ha2411

第245号  2024年11月



 

(第3763話) バスの待ち時間

2024年11月30日 | 行動
 “趣味や通院、買い物で週に3~4日バスを利用している。停留所でバスを待つ10分ほどを有効に使おうと思い、認知症予防も兼ねて最近始めたのが、目の前を通過する車のナンバーを記憶し、例えば「1234」なら「トゥエルブ、サーティーフォ-」と2桁を英語で言うことだ。目標物を正確に捉えた上で、それを脳で処理して言葉にすることで口や舌の筋肉の運動にもなる。続けることで、動体視力が向上するだけでなく、頭の体操にもなって脳が活性化してきた気がしている。
 車の通りが多く、全ての車を捉えることはなかなかできない。それでもバスを待つ時間が、私にとってちょっとした楽しみとなっている。”(11月5日付け中日新聞)


 名古屋市の主婦・前田さん(84)の投稿文です。ここにも知恵があった、面白い知恵です。バスを待つ間に、通る車のナンバーを2桁の英語で言うことだと言われる。ボクにできるだろうか?。瞬間に数字を覚える、そして英語に変える。動体視力と記憶力、そして英語力である。ボクには難しい気がする。でも一度試してみよう。できなければよりやる意味がある。いつでも簡単にできることである。老人は何でもやってみることである。老人だからと言って控えめにすることではなく、老人だから何でもしなければいけないのである。そうでないと全ての能力が次々衰えていく。維持するためである。特に何をしなくても維持できる若者と違うことを自覚しなければいけない。



(第3762話) まさかの幸せ

2024年11月28日 | 出来事
 “私は11月中に80歳になるおばあさんです。長男と次男は東京に、第3子の長女は愛知県一宮市に住んでいます。次男と長女は家庭を持っています。長年独身の55歳の長男が、このたび自分たちだけの結婚式を挙げ、両家の顔合わせの食事会をすることになりました。
 晴れて東京へ!! 友達が、こぞって応援してくれます。「新郎の母らしく!」と、着て行く服、靴、かばん、アクセサリー、手土産など、ありかたいアドバイスをいただいて“完璧の母”いざ出陣!
 連日の雨も上がり、秋晴れのもと、先方様7人、当方9人、当人2人で総勢18人が、ご対面です。なんと幸せなことでしょう。お相手のご両親や親族の方たちは、お人柄の良さそうな方々です。何より、いつも無愛想で無口なはずの長男が、終始こぽれんぱかりの笑顔です。こんな幸せな日が来るなんて・・・。昨年、6年間の介護の末、夫を亡くして1人でどうして生きていこうかと、暗い、不安な毎日だったのに・・・。ずっと正月に帰省しないで、―人で勝手に暮らしていたはずの長男が、私の人生のチャンネルをグルッと切り替えてくれたのです。まさか、まさかの逆転劇! お父さん、こんな大きな幸せを独り占めしてごめんね。もう少し、元気で生きていきます。”(11月4日付け中日新聞)


 名古屋市の主婦・宮本さん(79)の投稿文です。 55歳の長男の結婚に、両家の顔合わせの投稿文。宮本さんの舞い上がるような文章です。嬉しさが伝わってきます。あきらめていたことに、まさかの幸せ、ご主人を亡くされた後だけに喜びは倍増でしょう。親というものはこんなものでしょうか?
 子供さんの結婚をこのように喜ぶ。しかし、今は結婚しない子供が増えている。と言うことは喜べない親が増えていることになります。喜べないどころか、いつまでも子供の心配をしなければならない親が増えている。親のために結婚をしなさいとは言わないが、このようなことをどう考えているのだろうか。自由は良い、考えたとおりにすることもいい、でも人はしょせん1人では生きていけない。ボクには皆目の前のことだけのとらわれ、先を見ていない気がする。結婚したくてもできない、と言われるかも知れないが、ボクにはそこら辺りにも不自然に思われる。



(第3761話) 平和祈り

2024年11月26日 | 活動
 “鶴を折り続けて30年になります。会社を定年退職した直後、愛知県岩倉市が、広島と長崎に千羽鶴を届けるための折り鶴を募集していることを知って、私もやってみたのが最初です。しばらくして1枚の紙に切り込みを入れて何羽かの鶴をこしらえる「連鎖」にも独学で挑戦しました。確か75歳前後のとき、15センチ四方の折り紙16枚を使って連鎖の数がちょうど千となるようにし、それを老人会の作品展に出したら銀賞に輝いたことがありました。手の込んだ連鎖は人気で友人や知人にあげたら喜ぱれましたが、年を重ねたため、最近は当初の折り鶴作りに専念しています。
 私は太平洋戦争の体験者。世界中で相次ぐ紛争やテロがなくなることを願いながら鎖を折っています。”(11月1日付け中日新聞)


 愛知県岩倉市の大西さん(男・95)の投稿文です。折り鶴を作り続けて30年、そして今95歳。連鎖も独学で学んで挑戦、千羽の鶴を作ったと言われる。きっかけは市の募集であったと言われる。きっかけはわずかなこと、そして続けることによって大業となる。これは何事も同じ、ボクがいつも言っていることである。折り紙というと女性のものと思ってしまう。これも大間違いである。こんなことに女性も男性もない。今までの先入観は邪魔である。
 ボクはサロンで、折り紙が得意な知人に来てもらって、もう4回ばかり折り紙教室を開いてきた。ボクには全く難しい。何事も一朝一夕でできるものではない。根気である。根気があれば大方のことはある程度までできるようになる。



(第3760話) 鉛筆補助軸

2024年11月24日 | 知識
 “「鉛筆補助軸」という名前を知っているだろうか。私は72歳にして初めて知った言葉だ。 私は十年日記を書いている。その筆記具は、ずっとシャープペンシルだった。シャープは芯の太さが一定で細字を書くのに便利だからだ。しかし最近、シャープを鉛筆に替えた。
 シャープは筆圧が強いとポキポキと芯が折れ、心までもくじけてしまうから。鉛筆だと折れるストレスがなく書き続けられ気持ちがいい。ただすぐに芯が丸くなり、削らねばならない。削る手間は増えたが、使い心地はよく、気持ちも折れない。鉛筆の良さを改めて感じている。
 思えば鉛筆を使っていたのは小中学生の頃。半世紀以上も前鉛筆の感触は何とも言えず懐かしさがあり、いとおしささえ覚える。
 ただ鉛筆は削ると短くなり、書きにくいのが難点。そして思い出した、ある道具を。文具専門店で尋ねた。名前がわからないので「短くなった鉛筆を長くするものありますか」と。店員はすぐに売り場に案内してくれた。こんな昔のものが未だにあったことに驚き、うれしかった。そして名前が「鉛筆補助軸」であると知った。今、鉛筆補助軸で長くした鉛筆を使いながら、子どもの頃に返った気がして、妙に心が躍っている。”(10月21日付け中日新聞)


 浜松市の榊原さん(女・72)の投稿文です。ボクは長いこと、と言うより鉛筆補助軸という言葉は知らなかったが、この道具を知って以来お世話になってきた。ボクばかりでなく妻もそうしてきた。当然の行為としてやってきた。今でもわが家には3本位あります。それを知る以前は、カラー?と言った気がするが、鉛筆に差す短いものであった。ボクは時には、鉛筆の削ってない方を2本つなぎ合わせ長くして使っていたこともある。今の人が知れば驚く行為かもしれない。それ程にもの大切にしていたと言うことであろう。短くなった鉛筆はズッとこうして使ってきた。
 そしてボクの今鉛筆を使うのは、新聞の書き写しの時である。シャープペンシルは当然その良さはあるが、力が入らない。これも我々の時代の人が言う言葉であろうか。ボクらの時代はHBであったが、今の子供は2Bや4Bと言うのである。このことは昨年、子供に鉛筆を配ろうと考えたときに知ったことである。そんなに柔らかい鉛筆を使うことに驚いた。一長一短あると思うが、何かひ弱になってきている気がする。



(第3759話) 家族で農業

2024年11月21日 | 行動
 “わが家は農家で、私が小学生のときの農作業は機械化されておらず専ら手作業でした。10月、私たち子どもを含めた家族6人で1週間以上かけて稲刈りをするのが常でした。農繁期は学校の授業が早い時間帯で終わり、平日だと帰宅後すぐ、休日は朝から夕方まで手伝いました。皆鎌を手に横一列に並び、私と妹は両親や祖父母の見よう見まねで刈っていきました。刈り取った稲は母が束ね、祖父が「はさ」という竹の木組みに掛けて天日千ししました。塩むすびやみそ汁、漬物のほか、祖父がその場で焼いたサンマを昼食でいただきました。そんな家族での収穫は農業をやめた30年前まで続きました。
 秋は深まってきました。自宅周辺の収穫後の田を目にするたび、昔のことがよぎります。”(10月26日付け中日新聞)


 三重県いなべ市の川瀬さん(男・77)の投稿文です。川瀬さんの思い出話は、ボクも全く同じである。当時の農家育ちは皆同じであったのだろう。学校から帰れば父母のいる畑へ行き、学校では田植えの時期には田植え休み、稲刈りの時期には稲刈り休みがあった。ボクは田植えは3人で横1列になってやった。稲刈りも同じである。「はさ」と言う言葉も懐かしい。只ボクの家には休憩時にこんな豪勢な食べ物を食べた覚えはない。そしてそれがいつまで続いたのかはよく覚えていない。多分稲刈り機など機械が取り入れられるまで続いたのであろう。このように昔の農業というのは家族全員で行うものであった。
 先日、学校か子ども会か分からないが、稲刈りの体験をしている子供たちを見た。今はもう一部の体験学習でしかない。でもこういう風景を見ると当時を思い出す。これが当時の農家の子供の過ごし方であった。勉強をしろ、何て言われた覚えはない。



(第3758話) 解説記事

2024年11月19日 | 知識
 “新聞を広げていて、参考になるなと思うのが用語の解説記事。年も重ねて、ただでさえ私が思い出せないような事象や事件は随分増えた。片仮名語をはじめ、意味がよく分からないものはもちろん、仕組みが複雑そうなものもコンパクトにまとめられてある。課題も端的に説明されていて、理解を助けてくれるとてもありがたい存在だ。
 これら用語の解説記事をもっと有効に使おうと、私は昨年春から「用語事典」と題したノートに記事を貼っている。インデックスのシールを付け、後日読み返せるように工夫している。このノートのおかげで、私は時事問題にかなり精通することができた。新聞を開くのがすごく楽しみになってきた今日この頃だ。”(10月25日付け中日新聞)


 愛知県知多市の藤田さん(男・84)の投稿文です。また新聞のスクラップの話である。藤田さんは、解説記事という、テーマを限ったスクラップをされている。これも一つの方法と思った。何でもかんでもとなると、とめども無くなり膨大になる。棒を折ることにもなるだろう。でも、テーマを絞ればまとめやすい。11月9日の第3753話でも話になったが、スクラップを利用するには、まとめ方が問題になる。藤田さんはよく工夫をされている。 
 ボクのスクラップと言えば、この「話・話」 の為である。でもこうして「話・話」 として掲載しているので、その切り抜きは1年位保存して捨てている。


(第3757話) 上野天神祭

2024年11月17日 | 知識
 “三重県伊賀市の秋の風物詩「上野天神祭」のメインとなる「神幸祭」が20日にあった。豪華絢爛なだんじり9基やみこし、鬼行列が城下町を巡行し、県内外から訪れた約15万人(主催者発表)を魅了した。
 祭りは400年以上続くとされ、ダンジリ行事は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産・屋台行事」の1つに登録されている。この日は午前8時半ごろから「コンチキチン」と鉦や笛、太鼓の音を鳴らしながら、市中心部を練った。酔ったようにふらふらと歩く「ひょろつき鬼」は、子どもを見つけると駆け寄って面を近づけた。沿道では鬼に驚いた子どもらの元気な泣き声が響き渡った。名古屋市から訪れた大学職員牧野久美子さん(61)は「初めて来たが、だんじりの刺しゅうがきれいで見入ってしまった」と話した。“(10月21日付け中日新聞)


 記事からです。実はこのだんじり祭、ボクは1泊2日のツアーで始めて見に行ったのである。それが記事になっていた。行ったことが記事で見つけると嬉しいものである。そして書いてあるとおりである。大きく分けて3つの行列が続く。まず神輿行列、そして鬼行列、最後がだんじり、山車の行列である。山車は9基ある。1時間以上続く。道路は狭い。各家庭で椅子を並べてみている家もある。記事のようにたくさんの人出、大賑わいであった。さすがユネスコ登録だけあって見甲斐があった。久しぶり祭気分を味わった。
 凄くたくさんの人が関わり合っている。山車から降りてくる人を見ていたが、思っていた以上に多い人である。多分、この日に合わせて帰省した人も多かろう。そうして祭は維持されていく。しかし、どこまで続けられるだろうか。



(第3756話) 書棚の一隅

2024年11月15日 | その他
 “我が家の書棚に日本美術全集25冊が鎮座している。主人の給与から代金が天引きされていて一悶着起きたことを思い出す。昭和から平成期の日本経済の名残ではあるが、読まれた形跡はなし。並んでいるだけで悦に入っていた主の姿はない。「退職したら読書三昧だ」と古本を段ボール箱に買い込んでいた姿が目に浮かぶ。全集の1冊を手に取ってみるが、大きくて重くて持て余してしまう。処分しようと考えることは再々であるが、主人と本に申し訳なくて、今日に至ってしまった。
 秋風を感じるようになり、読書に時間を費やすのは今だと気付きました。白内障の手術で視力は回復、体の痛みむなし、頭脳は年相応。何より気力はまだ大丈夫。そう考えると目的ができ、なんだかワクワクしてきました。これでこの全集も本としての命が蘇るし、私にも忘れつつある日本の美を再認識させてくれるでしょう。読み終えるのに相当の時間を要するでしょうが、ゆっくりでもいいので読んでみます。
 手に取ると、古本のにおいも昭和のにおいに感じ、秋の感傷を深くさせます。私の指跡がついて、この本を読まずに去った主人も喜んでくれると思うのは自己満足かもしれません。これに火がついて読書の1年になったらいいな、と思っています。”(10月20日付け中日新聞)


 名古屋市の主婦・金子さん(77)の投稿文です。本の種類は違うが、ボクも同じようなことを体験している。発行の度に書店へ本をもらいに行ったのは、小学館発行の日本大百科全書である。昭和59年11月から昭和64年3月まで全25巻である。1巻7,800円である。高価であったが、楽しみであった。それをどのくらい利用したかと言われると、利用はしたと思うが余り確かではない。子供の頃本を買ってもらうとすれば小学生年鑑や中学生年鑑位であった。よく活用していたので、その延長線上であったろう。これは古本であるが、原色世界の美術という全16巻の本もある。この2つは今も居間の本箱にドンと置かれている。多分買った当時からこのままである。その他日本歳時記5巻や中国漢詩の旅10巻もある。そうした全集ものを買いたかった時期があったのであろう。この投稿文から久しぶり開いてみた。こうした類いの本はいつまでたっても見られるのである。写真を見ているだけでも楽しい。こうした楽しみを忘れていた。金子さんのように楽しみたい。



(第3755話) 空からの贈り物

2024年11月13日 | 出来事
 “「おかあさん、こんな所にスイカがなっている」娘の声に促され、家の前の草むらに目を向けると、道路に向かってスイカのつるが伸びていた。ピンポン玉ぐらいの実を二つつけている。車にひかれては大変と、とりあえずつるを草むらに戻した。さらに、鳥に食べられないようにと、玉葱の入っていた網をかぶせてみた。
 大きくなるのだろうか。孫たちとワクワクしながら、成長を見守った数週間。スイカは両手にすっぼり入るぐらいの大きさになってきた。食べるには少し早いような気もしたのだけれど、待ち切れなくて切ってみた。やはり真っ赤な果肉ではなく、少しピンクがかっていて、孫たちとドキドキしながら食べてみた。おいしく、さっぱりとした甘さのスイカだった。
 鳥たちの贈り物なのだろうか。他にも畑の中に、なぜか花壇でよく見る花が咲いている。隣の雑木林からは、キウイフルーツのつるが伸びてきてハウスのパイプに絡みついている。先着のアケビの実と共に今、小さな実をつけ始めている。
 空からの贈り物は、いろいろな所にある。自然を味わいながら暮らす日々って楽しい。”(10月19日付け中日新聞)


 静岡県湖西市の主婦・中山さん(66)の投稿文です。植物の生命力にはビックリすることがある。思いがけないものを思いがけないところで見ることも多い。中山さんが言われるように鳥のせいかもしれない。思いがけないところにスイカがなった。小さいながらもスイカである。高価な食べ物である。そして食べられた。まさに空からの贈り物を感じられたであろう。
 ボクの庭にも畑にも次から次へといろいろ生えてくる。もちろんほとんどは雑草であり、それで随分苦労させられている。そしてこのスイカのように思いがけない贈り物のこともある。まして種がこぼれていれば当然である。ボクは多くの野菜を自前の野菜から採っている。枯れるまで置いているので当然種がこぼれる。それが芽を出してくる。また瓜類は腐っても種は残る。それが芽を出す。ありがたいことである。



(第3754話) 8ヶ月で達成

2024年11月11日 | 行動
 “「散歩を始める」「普段とは違うスーパーに行く」「歴史書を読む」・・・。正月から、新しく取り組むことができたことをノートに一つ一つつづっています。8月末、ついにチャレンジできた数が、年初に目標とした100に到達しました。9月に入ってから、なかなか手が出せなかった終活の一環として、不用品の処理に着手しています。
 実はこの年初の計、10年ほど前に挑戦したものの、挫折してしまった過去があります。「遠方の○○に行く」「本を月に何冊読む」などと割と具体的で大きな目標を掲げたためだと思っています。そこで今回はできそうなことから始めました。どんどん達成できて生活にも張りが出てきました。この調子です。”(10月19日付け中日新聞)


 滋賀県甲賀市の主婦・橋本さん(71)の投稿文です。こういう目標の話しも時折聞きますが、100のチャレンジを8ヶ月で達成とは、どんなチャレンジであったのか、冒頭に少し書いてありますが気になります。一応全て違うチャレンジだと思いますが、100をどうしてあげられたのか、ボクがやろうとしても100はとてもあげられません。ただ1回すれば良いというものでもないでしょう。例えば「散歩をする」なら1回でも良いかもしれませんが、「散歩を始める」、始めるだから1回ではないでしょう。その後も続けておられるでしょうか。いや、続けておられなくても、100は立派なものだ。
 こう書いたがよく読んでみると、チャレンジを最初に100掲げられたのではなく、できたことを書き留められたのではないか、と言うことかも知れません。これも一つの方法です。この方がやり易いかもしれません。チャレンジを意識しながら行動し、できたことを書き留める。方法はどうであれ、8ヶ月で100はボクにはできそうもない。



(第3753話) 切り抜き

2024年11月09日 | 行動
 “9月12日付本欄「記事スクラップ 楽しい」を興味深く読みました。この30年以上、私は目に留まった新聞記事を切り抜いて貼っていますから。余白に自分の考えを書くことは、この先取り入れたいなと思いました。
 私は60歳で教員を定年退職したとき、記事スクラップは19冊目。ところが、読みたくなったときに記事がどこにあるか分からなくなってしまうことがよくありました。読もうと思ったものが読めないでは、スクラップは無用の長物ゆえ、やむなくこの19冊は廃棄しました。その後は目次を設けながらスクラップをしてきて、現在12冊目。目次はスクラップの最初のページを定位置としてきましたが、冊数が増えるにつれ、目次は別冊としてまとめるようにしました。
 昔も今も新聞に載っている情報が最も信頼できると思っています。わがスクラップを知恵袋として活用したいです。”(10月18日付け中日新聞)


 愛知県豊川市の松下さん(男・77)の投稿文です。新聞のスクラップ、できそうでなかなかできない。それを30年である。そしてそれをどう整理するか、これがなかなか難しい。スクラップするのは、ただ溜めるためではない、後に活用するためである。活用の目的によってまとめ方も違ってこよう。松下さんは、読みたいものがどこにあるか、分からなくなって、それまでの19冊を捨ててしまわれた。何十年もの苦労を捨てるというのは無念であったと思う。その後目次を付けることを思いつかれて現在も続けておられる。今では目次は別冊とされている。
 この話からボクの話しもしようと思った。ボクは新聞のスクラップではなく、いろいろな思い出の紙類である。ウォーキングや旅行などでもらって来た紙類を綴じてきた。まず内容別に綴りを儲ける。そして、一冊になると目次を書く。その目次は目次だけの冊子を儲ける。内容は違うが、松下さんと同じ手法である。この目次があることによって、今みたいものがどこにあるかすぐに分かり、随分活用できた。できればボクのホームページの随想「私の宝物」を読んでいただきたい。



(第3752話) 少しの勇気

2024年11月07日 | 行動
 “雨が強く降り出してきた8月の夕方のことです。津市にある私の勤務先の施設前で若い黒人男性が空を見上げていました。傘は持っていないようで雨宿りをしていたみたいでした。雨はやみそうにありません。そこで私は職場に戻り、ロッカーから予備のビニール傘を持ってきました。言葉が通じるか、心配でしたが、思い切って「プレゼント、アンブレラ」と話しかけました。彼は笑顔で受け取り、「ありがとう」と日本語で返しました。小さめの傘でしたが、彼は気にせず差して、私に手を振って小走りでその場を離れました。大切なのは、ほんの少しの勇気なんですね。そう実感しました。”(10月17日付け中日新聞)


 三重県松阪市の会社員・山本さん(男・68)の投稿文です。前回と似たような小さな親切の話しです。雨宿りの人に傘をあげる、それも外人に対してである。職場に戻って傘を持ってくる。これはなかなかできない。山本さんは素晴らしい。
 ところがこの親切、もっとたやすいことでもなかなかできない。親切にするのだから、何も小さくなることはないし、躊躇することもない。ところが意外にそうでもないのである。見知らぬ人に声を掛けるのは難しいのである。これは日本人の特徴であろうか。そうだとしたら直さねばいけない。ボクも時折ある。よくあるのは、傘に入れてあげることである。これなどもっとたやすい行為である。相合い傘になってしまうが、これが躊躇する理由であろうか。でも理由などいくらでも付けられる。良いと思うことはまず自分から動くことである。断られればそれはそれでいい。親切に躊躇はない。



(第3751話) 次は私が

2024年11月05日 | 出来事
 “足の不自由な夫と車に乗って、岐阜県関市の大型店舗へ買い物に行きました。店舗入り口前で夫のために車椅子を借りようとしましたが、利用するのに必要な100円硬貨が1枚も財布にありません。近くに両替機はなく、途方に暮れてしまいました。ちょうど若い男性2人が通りがかったので、思い切って「千円札両替できますか」と尋ねました。―人の男性は「両替はできませんが、使ってください」と言って、100円硬貨を差し出してくるではありませんか。優しさと厚意に感激しつつ、そのいくらかは返そうと思い、ありったけの小銭の87円を手渡しました。おかげで車椅子を無事借りられ、買い物ができました。もし困っている人を見かけたら、今度は私が助けてあげる番!”(10月12に付け中日新聞)


 岐阜県可児市の自営業・斎藤さん(女・76)の投稿文です。少しのお金が足りなくて用が果たせない、時折あることです。斎藤さんのご主人が足が悪い、その車椅子が借りられない。見知らぬ人からの100円硬貨がありがたかったでしょう。この親切は忘れられない。次自分が見かけたら積極的に助けよう、まさに恩送りの決意です。これで社会は暖かい空気で回っていく。
 店舗で車椅子を有料で貸しだしている、こんなサービスがあることは知りませんでした。足も悪くないし、大型店にもあまり行かないボクだから知らないだけなのかもしれない。弱ったからと言って家に閉じこもっているのはますます弱ってしまう。高齢者も同じである。弱い人ほど積極的に外に出られるような配慮が欲しい。



(第3750話) 妻への感謝

2024年11月03日 | 行動
 “27日で、結婚50周年を迎えます。結婚してからは、正月を迎えるたび家族写真を欠かさずに撮ってアルバムに収めてきました。最初は兵庫県の妻の実家で親族と一緒に納まりましたが、わが子が生まれれば家族3人の写真となり、すぐに家族4人となりました。わが子2人が就職して巣立ったら、私と妻の2人だけとなりましたが、長男は結婚して子どもが2人でき、近年は3世代の記念写真となっています。15年ほど前から撮影する場所は家の裏庭と定まり、アルバムをめくれば孫の成長ぶりは一目瞭然。
 わが家には、私たちの結婚を記念して親戚からもらった振り子の柱時計があり、今も時を刻んでいます。年に2~3回、振り子を調整するのが常。どんなに感謝してもし尽くせない妻には「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。”(10月12日付け)中日新聞)


 岐阜県多治見市の清水さん(男・75)の投稿文です。家族写真を正月に毎年撮る、それが50年と言われる。写真である、生きた家族の歴史である。50枚の写真で家族の変化も一目瞭然である。続けるというのは素晴らしい成果を生む。ボクもやるべきだったと、思う。だがそんな発想はほとんどなかった。人生、ほとんどのことは戻ることはできない。残念だった。
 ただ残念だったでいいだろうか。ボクの夫婦はあと何年あろうか。数年だろうか、それとも十数年だろうか、いやもっと長かろうか、それが今のところでは誰も分からない。今からでもおめかしして撮るのも良かろう。もうおめかしさえ忘れている。本気で考える必要がある。
 そして清水さんは奥さんへの感謝も忘れていない。ボクも妻がいることは本当にありがたい、と思っている。共にある間にできることは何でもするべきである。



(第3749話) 歩いて気づく

2024年11月01日 | 行動
 “少しでも運動しようと自転車通勤をやめて4月から徒歩に改めた。片道20分の道中、ハンドルを握っているだけでは見落としていた街の四季折々の風景に気付く日々。サルスベリやアサガオを眺めるだけで気持ちも和らぐ。中でも最近私が気になっているのが、接骨院の前に置かれた看板だ。
 看板には日替わりで言葉の解説が書かれている。凹凸と凸凹の違いをはじめ、ゴルフのバーディーやイーグルといった鳥に関する言葉が登場する理由といった雑学のオンパレード。野球の投球練習場であるブルペンは雄牛の囲い場という意味とあり、野球好きの高校生の長男にそのことを伝えたら興味を示していた。さて次はどんな話題だろうか? 私の朝の楽しみとなっている。”(10月12日付け中日新聞)


 名古屋市のパート・林さん(女・53)の投稿文です。この投稿文で驚いたのは、毎日掲示板の文が違うと言うことです。接骨医院の方が、通る人に向けての発信でしょう。通る人に雑学的情報で楽しみを与える。毎日にとなると何事も大変です。大変な努力を要します。それだけ勉強もしなければならない。でもする方も楽しみになっているはずです。それでなければ続きません。ボクのこの「話・話」 も同じです。大変な努力を要しますが、楽しみもあって続いています。
 そしてもう一つビックリしたのは、自転車から歩きに変えて、風景が一変したということです。見落としていたものが見えるようになった、と言われる。では車だったらどうでしょう。全く何も見えていないことになります。でもこれは本当です。ウォーキング愛好家のボクだからよく分かります。いろいろ歩きましょう。そしていろいろな発見をしましょう。



 


川柳&ウォーク