“私の家では毎年、玉葱を作ります。専門の農家ではないので、商売で作るのではありません。家で一年中、食べていけるだけの玉葱の種を種苗店に注文し、千本ぐらいの苗を育てて十月の末に定植します。家内と二人で作業し、翌年の六月の中頃に収穫します。
しかし、どうしたわけか、今年は不作でした。順調に育つはずの四月、五月に晴天が続いたせいか、さっぱりの出来です。普通なら家には百個ぐらい残して、あとは近所や親戚に分けて喜ぱれます。今年は百個そこそこしか物にならず、それも小さく、人に分けるどころか、自分の家の分でさえ乏しい出来栄えになってしまいました。聞くところによると、今年はどこでも不出来のようで、小売店で二個で三百円以上もしていたようです。ロシアのウクライナ侵攻のせいで物価は何でも高いようですが、野球のボール程度の玉葱がそれだけしては、消費者も大変だと思います。
八十五歳を過ぎた現在、こんな不作は記憶にありません。玉葱はいろいろな料理に使われ、体にも良い野菜です。来年はいつものような立派な玉葱を作りたいと、家内と誓っています。おてんとうさん、頼みまっせ。”(7月10日付け中日新聞)
岐阜県下呂市の高野さん(男・85)の投稿文です。農作物ほど訳の分からないものはないと思っているが、専業の方はどうだろうか。専業の方は、生活がかかっているので訳が分からないなどと言っておられないだろう。人工で対応するところもあるが、多くは自然である。自然などは人間が左右できる代物ではない。だから人間が対応できることは限られる。まして、素人に到っては、わずかな部分である。
高野さんは千個の玉葱の苗を植えられる。ボクも毎年作っているが300個くらいである。これでも普通の家庭にすればかなり多い方だろう。だから妻は知人に配って歩いている。これが配れる年と配れない年がある。それ程に年によってバラツキが大きいのである。ボクの父親は専業農家であった。百姓はいつまで経っても1年生だ、とよく言っていた。同じことをやっても同じにならないのである。天候や土の状況は毎年同じと言うことはありえない。だから結果は違って当たり前である。その当たり前を少しでもなくす、この努力が必要であり、また楽しみである。家庭菜園はいい。こんないいものは少ないだろう。高野さんは来年も楽しんで臨まれるだろう。