例年のごとく2022年の一宮友歩会例会状況を一宮友歩会ホームページのトップページに掲載したあいさつ文を活用して紹介します。例年のごとしと言っても2020年は3回、2021年は2回の例会しか開くことができませんでした。そして、2022年は2月例会を中止にしたのみで、5回の例会を開くことができました。やっと正常に戻った感じです。
◎第89回例会(令和4年4月2日)
なかなか収まらない新型コロナウイルスですが、まん延防止も解除され、4ヶ月ぶりに例会を開催することにしました。令和4年4月2日(土)、「史跡巡りシリーズ・知多編part5」としてJR東海道本線大府駅西口に集合です。久しぶりの顔もあり38名の参加者です。東浦町の史跡巡りです。昨年2月例会として計画しましたが、中止となってしまいました。改めて今年の例会としましたが、ガイド協会の方から、桜の4月例会がいいですね、という提案があり、4月としました。
朝方少し寒かったですが、歩き始めればすぐに温かくなります。大府高校の前を通り石ヶ瀬川に出ます。立派な家があったのですが、東海豪雨で流されました。そんな私の記憶も話しました。そして村木砦址です。M氏から詳しい資料を使って説明です。スーパーで買い物とトイレ休憩です。次は村木神社です。村木砦の戦いの時、織田信長が本陣を置いた場所です。ある役員からおまんと祭りの話が出ました。ちょうど11時に入海神社に着きました。東浦ふるさとガイド協会の人8名の方の出迎えを受けます。まず挨拶をしてもらいました。そして2グループに分かれ、説明を受けました。一方は入海貝塚について、一方は入海神社の伝説について、そして交替します。その後は、2グループが別の道を歩きます。一方は切支丹灯籠のある越境寺へ、一方は永井荷風を輩出した尾張永井家一統の墓がある了願寺を訪ねました。こんな体験は初めてです。ガイドの方の工夫と熱意が感じられます。そして於大公園を通って乾坤院です。説明を受けた後、再び於大公園に戻りました。ここで全員が揃い、ガイドの方にお礼を言って別れました。
12時40分という少し遅めの昼食です。どこを見ても桜は満開、そして全く穏やかな春日和に、このままじっとしていてもいい気分です。午後の出発の前にいつものように集合写真を撮り、初参加の人3人に自己紹介をしてもらいました。午後はまずうのはな館です。午前に説明を受けたこともあって、皆さん熱心に見学されました。そして於大の道を歩きます。しかし、この道は八重桜でまだ咲いていません。咲く時期が違う桜が植えられているのも一つの知恵でしょうか。緒川城址、地蔵院と周り、ゴールの緒川駅に着いたのは午後2時40分でした。整理体操などを行い、3時2分の列車に乗って帰宅しました。
親切丁寧な説明に、桜は満開、気候は穏やか、久しぶり例会が開催できたことに満足感いっぱいです。やはり開催してコソです。もう中止にすることなく、少々無理しても開催したく思いました。
◎第90例会(令和4年6月4日)
6月4日(土)に開催した第90回例会「史跡巡りシリーズ・三重編part3」の状況を紹介します。
桑名駅に39名の方が集まりました。6月に入って急に暑くなりまだ体が慣れていないと言うことで、休憩を多く取りながらゆっくり歩くことに心がけました。まず桑名藩主松平家の菩提寺の照源寺です。寺院裏にあるお墓を見学に行きました。そして聖徳太子創建と言われる大福田寺です。次は諸戸水道遺構の貯水池です。この水道について、かつてはよく参加されていた鈴鹿市在住のM氏から4ページにわたる資料が送られてきていました。それを皆さんに配布しました。いつまでもこの会に気遣いいただいて感謝の気持ちいっぱいです。令和元年6月の例会時、諸戸邸でこの水道の給水塔を見学しています。ここから次の増田神社まで緩やかな上りが続きます。そして太夫の大楠です。双幹の巨大な楠に皆見とれます。冷水庵から御膳水に向かいます。御膳水は毎日御殿に運ばれた水です。今では「飲めません」の注意書きが立っていました。そして最後の急な石段を登って走井山公園です。木陰で昼食です。
午後は石段を降り、益生駅近くの有王塚、俊寛塚です。益生駅から数名の方が帰られました。員弁川の堤防を歩きます。心地良い風が吹いています。町屋橋跡、安永常夜灯を見て晴雲寺で小休憩です。城南神社の鳥居を見ます。伊勢内宮から下賜された物です。最後神館神社により、ゴールの桑名駅に戻りました。2時10分という思っていたより早い到着です。このコースは当初令和元年6月例会として計画したものであり、役員にとって足かけ5年、延べ9回にわたる桑名行きで実施できた例会です。出発式でこんな話しもしましたが、それだけに多くの参加者を得て、好天の中で実施できたことに報われた気がします。
◎第91回例会(令和4年7月2日)
新型コロナウイスル感染者数は山あり谷あり、なかなか収まらない様子ですが、社会活動は動き出しています。一宮友歩会の例会も4月から休止することなく開催しています。7月2日(土)に開催した第91回例会「史跡巡りシリーズ・名古屋編part14」の状況を紹介します。
6月下旬から急激に暑くなり、37度越えの日が続いています。まだ体が熱さに慣れないこの状況で、普通でさえ暑い名古屋市内を予定コース通り歩くのは危険であろうと、開催数日前にコース短縮の案内をメールで送りました。
そして予想通り雲一つ無い好天気です。ところが最初から予定外のことが起こりました。出発式会場予定の広見憩いの杜の扉が9時にしか開かれないのです。迂闊でした。ところが道路を挟んだ南側で、大相撲名古屋場所の稽古場が開かれていたのです。その近くで受付をしてもらい、9時まで相撲を見ていて貰いました。これこそけがの功名です。出発式で冗談交じりに「一宮友歩会は天気に恵まれている会です」といいながら、コースも半分で午前中に終わります、と告げました。参加者は22名と通常の約半分、やはり暑さから敬遠されたのでしょう。
出発してまもなく、中川運河沿いの金比羅社です。いぼ神様の別名があり、また名古屋城築城の折の石切場と伝えれていて、碑もあります。このあたりを鎌倉街道が通っていたと言うことで、M氏から資料を持て詳しい説明です。高速道路の高架下で休憩です。休憩を長く取りながらゆっくり歩きます。ささしまライブ駅の高架から名古屋駅方面の高層ビルを見ます。こちら側から見ることは少なく、また違った景色に見えます。米野公園に来ました。まだ新しい防災公園です。緊急用のトイレやかまどなどの施設を見て回ります。ここでも長く休憩します。その後は熊野神社を通り抜け、福田兼助の碑がある智興寺、小さな社が池の中島に立つ厳島神社を通って、名古屋駅近くの稲穂社で解散式としました。まだ11時半です。集合写真を撮り、初参加の3名の方に自己紹介をしてもらいました。2時間強、6kmばかりと今までの最短、少し物足りない例会となりましたが、皆さん無事に歩き終えていただき、適切な判断だったと思っています。
◎第92回例会(令和4年10月1日)
第92回例会の「史跡巡りシリーズ・岐阜編part14」の状況を紹介します。令和4年10月1日(土)にJR垂井駅に集合しました。好天です。しかしながら参加者は、遠いことかコロナのせいか、26名と少し少なめです。令和5年の例会計画を渡しました。いつものように準備運動をして出発です。
まず垂井の地名の発祥元となった垂井の泉です。そして中山道に出て垂井宿です。高札場、西の見附と見ていきます。東海道線を横切るとまもなく垂井の一里塚です。下下見できた時は木が茂っていましたが、今は取り払われていました。高架橋で再び東海道本線を渡り、相川を渡り、常夜灯を見てエコドームです。垂井町の資源ごみ回収場所です。ここで長く休憩を取りました。五明稲荷神社はガイドさんの説明で帰りに寄ることにして素通りです。伊富貴神社に向かいます。この地方の田の畦にはどこも彼岸花が植えられています。今が見頃と見とれます。伊富貴神社では思いがけず、掃除をしていた地元に人の説明を受けることになりました。こういう出会いは嬉しいものです。菁峩記念館に向かいます。途中、岩手地区まちづくりセンターに電話をいれると、もう4名のボランティアガイドの方は待っておられました。昼食後、菁峩記念館を見学、その後ガイドさんの案内で歩きます。まずは禅幢寺です。ガイドさんもいっしょに集合写真を撮りました。そして禅幢寺の竹中家の墓を見て回ります。ここから来た道を戻ることになります。竹中氏陣屋跡です。白壁の正門は今は岩手小学校の門となっています。石垣の上にも上がりました。菩提山城跡が見えます。ガイドさんの勧めで予定していなかった旧街道を歩きます。そして、五明稲荷神社です。ガイドさんの説明を受けた後、お礼を言ってここで分かれました。そして少しコースを変更して、再びエコドームへ寄りました。トイレ休憩です。次は南宮御旅神社です。美濃国国府があった地に建つ古社で、境内から国府の政庁跡が発掘され、神社の南側には説明板が立っています。正庁跡には彼岸花が一面に咲いていました。相川の堤防を歩き、東の見附を通りゴールの垂井駅です。暑いと言ってももう秋風で、過ごしやすい好天の例会となりました。私には参加者が少し少なかったことだけが残念で、1年延びたが良い例会ができました。
◎第93回例会(令和4年12月3日)
第93回例会の「河川探訪シリーズ・二之枝川編part5」の状況を紹介します。令和4年12月3日(土)、名鉄国府宮駅近くの国府宮神社楼門前で出発式です。36名の参加者です。歩き方等の注意事項を話しました。
そして、早々参道の太鼓橋の前でY氏の説明です。太鼓橋の架かる水路は元は三宅川(二之枝川)であったと言うことです。そのまま南へ、一の鳥居まで歩きます。線路を渡って更に南へ、西へ折れてせんき薬師です。ここを少し見学し、次は性海寺です。あじさいがきれいに整備されていますが、残念ながら花の季節ではありません。境内を20分ばかり見学した後、次へ向かいます。大江川を渡り、三宅川に沿って歩きます。新幹線をくぐり、西尾張中央道を越え、国分寺跡です。ほとんど整備されていないので、初めての人が多かったのではないでしょうか。ここでM氏からこの地域の城跡の説明を受けました。この例会のために自ら作られた詳しい資料には感服するばかりです。昼食場所の愛知県下水道科学館についたときは12時20分くらいでした。いつもより昼食時間を短くし、12時50分から科学館担当者の説明を受けました。後の予定もあり、20分くらいで終えてもらいました。ショートコースはここから上丸渕駅に向かいます。3名が帰られました。そして、澤君遺愛碑です。稲沢ふるさとガイドの会平和地区会の方5名の出迎えを受けました。資料が配られ、上手な話し方に皆さん、聞き入りました。須ヶ谷地区の排水に尽力した代官澤園兵衛氏が生前に祭神として奉られたという話にはビックリです。次は屯倉社です。我々は歩いて、ガイドの方は車で移動です。ここでも資料を配って説明です。地元の人ならではの説明を楽しく聞くことができました。農村公園でトイレ休憩を取り、最後の見所勝幡城跡へ向かいます。勝幡城跡の碑は2カ所あります。ゴールの勝幡駅に着いたのは3時半です。26000歩以上歩きました。今年最長の距離、最長の時間でした。ちょうど電車が来たので、解散式も早々にし今年最後の例会を無事終えました。説明の連続で、まさに野外学習の感じです。説明して頂いた方には、時間短縮をお願いしなければならない程で、こんな例会が実施できることは本当にありがたいことです。協力して頂いた皆さんに改めてお礼申し上げます。
平成18年3月に第1回の例会を開催して以来、17年が経ちました。そして、私は昨年の誕生日で満77歳を迎えました。どこまで続けることができるでしょうか。昨年「私が今のように動けなくなったとき、どうするか意見を出してください」と、言ったのでが、これといった意見は出てきませんでした。状況を見れば出ないと思います。今の役員で、私より若い人は半数以上いますが、それでも数歳です。今でも私が一番早く歩くことができるでしょう。参加者も高齢化しています。大半が70代です。「貴君が作った会だから、貴君で終わっても良いでしょう」という声もありました。私には少し寂しいのですが、これが現実かも知れません。順調にいけば、来年2月例会でちょうど100回です。その時また考えることでしょうか。幸いに私の体年齢(オムロンの体組成計による)は61歳前後を示します。足腰も特に悪いと言うことはありません。実年齢よりこの体年齢を頭に置き、活動していこうと思っています。 (令和5年1月) |