一宮友歩会では、令和6年2月で例会100回を達成しました。「例会達成50回記念誌」を作ったこともあって、100回は当然作らねばならないことと思っていました。昨年末頃から準備を始め、100回例会を終えて付け加えれば、最後の仕上げになります。そこで問題となったのは作成するための経費です。入会金も年会費も取らない会の運営で、元々手持ち金の少ない上、コロナ禍でますます減りました。1月に入り、どこで作成したら安く抑えられるのか、機会のある度に話題にしました。そして、一宮市市民活動支援センターの登録を得ることが良策と言うことになりました。市民活動支援センターは尾張一宮駅iビルの3階にあります。100部作ることにして、A4版1枚の原稿が60円でプリントできます。紙代は1枚1円弱で購入できますので、全16ページ100部で約1500円でできることが分かりました。
そこで2月10日、一宮市市民活動支援センターへ申請書を提出しました。もちろんインターネットからです。かなり高尚な、答えるのが難しい質問もありましたが、ともかく書きました。その後数度のやり取りがあり、2月28日、市民活動支援センターで面談を受けました。「もう20年も立って、なぜ今頃申請ですか?」と尋ねられましたが、そこは表向きの答えと、100回記念誌の原稿をプリントしたいことを正直に伝えました。そして、3月4日、市民活動支援センター登録承認の通知がありました。どうも例外的に早かったようです。実績と正直が功を奏したのでしょうか。
3月14日、市民活動支援センターへ赴きます。ここでプリントした経験のある役員さんに同行してもらって、「一宮友歩会例会100回達成記念誌」を印刷しました。一部づつに整理しても1時間強でできました。早いことにビックリです。ここには書架があり、年間例会計画表50部も置いてきました。家に帰ってホチキス留めをして完了です。
3月19日、出来上がった100回記念誌をもって中日新聞一宮総局を訪問しました。中日新聞には例会50回目位から毎回例会の案内を載せてもらっています。「おでかけガイド」という欄に、例会1週前の金曜日、数行の例会案内です。こんなこともあって「一宮友歩会です」と言えばすぐ分かってもらえました。意図は、記念誌を配布する4月6日の第101回例会を取材してもらえないか、と言うつもりでした。ところが前に記事を載せた方が良いだろうと言われ、すぐに聞き取りを受けました。そして例会前日の4月5日(金)、尾張版に次のように掲載されました。
タイトルは「千里の道も一歩から 100回の軌跡をたどる」とあり、
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一宮市のウオーキングサークル「一宮友歩会」が、これまで100回にわたって開催した東海地方各地を歩く例会を振り返る冊子を発行した。一宮市中心部で開かれる6日の例会で参加者に配る。
同会は2006年に発足し、県内外で2ヵ月ごとにウオーキングを実施。史跡や河川沿いを歩くなど、毎回テーマを変えて続けてきた。100回目となった2月の例会では、東海市の史跡を巡ったという。制作した冊子には、これまでのコースの詳細が写真を添えて説明されている。
T会長(78)は、「歩くことは人間の基本。特に高齢者にとって、出かけることは重要だし、今後は若者にも来てほしい」と話した。
101回目の例会は、6日午前9時から。名鉄一宮駅に集合し、真清田神社や浅野公園などを巡る。参加費300円。
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とありました。さすが記者です、タイトルの素晴らしさに感心しました。そして、達成誌を持った私の写真も掲載されていました。
一方、例会2日前の4月4日(木)、一宮ケーブルテレビ(ICC)から、4月6日の例会を取材した旨の電話連絡がありました。「どうして知られたのですか」と問えば「市民活動支援センターのホームページで知った」と言われました。確かに、市民活動支援センターのホームページには「一宮友歩会」の案内が載っており、同ブログには例会案内を送付していました。思ってもいなかったことです。
そして4月6日(土)、一宮友歩会第101回例会開催日です。「史跡巡りシリーズ・西尾張編partR4」として、名鉄一宮駅集合、出発式は真清田神社です。第12回例会のリメイク版、短縮コースです。受付時にこの日の例会地図や説明資料と共に100回達成記念誌を配布しました。参加者は55名です。50名越えは久しぶりです。ICCは大乗公園まで同行されました。大江川始め各所の桜は、今が見頃と満開です。昼食は浅野公園です。午後の出発の前に初参加の方に自己紹介をしてもらいますが、「前日の新聞記事を見た」という人が10人以上ありました。また市民活動支援センターで例会計画表をもらってきた、という人もありました。マスコミの及ぼす影響の大きさを知ると共に、何でもやってみるものだ、と改めて思いました。
この日は、一宮駅近くの梅ヶ枝公園で解散式、その場で交流会です。交流会には38名の方が参加されました。昨年5月のFMいちのみや出演の録音を聴いてもらいました。100回達成記念誌は、振り返るいい記録になりました。ICCでは4月9日に数回、「街ネタプラス」という番組で約3分の放映でした。これもいい記録になりました。100回を通過点として、まだまだ頑張っていきたい気持ちが高まりました。
話は全く飛びますが、今年に入って「ママン’Sショップ&コミュニティcafe」と言う店に行くようになりました。私の家から1kmほどのところにあります。骨密度を測ってくれるというチラシに惹かれて行ったのです。後に知るのですが、私が中心となって行っている「サロン羽根邨」と同じように一宮市の「通いの場」に登録されているのです。「町内と連携して高齢者の方の憩いの場の提供、ワークショップ開催によっての学びの場の提供」とあります。これは中日新聞一宮南部専売店(株)シーエーシーの地域貢献の一つでしょう。学びの場の提供ということで、「中日春秋」の書き写しが企画されていることも知りました。5月8日(水)に出かけたおりに、自分のやっている書き写しについて、女性2人を相手に話しました。感心して聞いてくれたので、これを中日新聞の「発言」に投稿する気にフトなりました。突然なぜこんな気になったのか、後になってもよく分かりません。いつも「話・話」
で活用しているので、今度は自分も投稿してみようという気になったのかしれません。いたずら心に近いものです。
翌日朝から書き始め、500文字位の文を書きました。もう少し時間をおいて推敲してからにしようかと思いましたが「マア、よかろう」と終わったらすぐに中日新聞本社にメールで送りました。数日後、中日新聞の担当者から電話がありました。聞かれるままに話しました。そして掲載は6月14日頃になるであろう、という話で、やはり14日に掲載されました。そして、掲載された文が次のものです。
タイトルは「編集日誌の手写 頑張る」とありました。
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認知症予防も兼ねて朝刊1面コラム「中日春秋」を書き写そうと思い、10年前に専用のノートを5冊買いました。取り組むと、毎日30分以上鉛筆を握るのは思いの外大変でした。3年間で計30日分を書きましたが、挫折してしまいました。それから4年ぐらいして朝刊第2社会面の「編集日誌」を書き写そうかと思って、ノートの残っていたページに書きだしました。分量は中日春秋の半分以下で、所要時間も15分ほどと比較的短時間にできました。書き写してから改めて新聞を広げれば、掲載された各記事の理解はさらに深まった気がします。
編集日誌の書き写しはまだ月に20日程度しかできていません。それでも私は可能な限り、この作業を続けようと考えています。
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文はかなり修正が加えられていますが、内容に違いはありません。ボクが中日新聞の発言欄に投稿したのは過去に1度あり、それももう何十年も前のことです。その時は没でした。今回、一宮友歩会のことで4月に掲載されたばかりなのに続いてです。一宮友歩会は尾張版でしたが、今回は全中日新聞です。遠くの人から、また久しぶりの人からも連絡がありました。中日春秋の書き写しは大変で、私のようにあきらめたという人もありました。こんなやり方もあるのかと、投稿文を参考にする人があったら投稿の意味があった、というものである。またその日の「編集日誌」には、「(この編集日誌を)ほぼ毎日書き写す読者もいらっしゃると知り、驚きました。光栄です。短いのがいいですね。」ともありました。担当者に喜んで貰えたのは何よりです。
私の知人がこの投稿の切り抜きを持ってこられました。この人も投稿掲載されたことがあり、話していて電話があったことを知りました。新聞社はどんな小さなことでも裏をとるのか、と思いました。大変さを知りました。
今年前半、半年ばかりにあった出来事を書きました。仕事上でマスコミに関わったことはありますが、個人的にこれほど続いたことは始めてです。偶然もありますが、何かが関連しています。小さな出来事ですが、人生の妙味を知る機会になりました。
そしてまだ続きます。先に話した中日新聞一宮南部専売店(株)シーエーシーは「ファミリー」というミニコミ誌を発行しています。7月25日、その担当者に会う機会がありました。そして、私の村で夏休みにやっているラジオ体操の話をしました。そしたら、私に書いて送ってください、と言われました。それが次の文です。8月15日に配られました。
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千秋町浅野羽根では、夏休みに入るとNHKラジオの放送に合わせて円林寺境内でラジオ体操会が行われます。主催は円林寺で老人会(会長・T氏)が協力しています。今年は7月20日から8月5日までの17日間でした。参加者も年々増え、今年は子供40人、大人20人位が参加しました。そして今年は大人も含め参加者全員にスタンプカードが渡され、スタンプ印の数に応じて景品が渡されました。老若男女、和気あいあいの時間でした。
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私たちが子供頃は、夏休み中ラジオ体操があった気がしますが、今はしていないところが多く、していても数日です。17日間というのは最多の方だと思っています。
9月には、昨年5月に続いてFM一宮出演を頼まれました。今度はサロン羽根邨を中心に「おでかけ広場」の話をする予定です。どんなことになるでしょう。残り少ない人生、もうこれと言って何もできませんが、失敗や恥を恐れず、積極的に行動していきたいと思っています。
(令和6年8月20日) |
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