満開の淡墨桜
             (アロさんのメル友提供)


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ツートン号の淡墨桜ツァー


平成13年4月某日 ツートンが運転するツートン号はガイドのよし子と
添乗員の寺さんを乗せ、岐阜駅から根尾の淡墨桜公園を目指した。
淡墨桜は例年より早く満開となり、今日はもう葉桜という情報に
道路はすいすいである。そして、来てみれば数えられるほどの花が
残っているだけである。それでも、残っていた花は吉野桜などとは
違った小さく白く清楚な感じをたたえていた。又、幹は樹齢1500年を
数えるだけに堂々と厳かで一見する価値は十分にあった。



                       淡 墨 桜 全 景


       目通り10mの威容を誇る幹


 数えられるほどの花(白いもの)

下記のページも見てもらうと参考になる。
wa028淡墨桜ウォーク


淡墨桜の鑑賞を終えると、ツートン号は
地震断層観察館に寄り、谷汲山へ向かう。



        地震断層観察館
 1891年の濃尾地震時の断層が観察できる観察館の
他に、地震資料館、地震体験館が併設されている。


             谷汲山華厳寺
 798年に豊然上人が開いた西国三十三満願
霊場。桜やモミジが美しい。


更に横蔵寺へ向けてツートン号が走ると、右手に素晴らしい花景色が
目にはいる。予期しない景色に車を止め、見学することにする。
竹中公園とある。一目千本谷汲吉野山ともある。
桜は散り若葉となり、その若葉に映えて赤・白・ピンクの桃の花が
まことに鮮やかである。思わぬ拾いものをした思いで中腹まで往復する。



 谷汲踊保存会長を務める竹中義雄さん(97)=揖斐郡谷汲村=が
山の斜面約3万平方メートルに桜、桃、モミジを植えた。桜が散り始めたころ、
バトンタッチするように、約500本の花桃が満開となる。


横蔵寺では、妙心上人の姿をとどめたままの
舎利仏(ミイラ)にびっくりする。受付の人に理由を聞けば、
1日1食そば粉を食べるだけの生活にあったといわれる。



    横蔵寺仁王門(県指定重文)


      妙心上人の舎利仏

                    

その後、東大寺、鎌倉と並んで日本三大仏の一つと
いわれる岐阜大仏を拝観して岐阜駅に戻った。

ツートン号は今回の試走で乗務員間の融和がはかられ、
今後ますます発展が期待されるところである。



            付録の付録    淡墨桜の言われ


  オケ王(弘計王)は天皇の後継争いで
大和を去り、尾張一宮に潜伏中に、オオド王
(男大迹王・後の継体天皇)をもうけた。しか
し、オオド王も追跡を逃れるために、乳母夫
婦と根尾村に旅発つ。オオド王は40年近く
根尾村で生活した後、大和に迎えられること
になる。
 オオド王は根尾村を去るときに、一宮の真
黒田神社(後の真清田神社)から持ち帰った
桜の苗を植え、

    身の代と遺す桜は薄墨よ
       千代に其名を栄盛へ止むる

 と詠んだ。
 これが淡墨桜となった。  


       


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