高齢者、特に後期高齢者になるともう一人前扱いではない。いろいろなところで特別の扱いになる。これはありがたい反面悲哀でもある。私は81歳になった。近頃味わったいくつかのことを書いてみたい。
猛暑の7月12日に、居間のエアコンが突然おかしくなった。運転に入れて10分もすると切れてしまう。もうだめだ。調べてみたらもう15年以上も使っている。修理等検討する必要もなく、翌日家電店へ購入に出かけた。居間は15畳くらいある。これが適当と23万円程度のエアコンを買うことにする。いつ取り付けに来てくれるかと心配したが、なんと翌々日の15日午前中であった。1時間ほどの作業で取り付いた。助かった。
新しいものの効率は凄い。設定もよく分からないまま使用を始めた。ところが寒くなるくらい冷えてしまう。そこで設定を変えればいいものをそのまま使っていた。翌日以後も予定があり動き回っていた。そして体調をおかしく感じるようになってしまった。15日のあの時風邪を引いたらしい。咳が出る、喉も痛い。22日の定期の内科診察の予約が入れてあったので、これ幸いと風邪薬をもらってきた。そして妻も罹る。結局直ったのは8月に入ってからである。何とも愚かな対応である。新しいエアコンはやはり効率がいい。
わが家はエアコンをほとんど使わなかった。冬に娘らがくる時暖房で使うくらいであった。部屋はどこからも陽が入り、陽が少しあれば全く暖かい。普通は矢倉こたつを少し使うだけ十分である。そして冷房はほとんど使ったことがなかった。風があれば、窓を開ければ涼しい。使うようになったのはここ10年にもならないだろう。熱中症についていろいろかまびすしくなった。エアコンがあるのに点けていなくて熱中症で亡くなった、と言うニュースも入る。そして次第に点ける日が多くなり、今では7月中旬から9月頃までほとんどの日、エアコンを点けている。そんな生活になった。ここ数年は点けないと耐えられなくなった感じである。老いると暑さも感じなくなると言う。それで亡くなる人が多いという。そんな仲間入りはしたくない。老いていく、生活も変わっていく。それにしても愚かな話であった。
今年は猛暑日が多く、酷暑日もあった。年々暑くなる感じである。そして高齢者は特に堪える。行動も鈍い。やることなすこと、順調にいくことが少なくなった。私はこの様に愚かなことをしながら何とか乗り越えてきた。長生きすればするほど、嫌な体験も増える。生きていくというのは大変なことである。でも私より歳いった人はそれだけ乗り越えてきたのである。まだこんなこと言っておられない。
そしてまたとんでもないことが起きてしまった。8月28日金曜日である。スマホを充電しておいた。もういい頃だろうと思って、電源を入れてみたら画面の上の方に明るい線が流れている、それ以外真っ黒である。電源を押しても何も変わらない。今やスマホなしでは1日どころか、数時間も落ち着かない。すぐに買った家電店へ行く。それを見て、多分ディスプレーが壊れたのだろうと言われる。そして修理はメーカーに依頼することになるが、数週間かかるだろう。更に入っているデータやアプリはすべて消されると言われる。費用のこともあるが、それよりデータが消えたらそれこそ大変である。取り返しがつかない。こういうものの修理店を知らないか、と聞けば、江南市のとある店を教えてくれた。そのまますぐ走る。そしてその店では、基盤は大丈夫なので、ディスプレーだけ取り替えればいけるだろうという返事である。ディスプレーを取り寄せて貰うように頼んで帰る。できるようで少し安心した。9月1日になっても何の連絡もないので電話を入れてみた。何と修理部品が入る見込みが立たないと言われる。方法まで分かったのに部品がないとは、入る目途が聞けないではもう待てない。断る。一度スマホの専門店へ行ってみよう、もう少し知識があるかも知れない。その日の午後、近くの店を訪ねる。ところが買い換えの話ばかりである。あきらめてその足でもう一度買った家電店へ行く。女性店員が対応である。今までの経過を話す。そして、先日と同じ話である、もうデータ等はあきらめて買い換えにする。ところが話していて、以前のスマホは持っていないか、と問われる。以前のスマホとは3年前である。確か残しておいたはずである。こう問われたのは、そのスマホのデータが使えると言うことであろう。3年分のデータがないだけのことになろうか、一度に気が明るくなった。翌日2日いろいろ用事を済ませたあと、今のと前のと二つスマホも持って午後2時頃に行く。昨日の女性店員は休みであった。男性店員が相手をしてくれた。再度経過を話し、すぐに商品の選択に入った。知識豊富、丁寧な人であった。いろいろな話に自分の判断も入れ、決めていく。そして、古いスマホからアプリとデータのコピーである。かなり苦労されたようであるが、ともかくできることはして貰った。電話帳やライン、写真は全く最近のものまで入っている。これだけで一安心である。途中の状況の話は省略するが、終えるまで3時間以上かかった。
帰ってからはもうスマホにかかりきりである。そして翌日午前3時に目を覚ましたらもう寝付けない。起きてしまう。そして気になっていることから順次始める。この日はグラウンドゴルフの部内大会があったが、空模様も怪しいことを理由に休んでしまった。本降りになったのは午後からで、大会は行われた。アプリは残っているが、設定は消えているものが多い。設定のし直しである。IDやパスワードはかなり記録してあるが、なぜかそれでは入れないものが多い。最初からやり直しである。でもアプリが残っていることはありがたい。なければその探し出し、インストールから始めねばならない。どんなアプリが入っていたのかも曖昧である。でも来客や用事もあってこればかりやっているわけにもいかず、度々中断もする。
翌日も同じである。どうしても使いたいものが数個残った。午後3時頃孫に来て貰う。そして、何とか言いながらすべて使えるようにしてくれた。この孫がこうしたものに特に知識があると言うことではない。我々と若い人は全く違う、その違いを知らされ驚かざるをえない。この日で概ね元に戻ったし、使いやすくなったものもある。
ディスプレーが壊れる前にその兆候はなかったのであろうか。多分2週間くらい前だったと思うが、突然画面の半分が明るく輝いた。これはなんだろう、と思ったがすぐに正常に戻った。それがもう1度くらいあったろうか、そして突然真っ黒になった。今思えばあれがまさに兆候であったのだろう。すぐに家電店に走ったらどうなっていたのだろう。話しただけで、すぐに買い換えなさい、と言われただろうか。そしてすぐに買い換えに納得したであろうか、難しい。でも人間の病はチョットした悪い兆候が見えたらすぐに病院へいけという、これと同じであろうか。今回の不運はディスプレーが見えないと言うことが大きかった。しかし、前のスマホを残しておいたという幸運もあった。不運と運、小さなことながら人生を見るようなものだった。
使えるようになるまでちょうど1週間かかった。たかがスマホであるが、気が気でなかった。仕事で使っているわけでもない。少し便利な生活道具、と言ったところである。しかしながら、世の中はもうそんな動きではない。最近ある都市でプレミアム付き電子商品券が発行された。ところが電子とあるようにスマホでないと買えない。私の町でも以前PayPayが配られた。これもスマホがないと利用できなかった。公共団体にしてこの差別である。スマホはもう持って当たり前、それが利用できない人は我慢しなさい、と言うことである。そしてスマホがあればほとんどのことができる、そんな時代である。この弊害はないだろうか、私はそれが気にかかる。
猛暑の夏、高齢者の悲哀はまだまだある。それはいつかの時点で続きを書きたい。長生きできるのはありがたいが、でもそれだけ悲哀も多くなるのである。
(令和8年9月7日) |