“昨年は義父母がともに逝ったため喪中はがきを出して新年の年賀状をしたためるのは遠慮したのに、わが家のポストに元日、中学校時代の恩師から唯一の賀状が届きました。例年通り手作りの版画に「大変失礼かとは思いますが賀状の一枚もない新年は寂しすぎるじゃありませんか。せめて一枚ぐらいあってもいいかなと思いまして」とありました。ここ数十年で最も温かい年賀状でした。
年齢が近いこともあって、私たちにあだ名で呼ばれても笑ってくれる先生でした。修学旅行の思い出文集はガリ版印刷で作って配ってくれました。気付けば先生も八十代に入る頃ですが、いつまでもお元気でいてください。”(2月1日付け中日新聞)
名古屋市の主婦・山田さん(71)の投稿文です。いろいろなしきたりや儀式は遠のいても、なぜか喪中の年賀状を控える風習は続いている。当然ボクもこうしたことは何度もあり、その時の自分の考えで進めてきた。この投稿文を機会に、調べてみた。いろいろな意見がある。慣例もキチンとしていないようだが、こんな文に出合った。「喪中はがきは、あくまでも喪中で年賀状を出せないことの報告です。相手方から年賀状が来ることを拒否するものではありません」。山田さんの恩師はまさにこの文に沿ったものです。山田さんはこの気遣いを嬉しく思われた。
多くの意見は、喪中は1年間、喪中はがきは2親等までの人が亡くなった場合、喪中葉書をもらったら出さない、また喪中葉書をもらったら寒中見舞いなどを出す、となりそうだ。ボクの体験からすると、喪中葉書をもらったらその時が年賀状の縁の切れ目となることも多い。寒中見舞いはほとんどない。その程度の人と多くは年賀状をやり取りしている、ということにもなろう。たかが年賀状であるが、どう捉えるか、もう一度考えてみよう。遅くなったが、余寒見舞いを少し書いてみよう。