2011/06/27(Mon) (第1465話) せっかくだもの |
寺さん |
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“近頃「せっかくだもの」と口にする機会が多くなりました。そんな話を友人にすると、皆一様にうなずきます。明日のことは分からないと切実に感じる昨今だから、より今を惜しみ、慈しむ気持ちが強くなったのかもしれません。 先日、ある美術展のギャラリートークに参加したときのこと。私は最前列に陣取って、学芸員さんの作品解説に聴き入りました。まさに、「せっかくだもの」です。たまたまこの様子が、美術展を紹介する新聞記事に載りました。前のめり気味の私の姿を見つけた娘は「お母さんって分かりやすい」と苦笑いです。 旅、ドライブとなれば、私の中の「せっかく」度は増します。ゴールデンウイークに出かけた金沢。兼六園を散策中にお茶席を見つけて抹茶を頂きました。お菓子は2種類。薄紫の方はアヤメかショウブを模したものと分かりましたが、若草色に白い水玉の方は検討がつきません。せっかくなので尋ねてみると、ハナショウブと卯の花だとのこと。ウツギの白い小花が思い浮かび、じっくり味わうことができました。 「せっかくだもの」は今身を置くこの時間をより充実させるスパイスです。”(6月15日付け朝日新聞)
愛知県一宮市の主婦・佐々木さん(49)の投稿文です。「せっかくだもの」とは「せっかくの機会だから」と言う意味で、せっかくの与えられた機会を生かす、と言うことであろう。積極的な姿勢である。「明日のことは分からないと切実に感じる昨今だから、より今を惜しみ、慈しむ気持ちが強くなった」といわれるが、佐々木さんは49歳である。人間の宿命は一寸先も分からないから年令は関係ないかも知れないが、それでもボクに比べれば遙かに余裕がある。「せっかくだから」はまさに我々年代の言葉である。もうこの「話・話」で何度も書いたが、ボクの机の上には「今が本番、今日が本番、そのうちはもうない」と言う文が置いてるが、これも「せっかくだから」に通じると思う。 ボクは結構若い時から「チャンスは誰にもある。違いはそのチャンスを生かすか、ただやり過ごすかである」と言うことをよく言ってきた。これはボクの川柳やウォークのことを言っている。こんなことに無縁であったボクが川柳は30年、ウォークは20年近くやっている。これはボクの自信にもなっている。こんな機会は誰にもあったろう。他のことも同じである。当然ボクも他の多くのチャンスを逃してきた。
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