従来のように2024年の一宮友歩会例会状況を一宮友歩会ホームページのトップページに掲載したあいさつ文を活用して紹介します。
(文中のM氏:城愛好家・友歩会役員、Y氏:工学博士・友歩会役員)
◎ 第100回(令和6年2月3日)
記念すべき第100回例会です。令和6年2月3日(土)、「史跡巡りシリーズ・知多編partR1」として、太田川駅集合で行いました。平成20年12月第17回例会のリメイク版です。過去に行った例会から100回にふさわしい例会と言うことでこのコースを選びました。
雲ひとつない全くの好天、41名の参加者です。出発式の挨拶で、過去を振り返った話をしました。立ち上げ時に100回を想定していたろうか。足かけ19年です、多分なかったろうと話しました。
まず弥勒寺です。知多四国八十八カ所の八十三番札所です。行ったときはちょうど節分の豆まきの最中でした。皆さん豆を頂いて食べていました。次は東海市役所です。玄関に細井平洲と上杉鷹山の像が立っています。それを見ていきます。次は業平塚、そして平洲記念館です。館員の方が今や遅しと待ってみえました。入り口には「ようこそ!一宮友歩会の皆さま」の張り紙です。早々に感激です。そして、クイズの用紙を持って館内を巡ります。8問のクイズに答えます。皆さん夢中です。最後は講堂に入って答え合わせです。1時間近くを要してしまいました。でも100回例会にふさわしい時間となりました。平洲誕生地、平洲小学校、平洲中学校と回っていきます。小学校、中学校にも平洲像があります。次は市立中央図書館です。ここにも平洲像です。昼食場所の大池公園に着いたときはもう1時近くでした。広場ですが、冬とは思えない暖かい場所で昼食を取ることができました。集合写真を撮って、初参加の3名の方に自己紹介をしてもらって、午後の出発です。池に沿って歩きながら加家公園に向かいます。ここでも集合写真を撮り、Y氏の説明を受けました。平洲が河川改修にも関わったという話でした。ここにも平洲像があり、都合6カ所で像を見たことになります。次は平洲が幼少時代学んだという観音寺です。樹齢700年の大クスノキがあります。そして聚楽園大仏です。もう3時近くです。ここで解散式を行いました。100回が晴天の元、盛会に実施できたことに感謝です。
◎ 第101回(令和6年4月6日)
第101回例会も好天の元で終えることができました。令和6年4月6日(土)、「史跡巡りシリーズ・西尾張編partR4」として、名鉄一宮駅集合で行いました。第12回例会のリメイク版、短縮コースです。
近年は中日新聞尾張版の「おでかけガイド」に数行ですが、例会の案内を載せてもらっています。そして今回は、例会100回達成記念誌を配布するということで、中日新聞一宮総局を訪ねました。その場で取材を受けました。そして、4月5日の中日新聞に「100回の軌跡をたどる」として掲載していただきました。また、4月4日には一宮ケーブルテレビICCから、取材に行きたい旨の連絡をもらっていました。
出発式は真清田神社です。9時15分出発式、いつもより少し長めの挨拶をし、30分スタートです。参加者は55名です。50名越えは久しぶりです。ICCは大乗公園まで同行されました。大乗公園には慰霊碑があります。それにまつわる話を役員の一人が説明しました。大江川始め各所の桜は、今が見頃と満開です。大平島公園に向かいます。ここでは「大平島公園SL友の会」の方数名が、今や遅しと待っていてもらいました。資料を頂いてすぐに説明です。そして、SLの見学です。運転席に座る人もありました。次は大赤見城址です。碑は個人宅に立っています。近くの大赤見公園で、城愛好家の役員M氏の説明を受けます。碑は道路から見て、真清田神社御斎田へ向かいます。コンビニに寄り、浅野公園です。ここで昼食です。午後の出発の前に、初参加の方から自己紹介をしてもらいました。新聞記事を見てきたという人が10名以上ありました。新聞で私の名を見て懐かしくて来たという人もありました。馬見塚遺跡、森本中央公園を経て、神明社境内にある照手姫袖掛けの松です。ここではすぐ脇を通る鎌倉街道についてM氏の説明です。JR線に沿って歩いて梅ヶ枝公園です。ここで解散式、その後交流会です。500円会費の交流会には38名の方が参加されました。昨年5月のFMいちのみや出演の録音を聴いてもらいました。桜を見ながら賑やかに過ごした後1時間ばかりで散会しました。
特別の例会になりました。100回達成記念誌は、振り返るいい記録になりました。また新聞記事の反響の大きさに改めて驚きました。ICCでは4月9日から10日にかけ数回、「街ネタプラス」という番組で約3分放映されました。満開の桜に役員が説明する姿も映っていました。いい記録になりました。100回を通過点として、まだまだ頑張っていきたい気持ちが高まりました。
◎ 第102回(令和6年6月1日)
第102回例会は「史跡巡りシリーズ・三重編part5」として、令和6年6月1日(土)、名鉄津島線佐屋駅集合で行いました。出発式は近くの星大明社隣接の公園です。参加者は45名です。いつもの通り、コース説明、準備運動をして出発です。と言っても星大明社拝殿の前までの移動です。下見の時、神社総代の方に説明をお願いしておきました。早くから3人の方が待っておられました。話は市江車の話、木造獅子頭の話等でした。そして、善定坊、古木江城跡に寄り、今拡幅整備中の道の駅立田ふれあいの里です。ここで小休止です。立田大橋に向かいます。長い上り坂、車道は渋滞です。橋を渡り終える前に、足を止めてもらって堤防から長く突き出た水制を確認してもらいました。右岸堤防を河川敷に降りて先端まで行きます。ここでY氏に、先ほど見たケレップ水制についての説明をしてもらいました。そして今ある木曽川は開削掘削したものという話しです。初めて聞く人はビックリでしょう。しかし、一宮友歩会例会に長く参加されている人はもう何度も聞いた話です。長良川大橋を渡り治水神社です。木曽三川公園に入っていきます。4月の下見のときはチューリップとネモフィラの花が真っ盛り、一面に咲いていました。今はすっかり取り払われ、睡蓮の花が咲いていました。ここで少し早い昼食です。そして、集合写真、初参加の人の自己紹介です。今回は6名ありました。12時半、午後の出発です。油島大橋を渡り、田植えの始まった水田の中を、多度大社へ向かいます。その前に内母神社へ寄ります。午前中は涼しかったのですが、この頃は急に暑くなり閉口です。多度川河川敷を上流に向けて歩き、まもなく多度神社です。上げ馬神事の坂は、揺るかになりシートがかけてありました。電車の時刻の都合もあって、50分ほど見学の時間をとりました。簡単に次回例会の案内などをして、多度駅へ向かいます。多度駅ではmanacaが使えず、一人ずつ自動販売機で切符を買います。長蛇の列です。でも皆さん無事に買い終え、一緒の電車に乗ることができました。
暑い位の好天になりました。例会前日と翌日が雨が降ったことを思うと何と天候に恵まれた会でしょう。第76回例会から雨に降られていません。中日新聞掲載の余韻がまだ残っています。今回も6名の初参加があり、参加者の年齢が少し若返り、例会100回達成が雰囲気も変えた気がします。
◎ 第103回(令和6年7月6日)
第103回例会「史跡巡りシリーズ・名古屋編part16」は令和6年7月6日(土)、名鉄本線呼続駅集合で行いました。出発式は駅から少し離れた熊野三社松巨島です。4日から急に暑くなり、5日は37度です。開催を心配する声もありましたが、ともかく当日の状況を見ながら判断するしかありません。そんな中36名の参加者です。いつもの通りコース説明、準備運動をし、そのまま神社役員の方からこの神社及びこの地域の説明を受けました。そして出発です。すぐに急な坂を降ります。そして再び登り、白毫寺です。「あいち」の県名の語源となった「年魚市潟勝景跡」の碑があります。ここでY氏の説明を受けました。上り下りはこの地の特徴を実感します。鎌倉街道を歩いて、鉄地蔵です。地下鉄桜通線を越えて、鳥栖古墳です。医王寺、成道寺と長めの休憩を取りながら進みます。八剣社古墳です。11時半です。普通なら午後の出発前に行う集合写真、初参加の方の自己紹介でここで行いました。どこで帰って頂いてもいいように早めました。幹回りが10m以上もある村上社のクスノキを見ていきます。桜田貝塚のある八幡社を通り笠寺公園です。見晴台考古資料館に入ります。冷房の効いた部屋で説明を受けました。昼食は公園内です。12時20分、集合して竪穴式住居を復元した住居跡観察舎に入り再び説明を受けました。そして午後の出発です。笠寺観音です。市はもう終わっていました。ここでもゆっくり過ごします。名鉄本線を横切り富部神社です。Y氏の説明を受けました。そして呼続公園、午後2時の到着です。ここで解散式を行いました。ここまで歩かれた方は26名でしたので、10名が途中で帰られたことになります。桜駅まではそれぞれに帰って頂きました。
この日は雲もかなり出て風もあり、気温も34度でした。何の問題もなく例会を終えられホッとしました。そして翌7日は再び37度であったことを思うと、何と天候に恵まれた会か改めて思います。
◎ 第104回(令和6年10月5日)
第104回例会「史跡巡りシリーズ・岐阜編part16」は令和6年10月5日(土)、JR東海道本線美濃赤坂駅集合で行いました。大垣駅より2つめの駅です。manacaが使えないなど少し不便ですが、35名の参加です。下下見の時は雪でしたが、今日は好天です。出発式で令和7年の例会計画表を渡しました。
出発してまもなく赤坂港跡です。ここでY氏の最初の説明です。この東側を流れる杭瀬川は今年9月の豪雨で氾濫しました。中山道の赤坂宿を通り抜けていきます。赤坂宿は平成28年6月4日の第62回例会で訪れています。昼飯大塚古墳に上がっていきます。ここでまたY氏の説明を受けました。この付近に関わる壬申の乱の話しでした。中山道から離れ、円興寺へ向かいます。東海地方最大の前方後円墳と言われる粉糠古墳に寄ります。古墳上は現在墓地になっていました。遊塚古墳は遠くから眺めました。そして源朝長に関係する円興寺です。紅葉の名所ですが、紅葉はまだまだです。でも今はここかしこ彼岸花が真っ盛りです。今年は暑さのせいで開花が遅れたことが幸いしました。参拝を終えた後、東海自然歩道に入ります。そして大谷川を下っていきます。美濃国分寺跡です。見学しながら通りぬけて行きます。暑い位の日なりました。ここの木陰で昼食です。そして、美濃国分寺の階段で集合写真です。2名の初参加の方に自己紹介をしてもらいました。
午後はまず願證寺です。そしてすぐ隣の国分尼寺跡です。碑が立つのみです。田の中を彼岸花を見ながら歩いていきます。喪山古墳です。皆さん、山頂の円墳を見に上がられました。中山道と美濃路の追分を通り、相川を渡って垂井駅に2時半に到着しました。
一時は雨予報も出ましたが、紺碧の空、爽やかな風、満開の彼岸花、最高のウォーキングとなりました。尾張一宮駅に降りたとき、ドッと暑さを感じました。
◎ 第105回(令和6年12月7日)
令和6年最後の例会は12月7日(土)、第105回例会「河川探訪シリーズ・領内川編part1」として、名鉄尾西線玉野駅集合で行いました。出発式は駅近くの光願寺駐車場を利用させて頂きました。46名の参加です。この日の中日新聞朝刊では“祖父江のぎんなん祭はもう終了していますが、黄葉は今が最盛期です”と出ていましたと、出発式の挨拶ではそんなことも紹介しました。
コンビニに寄り、まずは善福寺です。境内には「福士幸次郎先生原日本考発想の地」の碑が立っていました。玉野放水路の上を歩き阿古井池です。そして八剣社です。今回のコースリーダーはこの八剣社近くの人で、地元の歴史に詳しい人でもあります。いろいろなところでいろいろな説明があります。八剣社は上祖父江城址があったところと言われています。次は広口池です。Y氏の説明です。ここで集合駅を間違えた人2名が合流して48名になりました。広口池の南側には山崎神社があります。ここには土豪の坂井文助の碑が立っています。M氏の説明を受けました。説明が多く、かなり遅れ気味です。ここからは領内川左右に広がる黄葉したイチョウを見ながら堤防をひたすら南下します。そして昼食場所の善光寺東海別院にはちょうど12時に到着しました。
午後の出発前にいつものように初参加の人に自己紹介をしてもらいました。何と8名の初参加がありました。祖父江の森で休憩し、織田信長が武運祈願したと伝わる由緒ある布智神社です。更に市指定天然記念物シイノキがうっそうと茂った神社です。そして今度は日光川堤防をひたすら上流に向けて歩きます。祖父江ぎんなんパークがゴールです。2時半頃の到着となり、解散式では来年の計画などを話しました。またかなりの人が近くの祐專寺へ行かれました。暑くもなく寒くもなく、まだ秋晴れと言っていいでしょう。そんな好天の中を黄葉を見ながら史跡を巡る、良い例会で令和6年も終われたことに、ただ感謝です。
令和6年は記念となる例会100回を終えました。いろいろ取り上げられたこともあって、新しい参加者が増え、若返り、何か少し雰囲気が違ってきた感じを受けています。私は今年満80歳を迎えます。いつ会長を退いてもいい歳ですが、そんな雰囲気、状況にはありません。そして自分自身まだ頑張りたい気持ちです。どこまで続けることができるでしょう、私自身が一番興味を持っているかも知れません。 (令和7年1月5日) |