(第5集)  
              

      2022年1月より現在までにトップページに
掲載した句をここにコメントをつけて再掲します


 (2024年11月 シマトリネコの章)

大学の市民公開講座の開催を知った
申し込んでみようか、少し迷う。
内容は高齢者向きである。
応募する。参加証が届いた。
そして受講する。やはり難しかった。
階段教室、学生食堂、
学生気分を味わうことができた。
何事も年齢で躊躇することはない。
 
  ( 2024年10月 マルバルコウの章 )

をが亡くしたのは37歳の時である。
「若くして父を亡くした吾だから」
どうだというのであろう。 
若くして一家を背負った。
その分いろいろな経験をした。
それがいろいろ役立った
。それが今も生きている。
悪いことばかりでは無かった。
 ( 2024年9月 荒地花笠の章 )

仏教には若い頃は無関心であった。
それが檀家総代をやり、十八日講に入り
何かと足を踏み入れるようになった。
最近は朝の読経も始めた。
いろいろなところの関係も出てきた。
仏縁のある生活になってきた。
仏教は年寄りのものと思われるが、
年寄りになると様々な縁ができるのである。
 
 ( 2024年8月 エノコログサの章 )

この猛暑続きは何でしょう。
エアコンを止め節電をの声は聞かない。
そしてエアコンの中で過ごす。
自然足は衰える。
何をするという意欲も衰える。
それをどう保つか、難しいことである。
涼しくなったら、再出発だ。
 
   ( 2024年7月 アベリアの章 )

毎日35度越えの猛暑日が続く。
そこで何をして、何を止めるのか。
間違えのない判断が必要である。
この句に「私は全てを止めます」と言う
人もあったが、そうも行くまい。
近々、日本人全体の生活様式を
大幅に変える時代が来そうである。
 
( 2024年6月 ジャカランダの章 )
  以前中日新聞の「中日春秋」という欄の
書き写しを始めたもののすぐに挫折。
そして今は「編集日誌」という別の記事の
書き写しを始めた。そして今度は続いている。
書き写しには呆け防止に効果があるのは
もちろん、文を知る、手の運動、いろいろな
効果がある。それを中日新聞の発言欄に
投稿し、掲載された。
効果はますます大きなものになった。 
 
 
 
  ( 2024年5月 釣鐘草の章 )

私が言い出して始めたおでかけ広場が
令和6年5月で70回を終えた。
まだ70回という気もあるが、
世間を見渡せば長い方である。
金字塔はあまりにも言いすぎであるが、
でも地域の先駆者として誇り感じる。
もっともっと広めたい、広がって欲しい。  
    ( 2024年4月 カラスノエンドウの章 )

新聞には毎日ドキドキ感がある。
今日はどんな記事が載っているのか?
それが自分が載るとなるとまた違う。
事前に取材を受け、約束されていた。
いつ、どのようにかまでは分からない。
そして最後の日と思う例会前日に載った。
そして当分大賑わいであった。
  ( 2024年3月 ガザニアの章 )

気にしていた孫が大学に合格した。
その報告に安堵感と嬉しさが湧いてくる。
長生きして、その先を
少しでも見届けたい。
人間の欲望はキリが無い。
でもそれが生きる力を与えてくれる。
何を理由にしてもいい、元気に過ごしたい。
 
  ( 2024年2月 アネモネの章 )

一宮友歩会の例会がこの2月で
100回を迎え、盛会に無事終えた。
100回は目標であった。
でもまだ続けていける。
100回は通過点と改める。
新たな目標を定めねばなるまい。
ひそかに125回と思っている。 
 
 ( 2024年1月 アリッサムの章 )

地元神社の傘寿の賀寿報告祭と
いう行事に参加しました。
無事傘寿を迎えられたお祝いです。
ここまでどのくらいの関門を
通り抜けてきたことでしょう。
そして現在があるのです。
改めて感謝です。
 
 
 ( 2023年12月 ベゴニアの章 )

年賀状仕舞いの挨拶も多くなった。
年賀状も今や高齢者の慣習であろうか。
仕舞いの挨拶にはて自分はどうするか。
すべての人を断ち切るのも忍びない。
挨拶をせずに止めるのも気が引ける。
取りあえず 令和6年の年賀状は
出しました。さて、来年は?
 
  (2023年11月 アメジストセージの章)

 スポーツ競技には実力が
そのまま現れるものが多い。
しかし、運が左右するものもある。
そのひとつがグラウンドゴルフである。
大会では何が起こるか分からない。
下手なりに夢中になれるのである。
まさに老人向けスポーツである。

 
 ( 2023年10月 紫苑の章 )

喫茶店で人と話していてふらつきを感じ、
帰って血圧を測ったら200を超えている。
こんなこと初めて、ビックリ仰天である。
すぐに病院へ連絡し、送ってもらって行く。
待っている間に嘔吐し、また仰天である。
2週間が経ち、落ち着きを見せてきた。
人間の体というのは分からぬものである。
【明日死ぬと思って生きなさい】
 
    ( 2023年9月 サルビアの章 )

9月は私の誕生月です。
満年齢が増え、マスマス老いを覚える。
でもそれだけでは寂しい。
意識することによって意義を深めたい
いろいろあった。挑戦もした。
明日に向け気持ちは高まっている。
この気持ちを大切に過ごして行こう。
   ( 2023年8月 ブーゲンビリアの章 )

今年の夏は暑かった。肌がヒリヒリする
暑さである。年毎に暑さを感じる。
記録を見ても過去を更新である。
もう日本は温帯地域ではない。
熱帯であろう。もう四季もない。
もう世界中の気候が狂ってきている。
こんな地球に誰がした?
 ( 2023年7月 クレマチスの章 )

夏は暑いが、今年は特に暑い日が続く。
手術は無事終り、期待通りの結果である。
7年半の苦悩がほぼ解消された。
 身体も気持ちも軽くなった。
中止されていたものも復活している。
何事も気持ちよく行えるようになった。
真夏日もいい過ごし方で過ぎていく。
 
 ( 2023年6月 ガザニアの章 )

手術室に入るに理由はいろいろである。
多くは生命維持のため、やむにやまれぬ
ことがほとんどであろう。恐怖が先立つ。
私も6月8日に手術室に入った。
手術しないと死ぬというものではない。
今より良い生活がしたいためである。
希望を持って手術台に上がった。
思うように行ったであろうか。
 
    ( 2023年5月 ゼラニウムの章 )

5月当初FMラジオ放送に出演する。
語るのは自分のウォーク歴と
一宮友歩会のことである。
語りたかったのはウォークの魅力である。
予定の15分はあっという間であった。
伝わったろうか、不安に思う。
その後聞く評価は思いのほか良かった。
折角の機会である。無駄にしたくなかった。
  ( 2023年4月 通草の章 )

厳しい選挙戦であった。
2期8年間の市議を見てきた。
今回は応援弁士を頼まれた。
この間の出来事を話した。
私しか知らない話しである。
聞いた人は興味持ち、概ね好評であった。
でも選挙結果は別である。
人生の虚しさを知る事柄のなった。
 
   ( 2023年3月 立金花の章 )

新年も新たな気分になるが、
日本人にとって3月から4月の年度の
切り替わりも大きな変化になる。 
終えるものを終え、次に新たな
挑戦したい気持ちも芽生える。
ここは柔軟な姿勢で、次に
目指すものを模索たいものである。
   ( 2023年2月 ストックの章 )

冬の間休眠している木々は
ただ春が来るのを待っているだけだろうか。
いや、春になったら何をしようか、
抱負を温めているのではなかろうか。
春が近づき日々暖かさを増してきた。
そろそろ新芽を出していいのだろう。
蓄えた抱負も実施に移そう。
私もそんな新芽にあやかりたい。
 ( 2023年1月 パンジーの章 )

何かと気持ちが暗くなる昨今です。
そんなとき、一通の手紙が来る。
読んでみると、良い兆しが感じられる。
パッと心が明るくなる。
そんな手紙を待つ日々です。
今はもう手紙は来ない。LINEやメールです。
待つだけでなく、自分から
明るくなる文を送りたいものです。
 
    ( 2022年12月 吉祥草の章 )

わが家には体組成計というものがある。
体重始め体脂肪・基礎代謝量・筋肉量など
体の組成を計る器具である。
それには体年齢も出てくる。
それによると私は今61歳である。
77歳と思うより元気もやる気も起こる。
実にいい発見と思っている。
 (2022年11月 清澄白山菊の章)

いろいろやっていると、思いがけなくも
重荷に感じてくることがある。
それが私にはASCの委員長であった。
無鉄砲にも突然辞任を言ってしまった。
気になったが、その日はよく眠られた。
こんなことになるとは思っても居なかった。
これで良かったと思いたい。
 
 ( 2022年10月  松葉菊の章 )

人には1日の手順が大方決まっています。
何かの都合でその手順が狂った時、
つい忘れてしまいます。
私は朝の約2時間は毎日同じ段取りです。
それが狂うと日記や薬、歯磨きも忘れます。
同じサイクルで進む時は穏やかな日です。
穏やかな日が続くことを願いたいものです。
 
    ( 2022年9月号  里芋の章 )

人間いくつのなっても喜怒哀楽はある。
落ち込む時もある。
でもいつまでも落ち込んだままでは
自分が惨めである。
奮い立つきっかけを見つけて、
先に進みたいものである。
残された人生が短くなっていくだけに
心したいところである。
 ( 2022年8月 猩々草の章 )

丹精して作った花火も一瞬の間に終わる。
この一瞬に花火師は生きている。
この夏、花火大会を見に行った。
あいにく空は霧で覆われている。
花火師は何度も中断しながら
少しでも良い条件をジッと待つ。
花火師の執念である。
上がった花火にただ拍手である。
 
   ( 2022年7月 柿蘭の章)

70代後半ともなって焦りであろうか。
しかし、どうすることもできないことに
理由を求めるのは言い訳、逃げである。

80代90代でもしている人はしている。
必要なのは冷静な判断と意欲気力である。
10年、20年まだ何を望んでもいい。
大いなる希望を持って進もう。
    ( 2022年6月 紫露草の章 )

あれほど注意していた妻が
コロナウイルスに感染してしまった。
2人住まいの家で、接触は避けられない。

しかし、妻は数日後には平熱に戻り、
私の1週間の自粛は無事すぎた。
感染をまぬがれ日々が戻った。
何かと活動している日々、予定通り
過ごせることの嬉しさである。
  ( 2022年5月 躑躅の章 )

人間一生の間にいくつもの難を受けます。
生命に関わることもあります。
それらを乗り越え今があります。
交通事故もあわやの言う場面は
いくつもあったと思いますが、
始めて交通事故で警察を呼びました。
今思いだしてもゾッとします。
それも乗り越え、今日も元気に生きています。
 
   ( 2022年4月 木五倍子の章 )

新緑は気分も若々しくしてくれます。
そして、そんな新緑を見ていれば
「まだやれるぞ」と意欲も増します。

人は気持ちの持ちようが多く左右します。
私は先日死もありうる事故に遭いました。
死にそびれた分、まだ長生きできる
と思うことにしました。
 ( 2022年3月 西洋柊の章 )

誰もが何事も期待をされれば
答えようとするものである。
桜もそうであろうと作者の期待。

人は褒めて育てよという。
褒められれば気分も良く、
応えようと努力をする。
 気持ちよく過ごしていきたいものだ。
 
 ( 2022年2月 河津桜の章 )

 興味半分と頭の体操と思って
スマートスピーカー(アレクサ)を購入した。
こんな小さなモノで、こんな程度の価格で
どうしてこんなことができるのか。
いろいろ調べる、ひねった首が戻らない。
人の一生で知ることなど知れている。
知ってはいるが、最近の動きは凄まじい。
老いた身にどこまでついて行けるだろうか。
 
   ( 2022年1月 苔の章 )

日々良いこと悪いこといろいろ起こる。
日記には悪いことを書いて
気を癒やすこともある。
しかし、良いことを多く書いていく。
自然気分が良くなる。
悪点より良点、短所より長所を見つめ、
それをより成長させるのも
良い過ごし方であろう。


川柳&ウォーク