを鎮め、心を改めている。それによって人と言い争うこともなくなり、自分自身も救われ、人間関係が壊れることなく、良好になる。
 もう一つは、すべての人々に感謝。感謝の気持ちで生きれば、日々が幸せになっていくーという項目。私は人の好き嫌いが激しく、これもなかなか行うのは難しい。でも、父からもらった大切な言葉を守って実行していきたいと思う。いつも笑顔で、幸せいっぱいの人生を歩んでいきたい。”(5月30日付け中日新聞)

 三重県四日市市の家事手伝い・奥山さん(女・46)の投稿文です。いつお父さんからお受け取りになったのでしょうか、文面からはそんな古いこととは思えません。40歳過ぎの娘さんに10箇条の人生訓を書いて送る、送る親も素直に聞く娘さんも素晴らしい、良い親子関係だ。ボクが素晴らしいと思うだけで、こういう親子関係は特別なことではないのだろうか。素直に言い合える、痛いことも言える、ボクにはなかなか難しいことです。
 何事も非難しない、何事にも感謝する、できそうでできない代表的なことです。この割合をどの程度に高められるか、どの程度に高いか、これが人格の程度を決めるでしょう。少しでも高める精進をしたいものです。




2012/06/09(Sat) (第1620話) 花の歩道 寺さん MAIL

 “岩倉市中心部の歩道で季節ごとの花を育てる活動を始めた市内のボランティア団体「わくわく会」が歩道の花壇にヒマワリの苗千五百本を植えた。市の玄関口となる道路を花いっぱいにしようと整備を始めて半年。満開となる夏に向け、第一弾となる苗が花壇を埋め尽くした。
 整備しているのは、県道149号沿いの北側歩道で、名鉄岩倉駅に近い本町前田の踏切から西へ百mの区間。一宮市と小牧市の行き来にも使われるため、車や歩行者が多い。隣町に住む発起人の無職小沢宏造さん(六七)も通行する機会が多く、花の道にできないかと発案。一月に友人ら三十人で団体を結成し、市を通じて県から整備許可を得た。
 毎週土、日曜の二回、美化活動をしているメンバーたち。ごみ拾いや花壇の雑草抜き、肥料の散布など、花が育ちやすい環境を整え、五月中旬に苗を植えた。ヒマワリは七月上旬に花をつけ、全長百二十cmまで育つという。開花後は市民にプレゼントし、八月には秋に向け、コスモスの種まきに取りかかる。(後略)”(5月29日付け中日新聞)

 記事からです。この場所はボクが通勤で通る場所です。整備が始まった時、何が始まるのかなと思いました。そして、ひまわりの苗を植えている時にも通りました。そうだったのかと納得しました。そしてこの記事です。いきさつも分かりました。もうだいぶ大きくなっています。花の咲くのが楽しみです。
 こうした運動も多くなってきました。と言ってもそんなに見かけるわけではありません。ボクの村にはありません。こうしたボランティア団体を立ち上げるのはそんなに簡単なことではありません。中心となる人には固い意思と相当な努力が必要です。小沢さんはどのようにされたのでしょうか。近くに良い例ができました。




2012/06/07(Thu) (第1619話) 家族で交換日記 寺さん MAIL

 “わが家では、父の物忘れに対処するために家族で日記をつけています。父の物忘れが八十歳になったころからひどくなり、伝えたことも「聞いていない」と怒り出すことが増えました。
 それは家族にも負担ですが、父の心の健康にも良くありません。母と相談し、ノートを一冊用意し、連絡事項やきょうあったことを三人が三様に書き込むことにしました。直接話す時間が多かったり、連絡事項がない時は書かないことがありますが、この三人の交換日記はすでに一年二ヶ月以上続いています。最近、体調が良くないので父の書き込みは少なくなっています。それでも父は毎日ノートを読むのが楽しみなようです。このノートを始めてから、父は穏やかになり、怒りだすこともなくなりました。
 私たち家族にとって、このノートは連絡事項だけではなく、面と向かっては照れくさくて伝えにくい言葉も伝えることができるため、大切な生活の一部になっています。”(5月24日付け中日新聞)

 三重県松坂市の英語塾経営・亀井さん(女・40)の投稿文です。交換日記といえば恋人同士が交わすもの、また親子くらいかなと思っていましたが、いろいろな形、知恵の出し方があることに感心しました。物忘れが激しくなると文字にすることは大きな知恵です。メモ程度のことからこのような日記に発展したことは良い家族関係がないとできないでしょう。そして、文字にすると言葉ではなかなか言えないことも伝えやすくなります。いろいろな派生効果が出てきます。文を作る、文字を書く、亀井さんやお母さんにも思いもかけない良い効果を生むでしょう。長く続けられることを祈っています。




2012/06/05(Tue) (第1618話) 旭天鵬優勝 寺さん MAIL

 “モンゴルと日本との懸け橋を築いた師匠に「第一期生」が賜杯をささげた。大相撲夏場所で二十日、史上最年長での初優勝を果たした旭天鵬(37)=友綱部屋。モンゴル出身力士の先駆けとして角界に誘い、育ててくれた元大島親方(元大関旭国)の太田武雄さん(65)は四月に定年退職。部屋を移って最初の場所でまさかの大輪の花を咲かせた。
 優勝を決めてタオルで涙を拭いながら花道を引き揚げると、待っていたのは退職したばかりの師匠。「頑張ったな」。短い言葉とともに差し出された手を強く握った。(中略)
 最初はなじめず、半年後に帰国した。二カ月後、旭天鵬はモンゴルまで迎えに来た親方の姿に目を疑った。「年に一回は帰らせてやる。だから強くなれ」。言葉に心を打たれて日本に戻った。2005年、角界に骨をうずめることを決めて日本国籍を取得。姓には迷わず「太田」を選んだ。親方の定年を控え、引退して部屋の継承を考えた時期もあったが「やれるところまでやれ、と言ってもらえた」。現役を続け、優勝にたどり着いた。「親方をはじめ、いろんな人に支えられたおかげ」(後略)”(5月21日付け中日新聞)

 記事からです。今回の旭天鵬の優勝にはいろいろな記録がつきました。そして記事を読んでみて、これまでの出来事や努力を知りました。大島親方の人を見る目、熱意、愛情が実った形になりました。それに本人も応えたと言うことでしょう。棚ぼたのような優勝だったかもしれませんが、それでもはやり一朝一夕ではいきません。この棚ぼたも誰にも落ちるわけではありません。それなりの努力や苦労を乗り越えて初めて落ちるのでしょう。おめでとうございました。そしてこの優勝は努力していてもなかなか芽の出ない人に大きな希望を与えたことでしょう。




2012/06/03(Sun) (第1617話) 通勤電車 寺さん MAIL

 “その女性は、いつも僕の前に立つ。朝の通勤電車でのことだ。どんなに混んでいても人ごみをかき分け、僕の前でニコリと微笑む。時には僕の前にたどり着き、よかったという安堵の表情を浮かべてくれる。
 その姿を見て、間違いなく僕に気があると思った。内気な彼女は、口に出せない思いを笑顔や安堵の表情で精一杯伝えようとしているのだろう。わずか三駅だけのランデブーだが、楽しい一時だった。
 ある日、ついに僕は声をかけた。「いつもお会いしますね」「ありがとうございます。毎日、幸せです」「ぼ、僕もです」「あなたがこの駅で降りることに気づいてから、通勤が楽になりました」
 彼女は僕が今まで座っていた席に、いそいそと腰を下ろした。”(5月20日付け中日新聞)

 「300文字小説」から茨城県高萩市の団体職員・沖さん(男・49)の作品です。この「話・話」は肩の凝る話ばかり集めているので、今回は少し気晴らしです。
 サラリーマンにこんな体験が思い当たる人は結構あるのではないでしょうか。実はボクにはあります。この人の前に立てば次の駅で座れる、欲が見え見えで少し気恥ずかしさもありましたが、この幸運はそんなに簡単に手放せません。そんな時期がありました。但し残念ながら、その人は妙齢の女性ではありませんでしたが。
 通勤というのは面白いものです。例えば、見知らぬ人が毎日同じ扉から乗り、同じ席に座る。行動はほとんど変わらない。それでもほとんど話すことはない。不思議な風景です。その他車内ではいろいろな風景が見られます。人間性もよく現れます。「話・話」でも取り上げていることが多いでしょう。前回もそうでした。少し意識すれば沖さんのような300文字小説なら書ける出来事もよく見かけるでしょう。沢山の風景が紹介されることを期待したいものです。




2012/06/01(Fri) (第1616話) ある日の出来事 寺さん MAIL

 “小雨が降るある日の昼下がり。デパートから帰る途中のバスの中でのことでした。私の前の席に、若いお母さんと赤ちゃんが座っていました。幾つかのバス停を過ぎ、あるバス停に止まった時でした。一人の若い男性がすーっと立ち上がり、ベビーカーを持ちました。その後ろに若いお母さんが赤ちゃんを抱っこして続き、降車口に向かいました。てっきり夫婦だと思いましたが、いったんバスから降りたその若い男性が急いで車内に戻ってきて元の座わったのを見て私は《ああ、二人は夫婦ではなく、若い男性が女性の降車を手助けしようとしたのだな》と気付きました。
 そして、次のバス停でその男性も私も降りましたが、降り際にバスの運転手さんが彼に「先ほどはありがとうございました。助かりました」と、お礼を言っていました。これもまた心温まる一こまで、再び、ほのぼのとした気持ちになりました。私もその若い男性の行動に心から拍手を送りたいと思いました。外の雨は、いつの間にか上がっていました。”(5月18日付け中日新聞)

 浜松市の田中さん(男・78)の投稿文です。人に親切にすることは、できそうでなかなかできない行動である。特にこうした見ず知らずの人となればよりである。気がついたらすぐに行動に移さねばいけない。タイミングを外したらもうできない。常の心がけ、気配り、状況の把握などできないといけない。小さいことながらもう人格に関わることである。
 この場合、若い男性と赤ちゃんを抱いたお母さんとの間にどのようなやりとり、意思疎通があったのだろうか。多分、目と目で、あうんの呼吸があったのであろう。そしてこの様子を運転手さんも、この投稿をされた田中さんも温かい目で見つめていたのだ。いい風景である。
 一昨夜ナゴヤドームへ野球を見に行った帰り、電車内で席を譲られてしまった。ニコニコしてお礼を言って座りました。これはボクがひ弱い老人に見えたばかりでなく、妻が座れたのでその隣を譲ってくれたという、もう一つ別の配慮があったと思う。


 


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