例 会 案 内

第17回ウォーク例会・開催要項




 
       
【史跡巡りシリーズ・知多編part1】
                   13km
 

1.開催日時   平成20年12月6日(土) 9時〜(15時)

2.集合場所   名鉄常滑線 太田川駅(西口)

3.コース等   太田川駅→元浜公園→観福寺→木田城跡→平洲記念館(Sゴール)

→平洲誕生地→大池公園→加家公園→聚楽園駅 

4.参加費    300円(中学生以下無料、小学生以下は保護者同伴)

5.交 通    (最終時刻)名鉄一宮駅 8:18 名鉄名古屋駅 8:42

6.その他

     *雨天でも開催します。

     *歩ける服装で、弁当、飲み物、雨具、敷物、筆記具等を持参してください。

   *例会中の事故(けが)については、傷害保険の範囲内で対応致しますが、安全

   健康管理は自己責任でお願いします。

            
傷害保険の内容      死亡・後遺障害保険  166万円
                             入院保険金(日額)   4000円
                             通院保険金        2000円


主な見所の紹介


可家の湊跡(出発式)

元浜公園

横須賀御殿跡

今川塚

万葉歌碑(諏訪神社境内)

観福寺

東海市役所

業平塚

細井平洲記念館

平洲誕生地

平洲像(平洲小学校)

平洲像(平洲中学校

大池公園

加家公園

観音寺

聚楽園大仏



主な見所の説明

東海市教育委員会から寄贈を受け、当日配布予定の
「東海市の文化財マップ」より抜粋して紹介します。

◎可家の湊跡(御洲浜の池)  高横須賀町御洲浜
 名鉄太田川駅の南西に、池があります。この池は、万葉集巻十四の「東歌」に「味鴨の可家の湊に入る潮のこてたずくもか入りて寝まくも」と歌われた「可家の湊」跡といわれています。この湊は、江戸時代のころには海と離れてしまって池になっており、尾張二代藩主徳川光友公が横須賀の地に別荘の臨江亭(横須賀御殿)を造営したときに、この池を巡る回遊式庭園の御洲浜が造られました。

◎横須賀御殿   高横須賀町御亭
 尾張二代藩主徳川光友公が、寛文6年に当時は馬走瀬といわれたところ(今の横須賀町)に、別荘を建てました。この横須賀の御殿は、臨江亭といいました。臨江亭は、光友公が亡くなったあとの正徳5年に取りこわされてしまいましたが、その70年後の天明5年に、新しく代官屋敷がおかれました。このことを書いた石碑が、勤労センターの東方に建てられています。

◎今川塚   高横須賀町北屋敷
 東海市に、桶狭間の合戦(1560)で織田信長に破れた今川義元のお墓と伝えられる供養塔があります。横須賀小学校の東方に「今川さん」と呼ばれる供養塔と、「今川義基墳」と刻まれた碑が建っています。桶狭間の合戦に破れた今川義元の家来がここまで逃げてきて、殿様の遺体を永昌院(塚の南方にあったお寺)へ葬ったといいます。この塚は江戸時代の絵地図にも書き残されています。碑の文字が「義元」ではなくて、「義基」となっているのは、敵に見つかるのを防ぐためであったと伝えられています。

◎木田城址   太田町城山
 木田の丘陵の北端に木田城があり、室町時代の後期に荒尾空善小太郎がいました。荒尾氏の出自については、在原業平の末流とする説、高階氏説、平氏説と諸説がありますが、室町時代には、尾張国内の重要な任務についていました。戦国時代になると織田信長に仕えました。今は、個人の住宅となっており何らみるべきものはありませんが、戦国の世にこの他にも武士勢力があって活動していたことがうかがえます。

◎西方寺  荒尾町西ノ木戸
 郷土の生んだ偉人で江戸時代の儒学者細井平洲家の菩提寺で、平洲の先祖と両親と兄夫婦のお墓があります。細井平洲自身は江戸で亡くなりましたので、お墓は東京浅草の天嶽院にあります。

◎観音寺   荒尾町仏供田
 伊勢湾に面する丘陵の上にあり、古くから風光明媚な名勝地として有名でした。参道を登っていくと幹回りが10mほどもある大きなクスノキ(市指定天然記念物)がそびえています。江戸時代に郷土の偉人細井平洲が学んだ寺小屋で、平洲が登って遊んだといわれる松の木もありましたが、空襲で燃えてしまい、現在は二代目の松が植えられています。