例 会 案 内
第83回ウォーク例会・開催要項 |
1.開催日時 令和元年12月7日(土) 9時~(15時) 3.コース等 妙興寺駅→七ツ石→中島宮→本養寺→中島城址→万葉公園 5.その他 *雨天でも開催します。 *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。 *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全 健康管理は自己責任でお願いします。
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七ツ石 |
中島宮 |
本養寺 |
中島城址 |
中島廃寺 |
万葉公園高松分園 |
万葉公園 |
鞆江緑地公園 |
鞆江神社 |
天神の渡し |
主な見所の説明
◎七ツ石 18個の硬質砂岩が散乱している。剣研石とも呼んでいる。『尾張名所図会』後編(1880年)に「日本武尊剣研石」として紹介されている。日本武尊が伊吹山に向かう途中、ここで自らの剣を研いだという伝説から剣研石の名がある。石の表面は磨かれたかのように滑らかなものが多い。戸塚という地名も考えあわせ、古墳石室の石材の残骸ではないかというのが現在の通説である。 ◎万葉公園 佐藤一英さんが『万葉集』巻十に収められている萩の歌が、この地で詠まれたと提唱したことにちなんで造られた公園で、3か所からなっている。佐藤一英( いちえい)さんは、明治32年生まれで、一宮市萩原町で詩人として活躍した。この地方の多数の学校の校歌の作詞もしている。毎年6月上旬に萬葉公園高松分園で、花しょうぶ祭りが開催される。高松分園にある佐藤一英さんの句碑には「大和し美し(やまとしうるわし)」の一節、「母をさながら光浴びたり」の詩碑があるほか、北側に樫の木文化資料館が建てられ、一英が保存を呼び掛けた樫の木の民具が収蔵されている。 ◎鞆江神社 平安時代に編纂された「日本三大実録」に記載され、中島郡を代表する神社とある。江戸時代後期には小田切春江により「尾張名所図会」に参道と社の全景が紹介されており、約70本の黒松の参道及び神社の銀杏(共に市指定文化財)などは当時の面影を残している。近くの鞆江緑地公園は、鞆江池(江戸時代の木曽川の氾濫で出来た池)があり、夏にはホタルが飛び交う公園となっている。 ◎天神の渡し かつての木曽川の主流であった現在の日光川の渡船場の跡で、「萩原渡し」とも呼ばれた。日光川は野府川と五城川(小信川)が合流し、古川、萩原川ともいわれた。木曽川の主流が現在の位置を流れるようになった後も、萩原川の流れが広く沼地化して渡船を必要とした。その後洪水のたびに川幅が狭められて、渡しは廃止され、萩原宿の西に板橋の萩原橋が架けられた。天神の渡しの位置は、日光川左岸の萩原山の天神社(一宮市萩原町萩原字松山)と、右岸の天神神社のあたりといわれており、両神社の社殿の間は、直線距離でおよそ480メートルある。 |