“先日、食事中に母が子どもの頃の思い出話を始めた。お月見の頃、友達と各家庭の縁側にお供えしてある里芋を一軒につき一人一個、箸で突き刺して食べて回ったという。信じ難い内容だが、父が「それは『お月見泥棒』と言うらしいよ」と言ったので、調べてみた。
お月見泥棒は、全国各地の農村部で行われていた風習のようである。昔、食べ物が少なかった時代に、他人への施しと地域の子どもたちを大切にするという精神の表れだとのこと。この日に限り、子どもたちが月見団子を「泥棒」することが許されていた。団子が貴重だった時代は里芋で代用されていたようだ。
「子どもは月からの使者だから大切にしよう」という趣旨らしい。何とユニークでお茶目な風習だろう。喜んで走り回る子どもたちの姿が想像できた。今でも続いている所があり、母が育った三重県四日市市の一部では、十五夜に子どもたちが近所を回り「お月見泥棒でーす」と声を掛け、お菓子や飴をもらっているようだ。団子や里芋からお菓子に形を変えているが、この風習には準備する大人側の心の余裕が感じられる。児童虐待が増えている時代、「子どもは月からの使者」という言葉を心に留めておきたいと思った。”(9月4日つけ中日新聞)
金沢市のパート・加藤さん(女・62)の投稿文です。「お月見泥棒」については、2005年10月9日の「話・話」 第426号で掲載している。大分内容は重なるが、もう15年以上の前の掲載なので、再び取り上げた。今も行っているところがあると言われる。こうした風習があるのはもう貴重品、文化財ではなかろうか。426号でも書いたが、ボクのところでは破魔矢や七夕があった。破魔矢は新生児が生まれた家で、七夕は小学1年生に上がった児童がいる家で、回ってくる子供に菓子類が与えられた。七夕はスイカが多かった。いつの頃から無くなったかは、もう数十年の前ことと思うが、ボクには分からない。ただボクには回った記憶があるからこうして書いているのである。
ともかく地域の絆が薄れている。先日ある家庭について、ボクに苦情を言ってきた人がいる。その人の家庭状況を話したら納得された。近所なのに何も知っていない。ボクの村で最もまずいと思っていることは、亡くなった人の情報が全く知らされないことである。近所の人の亡くなったことを何ヶ月も後に知ったりする。地域の伝統をそう易々となくしてはいけない。なくしたらもう戻らない。
“その時、確かに義父の口が大きく開いて何かを言おうとしていた。「じいちゃん、俺、結婚するよ!」。コロナ下のリモート面会。息子が婚約者を連れて、義父に結婚報告をした。
一年前に脳出血となり、寝たきりだった義父。意思疎通が難しくなっていた。息子は待望の内孫。男の子誕生に誰よりも喜んだのは義父。その息子の声に反応したように見えた。それからニカ月後、桜の散る頃、義父は九十三歳の生涯を閉じた。
生前、私が「お父さんは長生きで幸せだね」と言うと、「さわこ、長生きするって大変なことなんだぞ」としみじみ言った姿を思い出す。代々続くこの家を守り、必死に生きてきた義父の重い言葉。最期に義父は、身をもって私たちに命を全うすることの凄まじさと尊さを教えてくれた気がする。
葬儀の後、親友からラインが届いた。「長男の家に嫁いだあなたは、私には想像できない苦労を沢山してきた。でもあなたにしか味わえなかった幸せもきっとあったはず」。本当にその通り。ずっと大事にしてもらった。今は感謝の気持ち以外ない。初盆を迎えた夏。かわいいお嫁さんが、息子の横に座っている。見えているよね、お父さん。幸せそうな二人が。”(9月3日付け中日新聞)
静岡県浜松市の療育指導員・間渕さん(女・54)の投稿文です。この投稿で、2つの言葉についてコメントしたい。まず「長生きするって大変なこと」である。長生きはただめでたいばかりではない。生きた分だけ苦労もあるのである。特に、自分で自分が思うようにならない終焉間近は大変である。間渕さんのお父さんも、脳出血で倒れられ、1年は寝たきりであった。1年はまだよかった方とも言える。ボクの母は老人性痴呆症と言われて15年ばかり生きた。最後の数年は寝たばかりであった。ピンピンコロリは誰もの願望であろう。ボクもそうである。しかし、こればかりはそうは行かない。自分の意思ではどうにもできない部分がある。まさに生かされているのである。
「長男の家に嫁いだ」の部分である。昔に比べれば非常に良くなったと言えようが、それでも他の兄弟に比べれば長男は大変だし、その嫁も大変である。これは家庭環境によって大きく違うとは思うは、親と同居した大半の方はそうであろう。家でなく個人だと言っても、家の部分は少なからず残っているし、今後も残っていくだろう。苦労の分良かった部分もあろうが、比較できるであろうか。もうここらはその人の心の持ち方である。間渕さんは「感謝の気持ち以外ない」と言われているが、これはひとえに間渕さんの人柄である。ボクは一人息子であり、妻は本当に苦労したと思うが、義父母の亡くなった今は何の愚痴もこぼさない。