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第241号  2024年7月


 

(第3705話) 布製カバー

2024年07月31日 | 知識
 “自転車に乗るときのヘルメット着用が昨年春から努力義務となりました。私はおしゃれも兼ねてチェック柄の布製カバーをヘルメットにかぶせてきましたが、雨に遭ったり経年劣化もあったりして傷みが目立ってきました。代替を考え始めたとき、愛知県警のホームページにカバーの型紙が掲載されていることを知り、それを基にして隣宅に住み裁縫が得意な次女に製作を頼みました。
 次女は裏返しても利用できるカバーを二つ作ってくれました。一つは表裏がピンクとブルーの夏用、もう一つは冬用でデニム生地の紺と白のリバーシブル。ともにおしゃれで、夏の日よけや、冬の防寒にも役立ちそう。何より次女に守られているようで私は安心して自転車をこぐことができています。”(7月4日付け中日新聞)


 愛知県愛西市のパート・荒川さん(女・60)の投稿文です。自転車のヘルメットが義務化され、している人も次第に増えてきた。ただ女性には見かけや髪が乱れるので抵抗が多かろう。そこは知恵である。この投稿がその一つであろう。ヘルメットにきれいな布をかぶせる。そうすればおしゃれの一つにもなる。おしゃれとなるとまたいろいろ知恵が出てくる。それが女性である。
 ボクはほとんどの人がヘルメットをかぶっていない平成29年からかぶるようにした。その年老人クラブ連合会長になり、自転車で地域を回ることが多くなった。見本を示す意味でもかぶるようにした。それ以来かぶっているが、一向に増えなかった。義務化されて次第に増えていった。車を放棄した高齢者には自転車は貴重な乗り物である。でも危険である。ヘルメットをかぶり、十分に注意して乗りたいものである。



(第3704話) 交換ノート

2024年07月29日 | 行動
 “高校のクラス会が数年ぶりに開かれた4月以降、同級生十数人で無料通信アプリを介しメッセージのやりとりができるグループをつくって近況報告をし合っている。書き込みは孫の成長をはじめ健康、親の介護、趣味やコレクション、読んだ本とさまざま。趣味という短歌や手芸、好きな音楽を上げる仲間もおり、その行間から普段の生活ぶりが伝わってくる。私も最近印象に残った映画や新聞記事を紹介した。それこそ高校生のときに班で回していた交換ノートみたい。
 時折、同級生の意外な一面が見られるのが楽しい。この先もメッセージのやりとりを通じ、仲間との絆をさらに深めていきたい。”(7月2日付け中日新聞)


 岐阜市の主婦・中川さん(65)の投稿文です。同級生十数人で無料通信アプリを始められた。その機能に驚きであろう。新たな世界に舞い込んだ気分であろう。高校生のときに班で交換ノートを回していたと言われる。ボクにはそれも驚きであるが、その体験からすれば無料通信アプリは雲泥の差を感じらるだろう。交換ノートは時間を要するが、アプリは即である。その利便性は言うに言えなかろう。時代の流れである。
 でも一歩振り返れば、これが良いか悪いかは分からない。ボクは無料通信アプリ・LINEを使っているが、その即さが嫌なときがある。ゆっくり考える時間を与えない。ボクはEメールをよく使うが、メールを受け取った後、返信は翌日が多い。その間、考える。また書いて送るまで推敲する。しまった、と思うことや間違いは少ない。賢いのはうまく使い分けることであろう。



(第3703話) 私も冒険

2024年07月27日 | 行動
 “愛知県一宮市の小学校が催す生き方講演会へ特別に参加させてもらいました。講師は同市出身のミュージカル俳優鈴木ほのかさん。迫力ある声量での透き通った歌声がいざ披露されると児童から歓声が上がっていました。ミュージカル観劇をきっかけに今の仕事に就いたそうですが、オーディションになかなか合格できず苦労した時代もあり、演技の勉強を懸命にして夢をかなえたといいます。「諦めずに続けることが大事。やると決めたら冒険してみよう」というエールは大人の私にも響きました。
 私は昨年春、中学校校長を最後に教師を定年退職し、現在は別の世界を知ろうと福祉業界を志す学生が集う専門学校職員になりました。私も「冒険」します。”(7月2日付け中日新聞)
 
 愛知県稲沢市の専門学校職員・川口さん(男・61)の投稿文です。川口さんは、中学校の校長を退職された後に専門学校職員になられた。この転職は川口さんにとって別の世界と言われる。別の世界となれば大きな変化である。当然冒険が必要になる。「やると決めたら冒険してみよう」と言う言葉が励ましになる。一度の人生、どう過ごすかはそれぞれである。同じことを少しでも長く続ける道もあろうし、このように別の世界を知ろうという道もある。どちらが良い悪いではない、その人の考えと境遇であろう。川口さんの健闘を祈りたい。
 ボクは何か今、いろいろなことが開けている気分がある。この歳で何も新しいことをしているわけではないが、今までしてきた体験が次に繋がっている気がする。小さなことでも新しいことは冒険である。その冒険を恐れない気持ちが大切であろう。



(第3702話) キャンプ

2024年07月25日 | 行動
 “長女と三女、私たちの計3家族の9人で5月、滋賀県甲賀市の公園キャンプ場に行きました。発起人は長女の夫で、自分の両親がともに高齢となり、過日旅行に誘ったら断られたそう。そこで、せめて義父母に当たる私と夫にはいい思い出をプレゼントしたいと考えたようでした。
 皆でテントを張って、川で水遊びをしたり園内を散歩したりしました。昼食は長女の夫がバーベキューを用意してくれました。肉や野菜、そばはどれも焼き加減が良くておいしかったです。予定した滞在時間の6時間はあっという間で、2歳から中学生までの孫3人も大喜びでした。「また皆で出かけようね」と約束してキャンプ場を後にしました。”(6月28日付け中日新聞)


 滋賀県甲賀市の主婦・橋本さん(71)の投稿文です。橋本さんはいい思い出を作られた。発案は、長女のご主人であった。ボクはここに気を引かれた。自分の親を誘ったら、高齢を理由に断られた。そこで気がつかれた。親はいつまでも元気ではない。それこそできるときにする。思った日が吉日である。高齢者に明日はない。若いときは自分のことで忙しく、親どころでない。そして余裕ができたときにはもう親は動けない。こんな家族がどんなない多いだろうか。
 ボクは2人の娘があり、2人の娘に親は6人いることになる。1人はもう10数年前に亡くなった。そして2人は今年に入っておかしくなった。そのうちの1人は今大騒ぎである。娘や婿に言っておかねばいけない。親孝行するなら今だぞ、と。と言うことではない。娘たちが気づくかどうかである。



(第3701話) にっくきスマホ

2024年07月22日 | 意見
 “またスマホ批判か、と思われるかもしれないが、たとえごまめの歯ぎしりと一蹴されても、スマホの危うさを訴え続けたい。スマホという魔法の小箱はまことに便利きわまりない。通信手段としてはもちろんのこと、写真や動画をはじめ楽しさの要素がぎっしりと詰め込まれていて、辞書機能もあるから重宝この上ない。それだけに、スマホの魔力にはまり込むと、危険な事態となる。
 まずは記憶力が退化する。脳の記憶力は反すうすることで強化され、活性化する。少し前までは大事な電話番号は己の記憶の中にあった。今は全部スマホに記憶を代行させている。覚える必要がなくなるので脳は使われなくなる。使われなくなると脳のその箇所は錆びてくる。
 スマホは娯楽の殿堂だ。ラインや電子メールでのおしゃべりは楽しくて切りがなく、なかなかやめられない。ゲームをやり始めたら歩行中でも夢中になる。動画も見放題。ということは「思考」する時間がなくなることを意味する。生成AIが登場し、スマホもさらに進化するだろう。が、人の「思考」こそが人を人たらしめるものだ。「思考」までもスマホに委ねたら人類は終わる。”(6月23日付け中日新聞)


 エッセイストの飛鳥圭介さんの「おじさん図鑑」からです。飛鳥圭介さんは同年代だろうか、同調することが多く、取り上げ始めたらキリが無い。意見であることが多いので、控えながらも時折取り上げたくなる。今回もそうである。スマホについてその便利さは数え上げたらこれまたキリが無い。ボクも使っているがその使い方は、スマホの能力のほんの一部である。ボクは動画は見ないし、ゲームもしない。こんな使い方は少数派であろうが、それでも凄く便利、凄い。便利さに頼るということは、それだけ自分の能力を落とす一面がある。浮いた時間をそれ以上の能力を蓄える時間にすれば、それで良いが、これはまた難しい。凡人にはスマホを使うの能力はあっても、それ以上の能力はない。更に進んだAIはどうだろう、人類を滅ぼすと言う人もある。飛鳥さんはそれに近い危惧を抱かれる。思考まで委ねたら、人間は器具に振り回される道具である。地球環境といい、世界情勢といい、人類は破滅に向かっている・・・杞憂であろうか。どうも言いたいことがうまくまとまっていない文である。


(第3700話) 母子の姿

2024年07月20日 | 人生
 “近くの入浴施設に行くと、50代ほどの女性が母親らしき人の背中を洗い流していた。その日は、くしくも「母の日」。思わず涙がこぼれ落ちた。
 10年ぐらい前までの数年間、私は岐阜県郡上市の実家に毎週帰省しては、自力での入浴が難しくなった母を連れて周辺の温泉施設に行った。湯船に漬かり母の笑顔を見るのが楽しみだった。いつものように母の背中を私が洗っていたら、70代ぐらいの女性が「お母さんですか? いいですね。私もやりたいけど、もういないんです」と声をかけてきた。その母は既に逝き、あのときの女性の言葉が今回一層身に染みた。見かけたあの母子にとって、この日がかけがえのない思い出になることを願わずにいられなかった。”(6月22日付け中日新聞)


 岐阜県関市の主婦・伊藤さん(74)の投稿文です。娘さんが母親の背中を流す、何といういい風景であろう。母娘の姿でこれ以上いい風景を探すのは難しい。伊藤さんもされていた時期があった。そんな風景を見て、昔の出来事を思い出された。それは、伊藤さんが母親の背中を流していたとき、羨ましがられたことである。この短い文の中に3人の娘さんが登場する。それぞれの時の立場がある。
 「親孝行したい頃に親はなし」、こんな思いを抱いた人の多さ、数え切れないであろう。親子というのはそんなことが多いのである。悲しい宿命である。でも成長しなければいけない。いつまでも同じ過ちを繰り返していてはいけない。



(第3699話) 日記を介し

2024年07月18日 | 行動
 “日記を書き始めたのは小学校の高学年だった。その日の出来事を記す程度だったが、中学生になると人付き合いが苦手なこともあって人間関係の悩みや、抱く劣等感の数々を思うままに書き留めた。日記帳に向かいながら、モヤッとした頭を整理することができ、直面する問題の根源はどこにあって、解決するためにどうすればいいかを考えた。赤裸々な日記は処分したが、日記を書く過程で気持ちは落ち着き、自らの成長にもつながった気がしている。
 高校生になって比較的生活が充実してきたら、次第に内省的なものよりも、目標や将来の夢といった前向きな話題を取り上げることが増えた。自分の考えや思いを文字にする上で、より客観視でき意志も強まった。
 大学3年生となり、卒業後を考えねばならなくなった。日記を介した自分との「対話」で、より良い未来を招き込みたい。”(6月22日付け中日新聞)


 名古屋市の大学生・磯貝さん(女・20)の投稿文です。言われるように、日記は自分との対話である。書いて悪いわけがない。磯貝さんは、小学校の時から書き始められたと言われる。凄い、感服である。そして書く内容も歳と共に変わってきたと言われる。当たり前かもしれない、これも凄いことである。まさに成長の証しである。
 日記は記録という意味もあるが、そればかりではない。文章力や推敲の上昇、訓練でもある。文字を覚えることもある。生活の規則化、と言うこともある。波及効果を考えればどこまでも広がる。
 ボクは3年連用日記が14冊目の入っている。40年目である。多分、最初は何かのノートに高校に入った頃から書き始めたと思う。この効果はボクに人生に大きかった、言い切れないくらい大きいと思う。



(第3698話) 食生活改善

2024年07月16日 | 知識
 “子どものときから便秘に悩まされ、下剤なしでは生活ができませんでした。2年前、大阪市の肛門科の医師に診てもらい、私の食生活を聞くや「全然タンパク質の量が足りていません」と指摘し、グルテンフリーの健康法を勧めました。医師は穀物のタンパク質の主成分「グルテン」を除いた食事療法が私の健康への近道と考えたようでした。それからパンや麺類、乳製品の摂取をやめ、牛肉や卵、豆腐、野菜、大豆を中心にした食事に切り替えました。体重は10キロ減り、ウエストは20センチ細くなりました。体調はすこぶる良好となりました。そんな自分へのご褒美としてグルテンフリーのケーキを年数回食べています。
 食事を改めるだけで、こんなに生活が楽になるんですね。驚きです。”(6月22日付け中日新聞)


 名古屋市の主婦・武田さん(67)の投稿文です。高齢になれば、話しは体調や病気ののことばかりであるが、若いときはそうでもない。武田さんは子供の頃から便秘に悩まされたと言われる。こうした話は特にしないであろう。ところが聞いてみるといろいろあるのである。人によって体の違いは、ボクが思っている以上のようである。特にこの様に女性の便秘の話しを聞くとビックリである。2、3日とどころか1週間もないという話しも聞く。ほとんど毎日あるボクには信じがたい。逆に下痢の人もあろう。肩こりや腰痛の人も多かろう。体調不良は辛いものである。適度に人に話した方が良いと思うが、どうだろうか。
 ところでグルテンフリーなどと言う言葉をボクは知らなかった。少し調べてみた。タンパク質である。タンパク質は重要な栄養素と思ってきた。ところがこれが悪さをする人もあるようだ。最近よく聞く、腸内環境に悪さをするらしい。少し調べてみただけはますます混乱するが、人の体は人によって大きく違うということであろうか。誰もが自分と同じ、と思ってはいけない、このことが重要ということであろう。性や、障害者、これらも同じことであろう。



(第3697話) 全ての人に

2024年07月14日 | 意見
“夕食を食べながら思った。この食事ができるまでに一体どれぐらいの人が関わっているのだろうか、と。
 その日の献立はギョーザ、みそ汁、ご飯。どれも同じスーパーで買った食材だが、ご飯は米農家と流通業者、みそは大豆生産者と加工業者をそれぞれ経ている。焼くだけの状態のギョーザに至っては、あんはキャベツや豚肉、、皮は小麦からそれぞれ作られていて、店頭に並ぶまでに関与した人の数は計り知れない。調理にはガスや電気、水道を使った。盛り付けた食器の製作者もいる。実にたくさんの人の力があって、いただくことができる夕食。感謝を忘れてはいけないと痛感した。”(6月18日付け中日新聞)


 岐阜市のパート・加納さん(女・56)の投稿文です。夕食しながらフト思われたのであろう、この食材にどのくらいに人の手が加わったか?購入したものながら、それこそ数え切れないだろう。農産物であれば生産者から問屋業者、運送業者、加工業者、販売者等。生産者は種を買うし肥料も買う。農機具も必要である。消毒薬やビニールハウスなどの材料も必要である。たどればたどる程キリが無い。本当に自分一人では何もできないのである。数え切れないほどの人が何かを負担しながら、食べ物であれば人の口に入る。本当に感謝、感謝である。
 ところがボクのやっている家庭菜園となるとどうなるだろう。どこまでたどるかは、少し限定して、種は自己採取である。備中で耕し、肥料はほとんど鶏糞と石灰のみである。できれば採取して妻が料理して口に入る。この違いに驚く。やはり家庭菜園を全国民に義務付けるべきである。日本の抱えるいろいろな課題が解決されるだろう。これは冗談交じりの昔からのボクの主張である。



(第3696話) 婚約道中

2024年07月12日 | 行動
 “5月中旬の夕方、来客の見送りで外に出たら、すぐ家の前の旧東海道に「婚約道中膝栗毛」と書かれたのぼりを掲げたリヤカーが見えた。直径1メートルの地球儀を載せており、興味を抱き、近くにいた30代ぐらいの若い男女に声をかけた。
 東京在住という男女によれば3月15日に日本橋を出発して京都に向かっている途中とか。出会った人を幸せにしたいとの思いで歩いているらしく、道中の様子は動画投稿サイトにアップし、公園にテントを張ったこともあったという。私が「1人暮らしで気遣いはいらんから泊まっていきなよ」と誘うと、2人はうれしそうにうなずいた。わが家で2泊し、その間、実にさまざまな話ができ楽しい時間を送ることができた。
 動画投稿サイトによれば2人は5月30日に京都に到着。旅が終われば2人は婚姻届を出すと言っていた。お幸せに!”(6月18日付け中日新聞)


三重県四日市市の谷口さん(女・81)の投稿文です。リヤカーを引っ張りながら婚約道中とは、何という発想だろか。このようなことで、二人の意見が一致するとは、まずは希有なことであろう。奥さんになる人も同行されるとなると、まずはありえない。こんな愉快な話はそうお目に掛かれることではない。何とも楽しい。こんな思い出を作った二人に、別れは許されない。多くの人に感動を与えたのである。裏切れない。長い結婚生活、いろいろな危機も訪れよう。でもこの思い出がそれを乗り越えさせるのである。
 どんな二人も何十年ともなれば、何か起きる。でもあっさり別れるか、耐え忍んで乗り越え、一生添い遂げるのか。今は簡単に別れる人が多い気がする。



 

(第3695話) 読み聞かせ

2024年07月10日 | 活動
 “娘と息子が通った小学校で読み聞かせのボランティアになって14年目に入りました。22歳の娘が小学校4年生のときにボランティアを募集していて立候補したのです。
 読み聞かせの活動は月に2度。低学年向け、高学年向けに催され、私たちが季節の話題や学習内容に沿って選んだ絵本を15分ぐらい読んで聞かせています。児童の思いがけない反応に接することもままあり、選んだこの私が、絵本の魅力に改めて気付くこともあって、まさに発見の連続です。娘と4学年下の息子が在籍していたときは校内でのわが子の様子にも触れることができ、とても貢重な機会になりました。
 高校を卒業して社会人になった娘も読み聞かせのボランティアとなり、私と一緒に学校を訪ねることもあります。親子で、次代を担う児童の健全育成に貢献できたらと思っています。”(6月15日付け中日新聞)


 三重県鈴鹿市の主婦・中島さん(51)の投稿文です。小学生に読み聞かせが始まったのはいつ頃からであろうか。ボクの娘が子供の頃には聞かなかった。聞いていたら妻はやったかもしれない。良い活動だと思う。聞く児童はもちろん行う大人にも、中島さんが言われるように良い効果があるだろう。そしてこの読み聞かせボランティアを中島さんの娘さんも始められた。親子共演である。何という良い親子だろう。羨ましくなる。こんな親子もあるのだ。折角始められたいいことである。長く続けられることを祈りたい。就職して始められたのだから、就職は問題ではなかった。次は結婚だろうか。うまく乗り越えてほしいものである。読み聞かせは結婚もあまり問題ないと思う。



(第3694話) 編集日誌の手写

2024年07月08日 | 行動
 “認知症予防も兼ねて朝刊1面コラム「中日春秋」を書き写そうと思い、10年前に専用のノートを5冊買いました。取り組むと、毎日30分以上鉛筆を握るのは思いの外大変でした。3年間で計30日分を書きましたが、挫折してしまいました。それから4年ぐらいして朝刊第2社会面の「編集日誌」を書き写そうかと思って、ノートの残っていたページに書きだしました。分量は中日春秋の半分以下で、所要時間も15分ほどと比較的短時間にできました。書き写してから改めて新聞を広げれば、掲載された各記事の理解はさらに深まった気がします。
 編集日誌の書き写しはまだ月に20日程度しかできていません。それでも私は可能な限り、この作業を続けようと考えています。”(6月14日付け中日新聞)


 この投稿文は、ボクが書いたものです。ボクは中日新聞の発言欄に投稿したのは過去に1度あり、それももう何十年も前のことである。その時は没であった。今回、投稿する気になったのは、ある人と話していてである。中日新聞の販売所で書き写しの企画があり、出かけた。そしてボクのしていることを話した。話した内容がこの投稿文である。帰り道、ふと投稿してみようという気になった。そしてさっそく書き上げ、5月9日に投稿した。数日後、中日新聞本社の担当者から電話があり、問われるままにいろいろ話した。そしてこの掲載となった次第である。一宮友歩会のことで4月に掲載されたばかりなのに続いてである。一宮友歩会は尾張版であったが、今回は全中日新聞である。遠くの人から、また久しぶりの人からも連絡があった。中日春秋の書き写しは大変で、あきらめたという人もあった。ボクの投稿文を参考にする人は現れないだろうか。その日の「編集日誌」には、「(この編集日誌を)ほぼ毎日書き写す読者もいらっしゃると知り、驚きました。光栄です。短いのがいいですね。」ともありました。まずは担当者に喜んで貰えたのは何よりです。



(第3693話) 物を大切に

2024年07月05日 | 知識
 “3年前に他界した同居の義母が終戦を迎えたのは20歳だった。戦争が終わっても物不足は解消されず、やりくりに四苦八苦したそうだ。そんな原体験からか、孫にあたる私の娘や息子のために古い布団を打ち直してベビー布団をこしらえたり、ベストの古い毛糸を解いてはチョッキに編み直したりしてくれた。息子の七五三祝いのとき、ビーチサンダルの鼻緒に白布を巻きヽ即席の雪駄に仕立てたのには驚いた。
 義母のことをいろいろ思い返すにつけ、日本もすっかり豊かになってモノがあふれる社会になったからこそ、簡単にどんなものでも使ったらすぐに捨てるのはやはり良くない。可能な限り長く使おうとする心がけを、義母は私たちに伝えたかったのかもしれない。”(6月14日付け中日新聞)


 名古屋市の主婦・鵜飼さん(61)の投稿文です。ものを大切にする、当たり前のことである。と言いながらも、それも我々世代までのことであろうか。鵜飼さんの義母の「ビーチサンダルの鼻緒に白布を巻きヽ即席の雪駄に仕立てた」には、ボクも全くビックリである。凄い知恵と思う。
 しかし、あるときから、工夫するより必要なものは買う、修繕するよりも買い換える。古いものを使うより新しいものの方が気分が良い、また性能も良い、合理的である。またそれで経済も潤う。でも本当にそうであろうか。ものは資源を使う。資源は無尽蔵ではない、有限である。最近は持続可能な社会、SDGsなどと言われ始めた。でも、人類は本当に真摯にこの問題に対応しているであろうか。ボクには怪しく思われる。経済優先から脱皮していない。経済優先とものを大切にするは結びつかない。真逆である。人間が住み続けられる地球が尽きるのはもう目の前である。資源の無駄使いの最たる戦争などしている場合ではない。地球の資源は無駄にしてはならない。



(第3692話) ジャカランダ

2024年07月03日 | 知識
 “一宮市中町の山下病院庭園で、南米原産のジャカランダが薄紫色のラッパ状の花を咲かせている。庭園は一般開放しており、見頃は16日ごろまで。20年以上前に植えた木は高さ約10メートルに成長し、ここ5、6年で花を咲かせるようになった。寒さに弱いため、冬は木の幹にコモを巻くなど手入れしてきた。今年は例年より数日早い6月1日ごろから咲き始めた。
 毎年見に来ているという同市本町の女性(76)は「今年はより豪華に咲いている。見ていて幸せになる」と顔をほころぱせた。”(6月13日付け中日新聞)


 記事からです。この記事が出るまで、ボクはジャカランダという花を知らなかった。山下病院は、妻が中学を卒業して就職した先である。妻がまずこの記事のことを話題にした。そしてLINE仲間でもこの花が話題になった。九州までこの花を見ることが主目的で行ったという人もいた。6月16日、妻と見に出かけた。見事に生長した大木である。世界三大花木ということにもうなずける。写真を撮り、川柳連れ連れ草6月号のタイトルに使った。新聞記事がいろいろな発展に繋がった。繋がりが生じると楽しいものである。



(第3691話) 老いる心得

2024年07月01日 | 教訓
 “「父の日」が近づいています。父さん、元気でいますか? 6月2日、誕生日おめでとう。写真の中の父は、にっこりほほ笑んでいます。あれから10カ月がすぎました。一周忌を迎える夏が、もうそこに来ています。100歳と2ヵ月、よくがんばりましたね。本当におつかれさまでした。
 名古屋で入退院を繰り返す母を看取り、1人になった父は87歳で私のもとに来ました。いつも笑顔で明るく、おだやかな日常をすごし、天気が良い日は自転車で散歩に出かけるのが日課でした。福祉センターの高齢者教室で知り合った友人たちと勉強したり、でかけたり楽しい日々をすごしていました。
 そんな父にも介護が必要な時が来ました。私の手に負えなくなり訪問入浴、訪問介護、吸引などお世話になることも多くなりました。拒否することは一度もなく、とても協力的でした。父との13年間の同居生活は、私に「老いる心得」をしっかり教えてくれました。最後まで在宅介護できたのは、ひとえにあなたが模範生だったからです。今になって、やっとそれがわかりました。がんばったのは私ではなく、介護された父の方だったということが・・・。これから迎える私の老後、あなたをお手本に、しっかり生きてゆこうと思っています。”(6月9日付け中日新聞)


 愛知県安城市の主婦・近藤さん(75)の投稿文です。大変であったろう在宅介護を長年してきて、「がんばったのは私ではなく、介護された父の方だった」という言葉はどこから出てきたのであろうか。いくら協力的であったとしても、なかなか出る言葉ではない。その近藤さんも75歳、60代後半からので介護であったろう。楽であるはずがない。こんな言葉が出るのは近藤さんの人柄であろう。この親にしてこの子あり、であろうか。
 親子が一緒に暮らす、一昔前なら普通のことであった。でも親と子の生活が違い過ぎる。また労が長すぎる。同居が難しくなっている。夫婦が元気であれば、別居の方が気楽である。わが家もしかりである。そして娘2人とも近くに住んでいる。これからがボクらの正念場である。2人とも、生涯自宅で過ごすことを願っている。どうなるのであろう。近藤さんのように、父母が頑張ったと、言って貰えるようにしたいものだ。




川柳&ウォーク