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第86号  2011年6月

2011/06/29(Wed) (第1466話) ダイヤの次 寺さん MAIL 

 “「おい、ダイヤの次は何だったかなあ」「えっ、何?」「だから、金、ダイヤ、その次だ」「あっ、結婚記念日のことね。さあ、何て言うのかしら・・・」私たちの結婚は敗戦直後の昭和二十年九月である。六月の大空襲で市街地はまだ一面の焼け野原。もちろん満足な店など一軒もなかった。
 私は結婚当日の朝、三里以上離れた戦友の漁師の所へ自転車を走らせて、魚を四、五匹もらってきたのが唯一のごちそうだった。午後、花嫁はがたがたの田舎道を輪タクに揺られてやってきた。あれから、もうすぐ六十六年。留守火事で丸焼けになったり、子どもを残して夫婦とも入院してみたり、いろいろなことがあったが、二人で何とか乗り切った。
 五十周年の金婚式も六十周年のダイヤモンド婚式も済んだ。娘によると次は七十五周年のプラチナ婚式。それは少し無理かもしれないが、あと四年で七十周年を迎える。
 《これを目標にして頑張ろう。東日本大震災であんな大変な目に遭った人々も立ち上がったんだ》。格好いいことを言って振り向いたら妻の姿はなく、台所の方からことことと音が聞こえてきた。”(6月18日付け中日新聞)

 愛知県豊橋市の白井さん(男・90)の投稿文です。昭和20年9月と言えばちょうどボクの生まれた時である。その時に結婚式を挙げたと言われるからまさにボクの年齢と同じ年月の結婚生活である。古稀は70歳、「古来より稀なり」の語源というが、今や70歳は古来稀なりどころか、平均寿命でさえ遙かに超えてしまった。なれば、金婚式も珍しいどころではなくなった。そうはいいながらも、離婚率は上がるばかりであり、熟年離婚と言う言葉もある。夫婦共に70歳、80歳を超え、円満に夫婦生活を送ることはたやすいことではない。白井さんは60周年を終えられ、65周年も過ぎ、75周年をめざされる。まずは希有にめでたいことである。ボクはまだ40周年を過ぎたところ、まだものが言える年数ではない。
 それにしても感心するのは90歳にしてこのようなしっかりした文が書けることである。




2011/06/27(Mon) (第1465話) せっかくだもの 寺さん MAIL 

 “近頃「せっかくだもの」と口にする機会が多くなりました。そんな話を友人にすると、皆一様にうなずきます。明日のことは分からないと切実に感じる昨今だから、より今を惜しみ、慈しむ気持ちが強くなったのかもしれません。
 先日、ある美術展のギャラリートークに参加したときのこと。私は最前列に陣取って、学芸員さんの作品解説に聴き入りました。まさに、「せっかくだもの」です。たまたまこの様子が、美術展を紹介する新聞記事に載りました。前のめり気味の私の姿を見つけた娘は「お母さんって分かりやすい」と苦笑いです。
 旅、ドライブとなれば、私の中の「せっかく」度は増します。ゴールデンウイークに出かけた金沢。兼六園を散策中にお茶席を見つけて抹茶を頂きました。お菓子は2種類。薄紫の方はアヤメかショウブを模したものと分かりましたが、若草色に白い水玉の方は検討がつきません。せっかくなので尋ねてみると、ハナショウブと卯の花だとのこと。ウツギの白い小花が思い浮かび、じっくり味わうことができました。
 「せっかくだもの」は今身を置くこの時間をより充実させるスパイスです。”(6月15日付け朝日新聞)

 愛知県一宮市の主婦・佐々木さん(49)の投稿文です。「せっかくだもの」とは「せっかくの機会だから」と言う意味で、せっかくの与えられた機会を生かす、と言うことであろう。積極的な姿勢である。「明日のことは分からないと切実に感じる昨今だから、より今を惜しみ、慈しむ気持ちが強くなった」といわれるが、佐々木さんは49歳である。人間の宿命は一寸先も分からないから年令は関係ないかも知れないが、それでもボクに比べれば遙かに余裕がある。「せっかくだから」はまさに我々年代の言葉である。もうこの「話・話」で何度も書いたが、ボクの机の上には「今が本番、今日が本番、そのうちはもうない」と言う文が置いてるが、これも「せっかくだから」に通じると思う。
 ボクは結構若い時から「チャンスは誰にもある。違いはそのチャンスを生かすか、ただやり過ごすかである」と言うことをよく言ってきた。これはボクの川柳やウォークのことを言っている。こんなことに無縁であったボクが川柳は30年、ウォークは20年近くやっている。これはボクの自信にもなっている。こんな機会は誰にもあったろう。他のことも同じである。当然ボクも他の多くのチャンスを逃してきた。




2011/06/25(Sat) (第1464話) 人は見ている 寺さん MAIL 

 “新城市の溝□実穂さん(四二)は毎朝、ご主人を車で勤め先まで送って行く。ある日のこと。家を出るときにはやんでいた雨が、帰り道で再び降り出した。ワイパーをつける。道行く人たちも傘を差し始めた。
 ふと見ると、おばあさんが台車を押しながら歩いている。今日は可燃ごみの収集日。きっと雨がやんだので「今のうちに」と収集場所まで出掛けたのだろう。ところが、また雨が・・・。「気の毒に」と思った次の瞬間の出来事だった。通りかかった新城高校の女子生徒が、そのおばあさんに傘を差し掛けた。おばあさんは手を横に振って遠慮するようなしぐさをした。「近くだから大丈夫です」と言っているかのように見えた。
 溝口さんは幼いころから母親に言われてきたことを思い出した。「人に親切をすると自分に返ってくるよ。でも親切をした人からではない。どこかで誰かが見ていてくれて、他の人があなたに親切にしてくれるのよ」。そう信じて人に優しくするように心掛けてきたという。(中略)
 「きっと私の他にも彼女の行動を見ていた人がいるでしょう。きっと良い事がありますよ」と溝口さん。「あなたを見て一日中ずっと幸せな気分になりました。あらためて私も人に親切にと思いました。優しさのお裾分けをし合ったら世界は変わるでしょう」とも。”(6月12日付け中日新聞)

 志賀内さんの「ほろほろ通信」からです。「情けは人のためならず」と「恩送り」の話である。「情けは人のためならず」という言葉を「情けはその人のためにならない。だからしてはいけない」と誤解している人も多いと聞くが、この言葉の意味は「情けは人のためではなく自分のためである。人に情けをかけておけば、巡り巡って自分のためになる。どんな場合にも人に親切にしておくべきだ」と言う意味である。「恩送り」とは「受けた恩を別の誰かに送る。その誰かが、また別の誰かに送る。」ということである。恩送りについてはこの「話・話」で、709話、1132話、1133話、1372話でも扱っている。
 「人の良い行為を見て幸せな気分になる」と言われる方はそんな社会を願っておられるからであろう。それは多くの人にあるであろう。やはり心せねばならないことである。先日、車内で聞こえてくる会話からつい言葉を挟み教えてあげたことがある。勇気が要ったが、お礼を言われていい気分だった。




2011/06/23(Thu) (第1463話) 「もう一箸おくれ」 寺さん MAIL 

 “「もう一箸おくれ」このすてきな言葉に心躍らされたのは、四十年ほど前のことでした。
 小麦畑が黄金色に輝くころは、祖父が一番活躍した季節でした。印ろうときせるを腰に付け、野良仕事に。昼時、大きなしわだらけの手の中に納まった茶わんを高々と掲げて「もう一箸おくれ」と私の目の前へ。上品なすてきな言葉を初めて耳にして、感動したことを覚えています。大好物の魚を前に、お代わりする祖父。目をつむり、味をしっかりかしめているかのように食べている祖父の顔を、かしわ餅を作りながらふと思い浮かべました。
 祖父と一緒に暮らした七年間、わが家流の農事暦や年中行事を教え込まれました。その行事のーつが、今回祖父を思い出すきっかけとなったかしわ餅作りでした。「もう一箸おくれ」。現代離れしたこの言葉は、ご飯を盛りつける私を古い時代へと導いてくれるようなわくわくした気分にさせてくれました。
 祖父は既に亡くなってしまいましたが、「もう一箸おくれ」と私も言ってみたくて、このすてきな言葉を胸の中でずっと温め続けています。そしていつか、誰かに聞いてもらいたいと思っています。”(6月11日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・熊谷さん(62)の投稿文です。言葉は生き物である、と言われるが如く次から次へと新しい言葉が生まれていく。そして、失われていく。この「もう一箸おくれ」は昔聞いた気もするが、その後ほとんど覚えがない。熊谷さんと同じようにボクも上品さを感じる。直接的ではなく、奥ゆかしさがある。
 こういう言葉が無くなっていくのはある程度やむをえないが、日本語をカタカナ言葉に置き換え、そのうちその日本語を古くさいという。そして使わなくなっていく。これが日本の現状ではなかろうか。これほど自国の文化をおろそかにしている国民があるだろうか。
 そして古くさいという日本語には直接的でない表現が多い気がする。それが奥ゆかしさである。そしてある程度の知識と「察する」気持ちがないと理解できない。これが嫌われる理由でもあろうが、こういう言葉を嫌う人種はますます鈍感になるだろう。鈍感な人間が多くなると社会はますます住みにくくなる。




2011/06/21(Tue) (第1462話) 名無しミカン 寺さん MAIL 

 “八人の孫の先陣を切って、年長の男の子が先日、結婚式を挙げました。私たち夫婦がミカン栽培に携わって五十数年。この孫は幼いころ、母親と一緒に収穫をよく手伝ってくれました。その孫から、わが家で誕生した新種のミガンを試食してもらうため、披露宴会場に送るように頼まれたのは一年前。その時、孫は「このミカンが何に変身するか楽しみにしていてね」と話してくれました。
 このミカンは、時季外れに食べるように、夏ミカンと温州ミカンを掛け合わせたわが家のオリジナルミカンで、三年前から実り始めました。名前はまだありません。そのミカンを結婚式の一カ月ほど前に孫が収穫し、披露宴用にと会場に届けました。
 そして、披露宴当日。私たちに披露されたのは、あのミカンで作ったケーキ。大きな拍手の中で孫は主人の□に、お嫁さんは私の口に、そのケーキを入れてくれました。感動で涙があふれました。このアイデアを考えた孫夫婦、時間をかけて考え、おいしいケーキに変身させてくださった披露宴会場の皆さん、ありがとうございました。幸せな二人に、このミカンの名付け親になってもらいたいと思っています。”(6月4日付け中日新聞)

 浜松市の主婦・竹下さん(75)の投稿文です。孫にここまで慕われる竹下さんは幸せですね、いい話です。それだけ優しく接してこられたのでしょう。この孫さん夫婦はよくここまで考えられたものだ、立派なものです。
 この文で、樹木などもオリジナルなものを作ることは専門家でなくても個人でもできるのだ、と言うことを知らされた。考えてみれば知らなかった訳ではない。いろいろな野菜を一緒に作り、その種を取る。すると、近くのものが交配して元のものでなくなっている。ボクは種もできるだけ自分で取るようにしているので、往々に経験することである。新にできたものが、従来のものより優れていればそれを増やしていけばいい。ミカンでも同じであった。目的を持って望めば農作業は楽しいものである。科学者気分にもなれるというものだ。ボクの農作業ももう少し楽しみたいものだ。




2011/06/19(Sun) (第1461話) 充実の生活 寺さん MAIL 

 “五月二十三日の本欄「健康ライフに『三かく主義』」になるほどと拍手を送りたいと思いました。人それぞれに生き方、暮らし方が異なりますが、目標なり、指針を持って過ごすかどうかが充実した生活のバロメーターといえるかもしれません。
 十二年前に中学の還暦同窓会が聞かれました。その折、恩師から生きる一つの心構えとして、数字にちなんだ一日に実行するとよいことを教わりました。
 一は一回自分を褒める。十は十回は腹の底から笑う。百は百回深呼吸する。千は少なくとも千字の文字を書く。万は一万歩歩くことです。
 これらは自分自身の心身ともに健康を目指すものであり、私はさらに人にも自然にも思いやりを持って生活する大切さを学びました。今回の東日本大震災に思いをはせ、慈しみ、あわれみ、やさしさを持ち続けたいと思っています。”(6月4日付け中日新聞)

 愛知県阿久比町の石橋さん(男・71)の投稿文です。この数字にちなんだ教えも以前紹介した気がするが、いつだったか見いだせない。こうした教えを1つでも身近にして暮らしていくことは、漠然と過ごすことに比べれば大きな違いであろう。年月がたてばたつほど違ってくるだろう。この数字にちなんだ教えでボクに難しいと思われることは、十と百であろうか。これは十分の一もできていないと思う。心がけたいものだ。
 こうしたことを身につけるには、身に付くまではよく見えるところに書いて貼っておくことであろう。今、ボクの机に上には「今が本番、今日が本番、そのうちはもうない」が貼ってある。今日できたことが明日にはもうできなくなるかも知れない。毎日を大切にしたいと思っている。




2011/06/17(Fri) (第1460話) サマータイム 寺さん MAIL 

 “米国南部の大学で社会学を教えています。三ヵ月間の夏休み中、今までに数回、小、中学、高校の先生らを引率して日本に来ました。到着した翌日、朝の五時前に空か明るくなり、皆さんびっくりです。でも、すぐ夕方になってしまい、とても残念そうです。
 私の住むリトルロック市では、三月から十一月までほぼ全米で実施されるサマータイムになります。夏休み中は、夜八時を過ぎても外は明るく、気分も爽やかです。市内の公園では、仕事から帰った親と一緒に子どもたちが野球やサッカーをし、大人はテニスやウォーキングなどをして楽しんでいます。
 サマータイムは光熱費の節約になるほか、屋外で野菜作りやバーベキューをするなど、家族が一緒に楽しむ時間も増えます。有効活用することで幸せな気持ちになるのです。”(6月1日付け中日新聞)

 米アーカンソー州の大学教授・伊藤さん(女・53)の投稿文です。サマータイムを取り入れている国から日本に来て驚いた。ボクは先日中欧へ行き、サマータイムの時期でその感覚にずっと戸惑っていた。サマータイムとは、夏の間の日の長い期間に、時計を1時間進めて昼の時間を長くする制度で、欧米を中心に世界の約80ヶ国で実施されているという。長くなった時間で余暇を楽しむことができ、照明や冷房の省エネルギー対策としても期待されているともいう。
 サマータイムは明るい時間の多い夏の時間をどう振り分けるのか、と言う問題で、朝方の時間を減らして夕方に回す、と言うのがサマータイムであろう。夕方にまとまった時間にすれば、運動や学習、家族や近隣のふれあいなどができると言うことである。日本ではその時間が残業になってしまう、ということで取り入れられないらしい。本当にそんなことだとすれば、経営者や国がその気になれば防げることである。人間関係がおかしくなっている現在、いい環境作りは重要なことである。目の前の利益を図って大きな禍根を残す愚かは避けねばならない。より健全な国民を育むことは経営者や国の義務である。省エネにもなるという。省エネも大きな課題になった現在、もう一度本気で検討してもいいのではなかろうか。日本銀行が7月から9月にかけてサマータイムを取り入れる記事が出ていた。




2011/06/15(Wed) (第1459話) 幸せ者 寺さん MAIL 

 “女優の川島なお美さんがテレビでこんなことを言っていました。「夫のいいところを書き出してみました。その後、けんかをしても、夫のいいところを思い浮かべると怒りも消え、旦那さまを見直すようになりました」
 私も早速、書き出してみました。すると・・・。「『損だ』『得だ』と言わない」「人のために尽くしても自慢したり恩に着せたりしない」など、あるわ、あるわ。七十近くもありました。あらためて主人の偉大さを感じたのでした。
 「ん?」と思うようなところもあるけれど、いいところと比べたら何でもない。許せることばかりだわ》と思うようになりました。こんないい人に巡り会い、私って本当に幸せ者》とつくづく感じ、心の中で《お父さん。私と四十三年間連れ添ってきてくれてありがとう》と手を合わせました。
 人はそれぞれ長所、短所がありますが、悪いところばかり見ずに良いところも見るようにして接していけば、結婚生活も長続きするのではないかと思い、今の幸せに感謝しています。この先五十年、六十年、連れ添えたらと願っています。”(5月28日付け中日新聞)

 愛知県碧南市の主婦・板倉さん(66)の投稿文です。先日の「美点」と全く同様な話である。先日は恋人の話であったようだが、今回は配偶者の話である。配偶者の美点を見つけることは恋人より遙かに・・・数十倍数百倍も難しいであろう。相思相愛もいつの間にか飽き飽きして短所ばかり目に付く夫婦も多かろう。板倉さんは熟年離婚と言われる時期も乗り越え、こんな話ができるようになられたのであろうか。相手の良い点に気づくことは相手のためではない、自分のためである。まさにそんなことを言っている投稿である。
 この「話・話」も良い点を見つけると言うことは同じである。社会のいい話を見つけて紹介する。社会が好きになり、人間が好きになる。そうでもしていないと、今の社会は全くやりきれない。




2011/06/13(Mon) (第1458話) 三かく主義 寺さん MAIL 

 “私は「三かく主義」を実行して現在に至ります。
 まず第一に「汗をかく」。これは言わずと知れた運動です。歩いても走ってもよいのですが、八十代ともなれば無理はできません。現役を退いてから実行して十二年ほどですが毎日四千〜五千歩は歩いています。第二に「字を書く」。脳の活性化です。手帳とペンは常時ポケットにあり、見たり感動したことなどを書き留めます。夜または翌朝に日記を書くときの参考になり日記も楽に書けます。「昨日の晩ご飯のおかずは?」と聞かれても咄嵯に答えられなくなった現在、メモ帳は欠かせません。第三は「恥をかく」。これは新しいことに挑戦することです。私の場合は俳句。最初は季語のことを知らず、知人から指摘されました。歳時記を購入し、現在は趣味として多くの同人と楽しんでいます。「三かく主義」のおかげて何とか健康に過ごしています。”(5月28日付け中日新聞)

 名古屋市の成瀬さん(男・81)の投稿文です。運動と文字、そして積極的な行動、高齢者には疎くなる要素である。体を動かすのも難儀となり、仕事を辞めれば文字の必要性も少なくなる。積極的な行動については、何を今更と言うことになる。これではますます老化は進む。高齢になった時の必要性は?・・・・少しでも元気で過ごすことが責任、義務である、ということである。国や若い人の負担を少しでも少なくして生を全うする、高齢者に必要なことである。いや、三かく主義は何も高齢者どころか、今の若い人にこそ必要なことであるかもしれない。
 この三かく主義については、この「話・話」の2004年7月29日の「(第24話)三かく運動」として紹介している。それ以来、もう7年になるのか・・・ボクは十分な実践者といえよう。ウォーキングは未だ続けているし、「話・話」で文も書き、恥もかいている。




2011/06/11(Sat) (第1457話) タイムカプセル 寺さん MAIL 

 “先日、四十歳の誕生日を迎えた。節目の誕生日ということで父から思いがけないプレゼントをもらった。それは段ボール箱に詰まった幼い日の思い出の品々であった。
 小学生時代の夏休みの作品、卒業文集、通知表や「風の道」と題する自分の作文集など・・・。さらに家族で旅行した宮崎県・青島の海岸で拾った貝殻の標本もあった。
 すっかり忘れていた品々を見て、三十年ほど前にタイムスリップ。最近では思い起こすこともなくなった小学生時代のことを懐かしく振り返った。
 さらに、父は私の二人の子どものために幼稚園での作品をはじめ、誕生日の新聞、誕生年の紅白歌合戦などをDVDに収録して残してくれていた。これらを引き継ぎ、これからは私が子どものためにタイムカプセルを作ることにした。いつの日か、これらの品々をプレゼントし、私と同じように子どもたちが感動する姿を楽しみにしながら・・・。”(5月19日付け中日新聞)

 三重県亀山市の会社員・後藤さん(男・40)の投稿文です。多分多くの人は、多かれ少なかれ、こんな思い出の品をため込んでいる。しかし、捨てられず何となくであろう。そこをもう一歩積極的に意図を持って行う、そこが後藤さんのお父さんの偉いところであろう。
 ボクは「私の宝物」(http://terasan.dousetsu.com/zu021.htm)の文にも書いているように、多くの紙の思い出の品をため込んでいる。このままではいずれ捨てられる運命である。まとめ直して価値を高めることもできよう。いずれせねばなるまい。またしなければならないことが増えた。




2011/06/09(Thu) (第1456話) 法事 寺さん MAIL 

 “  法事を勤めないと罰が当たりますか。当たりません。それより法事を勤められることが有り難いのです。   釈薫誠
 最近、法事は何回会(忌)まで勤めるのか、また、もし法事を勤めないと罰が当たるかと尋ねられた。今年親鸞聖人の七百五十回会(忌)の法要が勤まるが、一応、我々は五十回会(忌)までは勤めるのが普通である。実はそんなことより、法事をなぜ勤めるのか、その意味を知ることが大事である。それに二つある。一つは亡き人を偲びつつ、もう一つは今現にこうしていのちを頂いていることを確かめることである。子どものない人はいても親のない人は一人もいない。いのちは必ず親をはじめとして多くの人々から綿々と繋がっている。そして、今生きていること自体、多くの大の御陰によっている。いのちを生かされていることに気づく大切な時を亡き人から頂いているのである。だから、法事を勤めること自体が尊いのである。”(5月14日付け中日新聞)

 中村薫さんの「今週のことば」からです。亡き母は「何をしてもしなくても神様も仏様もこんな小さな人間に罰など与えない、そんな了見の小さな方ではない」という意味のことをよく言っていた。神様も仏様も人間を救うことはあっても、不幸に落とすことは無かろう、それはボクにももっともだと思えた。だから法事をしなくても罰など当たらない。それよりもっと肯定的な意味があるのだ。一族郎党が集まる機会を与えてもらうのだ。今の時代、一族が集まるのはこんな機会しかなくなった。そして、話も故人のことに触れず、自分の身の回りの話や世間話に終始することにボクは少し違和感を覚える時があったのだが、それでもいいのである。勤められることがありがたいのだ、そのことに感謝すればいいのである。
我が家も今月は義母と実母の法事を勤めねばならない。いや、勤められるのだ。




2011/06/07(Tue) (第1455話) 美点 寺さん MAIL 

 “「自分の良いところを百個見つけると自分に自信がつき、明るくなれる」と本に書いてあった。私の大切な人は自分に自信がないと言っていたので、自信を持ってもらうために、私が彼の良いところを探し始めた。
 2ヵ月後。案外あっさりと百個見つかり、今では113個になった。一度に全部知らせてしまってはつまらないと思い、毎月一通のはがきに10〜20ぐらいずつ書いて送りつけている。この作業をしてみて、意外なことに気づいた。百個見つけた時の私のこの達成感は何なんだ、見つけた私に自信がついていると。
 悪口というのはすぐに広まるものだ。人の悪いところを一つでも見つけてしまうと、離れてしまう人もいる。だが、百個見つけた私は、相当なことがない限り、彼を嫌いになることはないだろう。たとえ欠点が見つかっても、百個以上良いところを知っていることが、一つの欠点を打ち消すだろう。春の日差しとレジャーシート。これに彼を加えるだけで、とても穏やかで幸せな空間になる。欠点ではなく良いところを見つけること。この作業を私は心から勧める。”(5月12日付け朝日新聞)

 茨城県小美玉市の保育士・井坂さん(女・25)の投稿文です。この文が25歳の女性だと言うことに驚きを覚える。そして、感嘆する。人間は歳でないことも思う。
 大切な人の良いところを探し始めたら簡単に100個以上見つかったと言う。ボクは研修で行ったことがあるのだが、そう簡単なことではない。そして、勇気づけるために、小出しに伝えていく。若い人は性急である。この小出しも難しい。更にそれを自分の自信にしている。「春の日差しとレジャーシート。これに彼を加えるだけで、とても穏やかで幸せな空間になる」と言った部分にも感嘆した。この時期、こんな気持ちになるのはおうおうとあることだが、何と控えめで詩的な表現であろうか。いつまでも忘れないで欲しい。井坂さんの彼氏に羨ましさを覚えるほど、素晴らしい女性を見た気持ちである。




2011/06/05(Sun) (第1454話) 歴史をつなぐ道具 寺さん MAIL 

 “「ろうそくを作れた。こんなに早く再開できるなんて思わなかった」。岡崎市八幡町で江戸時代から伝統の和ろうそく作りを守る「磯部ろうそく店」の店主磯部亮次さん(47)から、朗報が届いた。
 1月11日、店が火災で全焼し、ろうをイグサの芯にかける行程で使う竹串をはじめ大切な道具を失った。「何百年も受け継がれた道具。特注で作り直すほかないが、どれだけ時間がかかるのか」という磯部さんの苦悩を本紙で書いた。
 亡父と兄が名古屋市で和ろうそく店を営んできたという酒井幸雄さん(80)が記事を読み、2月下旬に磯部さんに電話をしてきたという。「兄が高齢になり、店を閉める。道具を捨てるのは忍びない。ぜひ使って欲しい」という申し出だった。
 和ろうそく業界は、職人同士のつながりが薄いという。磯部さんはその店を知らなかったが、託された道具を携え「二つの店の歴史を背負って行く」と、仮工房で再出発した。
 東日本大震災でも、多くの人が大切なものを失った。和ろうそくの道具のようにうまく橋渡しできるか分からないけれど、少しでもみんなの思いをつなぐ記事を書ければと思う。”(5月12日付け中日新聞)

 相坂さんという記者の記事からです。これぞ新聞記事の果たした功績である。こういう記事の掲載を願って止まない。
 ボクは和ろうそくの作り方など知らなかったが、この記事で、特別の串があり、それが延々と受け継がれて成り立っていることを知った。日本の伝統技術というのは道具にまで歴史があるのである。それだけにその技術を残していくのは益々難しくなって行くのであろう。ボクには嘆くしかできないが、できれば職人さん同士が知恵を出し合い、少しでも日本文化をつないでいって欲しいものだ。この記事がそれにつながれば更に価値が高まることになろう。
 最近自分の回りで、冠婚葬祭についても従来のしきたりがどんどん廃れていくことに、これで良いのかな、と思ってしまう。合理的になっているかも知れないが、人間関係はますます希薄になっていく。




2011/06/03(Fri) (第1453話) 助言をくれた薬局 寺さん MAIL 

 “先日、寝不足と育児疲れから体調を壊し、近くの薬局に駆け込んだ。食事ができないほどのどか痛く微熱もあると伝え即効性のある薬を希望した。が、赤ん坊を抱えている私を見た薬剤師ざんは「授乳中であれば、薬の服用はお勤めしません」と言われた。代わりに体を芯から温める「ショウガ湯」とお茶の出からしを使ったうがいの方法を教えてくれた。
 結局、何も買わず店を出た。医療機関に勤める友人によると、医師や薬剤師によっては利益の出る高い薬や在庫の多いものを勧めるケースがあるそうだ。常連客でもない私に親身になったアドバイスに感激、心が温かくなった。この薬剤師さんのように自分の利害や損得勘定でなく相手の立場にたったものの見方ができる人になりたいと思った。”(5月9日付け朝日新聞)

 愛知県豊川市の会社員・斉藤さん(女・35)の投稿文です。今年5月10日に紹介した「(第1446話 親切な営業者」と似たような話です。
 薬局に薬を求めて飛び込んだが、薬局はただの方法を教えて何も売らなかった。確かに授乳中の体に薬は気を使うことだろう。商売だけを考えれば、求められるものを売り、影響のほとんど無い気休めのような薬も売ることもできよう。患者第一の人が少なくなったと感じられ、斉藤さんは感激されたのであろう。自分自身が患者だったらどうするのか、その気持ちで対応して欲しいものだ。これが薬剤師の良心である。
 実はボクの友人に全く同じような人がいる。ボクは何か体に気になることがあると、彼の所に行く。話だけして何も売らない。サプリメントはどうかと聞くと、ほとんど否定し、食事療法を勧める。妻が行った時もあるが、何も買わずに帰ってきて「あれで商売になるのかな?」と心配していた。良心的な薬剤師さんはまだまだあるのである。




2011/06/01(Wed) (第1452話) 声はでかいぞ 寺さん MAIL 

 “古希を機に人生を振り返ってみると、青春時代に大病をして二年あまり休職したり、転職を二回経験するなど苦しい道程でしたが、何とか仕事を続けることができました。
 退職後は趣味を楽しんだり、何事にも興味を示して早く老けないようにと言われましたが、これという趣味もなく、第一線を退いた安堵感から気力もなえてしまっていました。そんな取りえのない自分にも《これだけは》と思い当たることが一つだけありました。それは、声が大きいことでした。周りから迷惑顔をされるほどの大きな声だったかもしれませんが、本人は普通に話をしているつもりでしたので、別に気にはしませんでした。
 その後は徐々に《この声で明るく暮らそう》と思うようになっていきました。まずはご近所の方と顔を合わせたときには、大きな声であいさつや会話をするように心がけています。それと、わずかな笑顔も添えるように努めています。こんなささいなことで幸せな気分になり、お互いに明るく過ごせることができます。このことを晩年になってやっと気づかせてもらい、感謝しています。”(5月9日付け中日新聞)

 愛知県春日井市の高木さん(男・69)の投稿文です。人のコミニュケーションに声は大きな要素、聞く人に聞きやすいことは重要なことです。ぼそぼそと小さな声の人より、大きい声ではっきり言える人は一つの取り柄です。高木さんはそのことに気づかれ、自信を持ち、笑顔も添える努力をされている。自分の取り柄を自覚することは生きていく上で大切なことです。何の取り柄のない人などありません。取り柄を自覚して気分明るく生きたいものです。ただし、うぬぼれになってはいけません。
 世の中順調な人ばかりではない。いや、そうでない場合の方が多かろう。例えば、一産業、一企業が30年、50年と好調を続けるのは至難なことである。実はボクの勤めている会社は東証一部上場会社であるが、10数年前に一度倒産している。健康についても同じである。人生60年、大きな病をすることもなく過ごせる人も少ない。ボクも20年ほど前に一度動けなくなり入院している。苦しんだが、ボクにあった治療に出合い起死回生が図れた。山あり谷ありである。



川柳&ウォーク