私の前立腺ガンの対応について、癌奮戦記としてかなり詳しく紹介してきた。平成28(2016)年1月21日に、愛知県がんセンターにおいてダビンチによる前立腺全摘手術を受けた。手術はうまくいったと思うが、前立腺全摘による弊害である尿漏れが残った。その状況はは癌奮戦記(その4)で詳しく記したが、その年の10月頃には1日30CC程度と順調に減っている状況であった。
ところがこの頃が最少で、その後増えだした。尿漏れ量については可能な限り計量し、記録していた。そして近年は平均150CC前後、100CCから200CCと増えていた。この程度までなら生活に実質困ることはなかったが、かなりの気苦労がある。特に夏は蒸れたりただれたりする。妻には時折匂いを指摘される。やはり質の高い生活とは言い難い。特に心配なのは今後である。いままでの傾向を見ていると、筋力が落ちるに従い尿漏れ量が多くなるのではないか、と言うことである。
令和3年度に入って、がんセンターの担当医が変わった。そして、令和4年9月の定期検診時に「名大病院で尿漏れをほぼなくす手術が行われているが、興味はありますか?」と問われた。すぐに「興味があります」と答えた。そして紹介状を書いてもらい、名大病院泌尿器科で話しを聞いたのが令和4年10月24日であった。長女が心配して付き添ってくれた。手術名は「人工尿道括約筋埋め込み術」という。主治医は保険適用前の2008年頃からこの手術を始め、現在までに約200人に行ってきたといわれる。保険適用は2013年からである。心配事を聞く。「こういう高齢の手術で大丈夫か」という質問には「皆さんそうです」と言われる。長女は認知症になったとき、つまり自分で器具が扱えなくなったときのことが心配だったらしく、そのことについては「その時には器具の使用を中止する」と言われ安心したらしい。次回は12月12日、この手術の可能性について検査することになった。
12月12日、まず500CCの水を飲んで45分間歩き回る。そして尿漏れ量を量るのである。結果はちょうど中間と言われる。少なければ必要ないと言われ、多ければやった方がいいですよ、と言われるだろう。そして中間とは、全く自分の意思と言うことになる。そして案の定「寺澤さんの気持ちだけですね」と言われる。その他膀胱、尿道に関する検査等7項目が行われた。手術するならゴールデン開けの頃と思って、次回は令和5年3月13日に行くことにする。
この手術は必要か、と言われると答えるのは難しい。やらなくても今の生活は続けることができる、もう7年も続けてきたのである。今より質の高い生活がしたいだけの欲望である。全身麻酔による手術である。欲望だけで危険がないとは言えない手術をするのか。妻は少し懐疑的である。私はほとんどやる気になっている。
手術の内容を少し書きます。インターネットから引用します。
“この手術は、陰嚢の裏側数cmと下腹部を数cm切開して、尿道括約筋の代わりとなる「カフ」、「コントロールポンプ」、「バルーン」を埋め込みます。普段、尿を膀胱内にためている時は、「バルーン」から尿道を取り囲む「カフ」に液体を送って尿道を閉じておきます。尿意を感じたときに、陰嚢内に埋め込んだ「コントロールポンプ」を皮膚の上から押して、トイレで排尿をします”もっと簡単に言えば「普段は尿道を液体で締め付けておき、尿意を感じたら陰嚢内のボタンを押して緩め、排尿する」と言うことになります。自分の意思で排尿できたものが、器具仕掛けとなります。考えると恐いような話です。そして、完全とは言えないが、ほぼ尿漏れは抑えられるようです。ネットで調べるといろいろな結果が出ていますが、主治医の言い方はかなり楽観的に感じました。
3月13日、今回も長女と名大病院に行く。そして再度話しを聞きながら、6月7日に入院と決める。予定より遅れたが、その間の予約が取れないのである。そして今度は5月15日、妻と行く。手術と決めたので、心臓の検査から始まり肺、血液、尿検査と手術のための検査が行われた。そして入院の説明である。5時間くらいかかった。
6月7日(水)、妻と10時頃に着くように出かける。各種手続きを終えそして入院。午後2時頃に娘2人も来て、医師から説明を受ける。その後は、私から手術についていろいろな同意書を取られる。一番最後に麻酔の危険性について20分ばかりビデオを見せられ、同意書となる。このビデオをもっと早く見せられていたら、もう止めます、と言ってしまうところである。それ程に全身麻酔というのは危険性を含んでいるのである。私の知人が全身麻酔で亡くなっているので、より気がかりである。
6月8日、手術である。8:30、手術室に向かう。その後のことは分からない。気がついたのは、11:30、部屋で妻と娘の顔が写ったときである。手術は無事に終わったと言う医師の話。ところが、この日の午後2時頃だったろうか、体を動かしたら地球が回るのである。ビックリである。
6月9日、午前10時頃、看護師と院内を歩く。もう歩くのである。1周は看護師が寄り添い、大丈夫とみればもう1人で歩くのである。その後できるだけ歩くようにした。ところが目眩は終わらない。体を起こすときや横になるときがひどいのである。そして、股間部の痛さである。起きているときが一番楽である。切って、器具を入れたのだから当然であろう。看護師が言うには、この手術では誰もがそうですよ、と言われる。
以後体は入院計画に沿って順調に回復しているようである。切り口は痛いが、医師からみれば大丈夫のようである。ただ問題は目眩である。6月11日に薬を出してもらい、12日には耳鼻科の診察を受けた。耳石が剥がれたという。聞いてみると結構あるようだ。手術とは直接関係ないようで、たまたま引き金になったということであろうか。
6月16日、9日間の入院で予定通り退院である。妻に迎えに来てもらって、12頃病院を出る。
しかし、この時点では器具の使用はまだ始まっていないので、尿漏れ状態はまだ以前と同じである。器具が体になじんでから使用が始まるのである。
そして思いがけない不運が生じるのである。退院翌日夕方散歩に出た。ところが後半に入ってふくらはぎが痛いのである。股間部の痛さから歩き方が不自然になっていたのだろうか、どうも痛めたようである。焦りであろうか、またまたの不運である。これが気にならなくなるまで半月かかった。
目眩については、6月19日に地元の耳鼻咽喉科へ行った。見立ては同じ、3週間くらいでなくなるだろうと言われる。安心した。7月1日の一宮友歩会の例会が気がかりであったが、問題なく終えることができホッとした。そして、そのうち気にならなくなった。
7月3日、退院して初めての診察に名大病院へ行った。順調という。そして、7月31日に器具の使用を開始しましょう、と言うことになる。
7月31日、病院で使用の練習である。12時頃、またお茶を飲み30分くらい院内を歩き回る。尿を溜めるのである。そして、使い方を教えてもらってやってみる。出るには出たが不合格である。この使い方がスムーズにできないと帰宅できない。3回目で合格が出た。
器具の使用を始めて3ヶ月が過ぎた。感想とまとめです。
「人工尿道括約筋埋め込み術」、ネットで調べてみると、結果は様々であるが、やってよかったという意見が多い。パットの枚数が減った、と言う意見が多いが、パットには大小がある。私も病院へ行く度に何枚使っているかと聞かれたが、回答に困るのである。実際には1枚なので1枚と書くが、どうももっと小さなパットを基準にしているようだ。そしてやはり完全になくなるということはないようだ。説明でも80%で締めているとある。ひどい咳やくしゃみなどをすれば漏れるという。私は数日様子を見てパットは止めてしまった。そして尿漏れパンツにした。重さを量ってみると1日数グラムであった。もうこれでは正常な人と変わらない。この歳になれば、密かに尿漏れに悩んでいる人もあろう。
器具の性質、扱いも分かってきた。度々トイレに行くこともなくなった。飛んだり跳ねたり走ったりもするようになってきた。もう正常人である。ただ普通の人に戻っただけであるが、それでも気分は大きく違ってきた。7年半、悩まされたことから解放されたのである。手術は行って大正解であった。
そして、危険を冒してまで行った手術である。何も後5年の命のために行った訳ではない。もう7年半も過ごしたのだ、5年なら辛抱する。では10年か、それも少しもったいない。私は密かに20年と思うことにしている。思うのは勝手である。今のところ、体の大きな障害は見当たらない。体年齢、血管年齢、脳年齢等は60代前半である。歩く速さは未だ時速5km以上を保っている。一宮友歩会の例会ではまだ先頭を歩いている。人は姿勢も褒めてくれる。このように生かされているこの体を無駄にしたくない。老人会や一宮友歩会会長等で暇を持て余しているわけではないが、昨年に比べばシルバーカレッジが減り、神社総代も終えた。この分の埋め合わせを模索している。なかなか見当たらないが、この気持ちで推し進めたい。近年にない清々しい気分である。ただ「明日死ぬと思って生きなさい」も心しておかないといけないと思う。
(令和5年10月)
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