令和4年度のあいちシルバーカレッジは、3月27日の卒業式を以てすべて終わりました。令和4年8月に書いた前期終了後の状況を綴ります。
7月に決めたサークル活動は8月に7サークルすべてが実施されました。私はボウリングサークルに入り、8月2日「アソビックスびさい」というボウリング会場で8名で行ないました。何十年ぶりにボウリングを行い、そして毎月第一木曜日を開催日として今後も行っていくことになりました。9月以降はどのサークルに入ってもいいしやめてもいい、自由と言うことになっていました。そして、すぐに掛け持ちの人も現れました。全く活発です。9月のホームルームは、サークル活動の報告や今後の方針説明などで過ぎていきました。私のもやもやした気持ちとは関係なく、順調に進んでいるようです。
次に事務局から出された課題は学生企画というものでした。学生が企画から実施まで何かをするというものです。今までの実例を見せてもらいました。ここ5年間の40例のうち39例が日帰り旅行です。行き先を決めれば後は旅行社かバス会社に頼むだけです。こんなものが学生企画かと疑問に思いました。そして9月30日、まず全員の前で学生企画の話をし、その後班長会議を開きました。実例は皆に知らせず、例として自分で思いつくものを挙げて検討してもらうことにしました。10月12日に、まず班員で話し合って案を出してもらいました。その後班長会議でそれを集計、20種近い候補が挙がりましたが、結果一番多かった軽いスポーツやゲームとなりました。これなら種目の調査や実施の可能性、進め方や場所の確保など、検討することはいろいろ出てきます。そして、班長ばかりでなくいろいろな人に携わってもらった方がいいと、新たな実行委員会を立ち上げることになりました。これは私が思ってもいなかった進め方です。そして、委員長はこれに携わらなくてもよくなりました。10月31日、学生企画実行委員会が14名で立ち上がりました。委員長を決めるまで立ち合い、そして私は退席しました。
その一方で、アルバムの話しを考えていました。4月早々から写真の話が出ていました。後でどうこうしようとしても写真が撮ってなければどうしようもないので、2名の方にいろいろな写真を撮ってもらうことを依頼しました。そしてサークル活動で「PCスマホサークル」ができました。これ幸いと、このサークルのクラブ長Wさんに、アルバムの話をしました。サークルも何か目的を持った方が良いだろうとも、話しました。それが10月12日です。そして10月25日に企画書が私の元にEメールで送られてきました。全く手慣れたもので、私にはとてもできない内容です。その後いろいろやり取りし、10月31日に全員の前で説明をしてもらいました。突然の話しとあまりに立派な内容だったからでしょうか、恐れをなしてか大紛糾です。編集する人は大変だが後は楽なもの、皆さん諸手を挙げて賛成と思っていた私の大誤算となりました。そしてその後1週間、眠れぬ夜が続きました。11月7日、午前の講義後追加説明をしました。昼休みの間に班ごと話しあってもらい、班として作るか作らないか、の結論を出してもらうことにしました。そして午後の講義後、その結果を聞きました。賛成5、反対2で作ることになりました。
これを決めた後、委員長辞任を伝えました。あまりに突然のことで一瞬シーンとなりました。委員長辞任理由はただ一言「委員長職に疲れました」。
委員長辞任理由はいろいろ考えました。私が綺麗事で言えばすぐ反論され、水掛け論になってしまうだろう。皆さんへの不満など言えません。それは自分の未熟さとわがままの裏返しですから。そして一言「疲れました」が一番いいだろうと気がつきました。私の長い人生の中で、途中で投げ出すなど言うことは多分初めてです。私の人生の汚点です。その後も悶々とした日々が続きます。
退学を思ったりしたときもありました。そんなことを心配した人もあったようです。一方で、なぜ自分が退学しなければいけないのか、功績はあっても何も自分は悪いことをしたわけではない、と言う思いもありました。そしてその後辛いときもありましたが、一度も欠席することもなく最終講義まで出ました。
一方、学生企画と卒業アルバムは、私が想定した以上、いや以上どころではありません。全く素晴らしいものでした。
まず、学生企画は今年1月23日にいちい信金アリーナで行われました。ほとんどの人が参加しました。玉はこび、ボール送り、紅白オセロゲーム、じゃんけん列車、そしてクイズなどと盛りだくさん、私が過去に体験したことがないほど素晴らしいものでした。特に最後のじゃんけん列車は、じゃんけんをしながら最後は一つの輪になるという、素晴らしい企画でした。こういう人達が知恵を出し合い、協力し合えば、こんな結果になるのかと驚くばかりでした。後日、私は学生企画の委員の方にこんな文を送りました。
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1月23日の学生企画について感謝感激を伝えたく、一言述べます。
その前に、学生企画の種目だけ決め、委員長を辞任してしまったことをまずお詫び致します。Yさんから「皆さん張り切って準備しているよ」と言う言葉に、気持ちが安らいでいました。そして当日は本当に皆さん良くやられました。皆さん方の努力に報いるのに私ができることは、私自身が楽しみ張り切ることだと思いました。与えられた種目に夢中で取り組みました。オセロゲームを終えたときは汗をかいていました。
今年の一宮教室の内容は特筆すべきものになったと思います。それだけにここまで来るのに戸惑いや確執もあったと思いますが、それを乗り越え、見事な成果を収められました。一宮教室に大きな思い出が残ったと思います。
今の私に学生企画委員の方に感謝や感激を伝える場がありませんので、このメールを利用させていただきました。本当にご苦労様でした、有り難うございました。
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そして卒業アルバムです。すでに3集出されました。まずはPDF資料でスマホに配られました。そして冊子で欲しい人には、第3集が印刷され有料で配布されました。卒業式後に更に第4集が発刊される予定です。第1集を見て、皆さん更に欲望が高まってきたようです。当初の反対の声はどこに行ったのでしょう。内容は省きますが、私にはプロに頼んだのと変わりなく思えます。Wさんの熱意、力量が大きいと思いますが、皆さんそれに呼応され、頑張られたのです。
1月30日、ホームルームで学生企画の報告、卒業アルバムの状況、また卒業後の同窓会規約の話のあった後に、希望者が壇上に立って話す機会を与えられました。一度皆さんの前で話しておかなければならない、と思っていたのでいい機会と前に立ちました。次にその概要を思い出しながら書きます。
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学生企画や卒業アルバムについて、決めるだけ決めて、突然委員長を辞任し混乱させたことをまずお詫び致します。そしてその後、N委員長を中心にいろいろな検討されたのでしょう。講義のある日は1時間も早く班長さんが集まられ、意思疎通を計られ運営されてきました。そして学生企画や卒業アルバムなども、教室全体が一団となり、素晴らしい成果を生み出されました。そんな様子を見ていて私の辞任も教室には良かった、無駄ではなかったと、ホッとしています。私も最後まで講義に出席し、皆さんと一緒に卒業できることになりました。有り難うございました。
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と言った内容を述べたと思いますが、区切りが付いてホッとしました。そして、あの挨拶に「真面目に真摯に語られて、聞いていた私も胸が熱くなりました」とか、「揉め事を乗り越えて、クラスの結束が強まったのはおっしゃる通りだと思います」という言葉ももらいました。それまで言いたい放題だった教室がショック療法で目覚めた、と言うことでしょうか。いずれもホッとする言葉ですが、辞めたことが成果と言うのは私には少し寂しい面があります。
教室には良かった、と思っている人も多いと思いますが、私にとってはどうだったでしょうか。この教室の人以外に話しても理解していただけないでしょう。ただの敗残者でしょう。拙速だったでしょうか。あのままやり続けていたらどうなったでしょう。考えてみたくなりますが、それこそ無駄というものです。人間同時に二つの人生は歩めません。人間やり直しもできません。私が委員長であったという痕跡はほとんど残っていません。人はすぐに忘れます。もう私が委員長であったことを忘れている人もあるでしょう。ほとんどの方は良かった、楽しかったで終わっているでしょう。自分だけが尾を引いているのかも知れません。早く忘れて次の一歩を歩み出したい気持ちですが、つい思い出してしまいます。シルバーカレッジ生62名のうちこんなことを考えているのは私くらいでしょうか。
このシルバーカレッジは「ASC一宮30期会」として同窓会ができました。もちろん入る入らないは自由ですが、ほとんどの人が入ります。そして、班活動やサークル活動が続いていきます。私も班活動は毎月第4火曜日に、ボウリングサークルは毎月第1木曜日に集まることになっています。また新たな活動が起きるかも知れません。ともかく皆さん、元気で活発です。私に言わせると、飢えていたのか、と言いたいほどです。特に活発に動いている人は70歳前後の人です。私が今まで交流している人達より一世代若い感じです。それも女性が7割です。遊んでもらって若いエキスをもらい、更に生き生きした老後が過ごせたら言うことないでしょう。嫌われないよう、後戻りしないように気をつけよう。次回に楽しい報告ができるように臨みたいと思っています。 (令和5年4月24日)
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