zu130   あいちシルバーカレッジ

 
 詳しい内容は知らなかったが「あいちシルバーカレッジ(以下ASC)」という類いのものがあることは知っていた。しかし、60を歳過ぎて働いている身には関係がなくやり過ごしていた。71歳で仕事を辞め、老人クラブ連合会長をやっていた時知り合った女性がこの申込用紙をもらってきて、私に勧めてくれた。すぐに申し込んだが、その年は抽選に外れた。その翌年も申し込んだらその年は当たった。ところが新型コロナウイルスである。一度も開催されることなく中止となった。そして令和3年度は前年度当選者を優先合格させてくれた。ところが4月に2回講義があったのみでその後はずっと中止となり、9月には閉講が決まった。学費23,000円は全額返還された。そして令和4年度である。今年度も前年度合格者を優先とし辞退者数のみ新規採用があり、それは10人であった。前年度からの学生52人で合わせて62名となった。男性15名、女性47名である。年齢は公表されていないが、65〜74歳までがほとんどで、後期高齢者は10名程度と踏んでいる。

 このASCが目標とするところは「受講者の生きがいや健康づくりの場とし、また地域で活躍するきっかけ作りの場」とある。1年32回、午前10時より午後3時までを基本とし、各種講義やホームルームが予定されている。名古屋2会場、一宮市、東海市、岡崎市、豊橋市の6会場が計画され、受講生は30人から100人のようである。私は一宮文化教養学科であり、主に一宮ファッションデザインセンターが会場である。大学と言うより中学・高校に近い形式で進められている。受講生を7班に分け、1班当たり男性2名、女性7名である。男女1名の班長と委員長、副委員長の16名の役員が選任される。講義の開始、終了には起立礼がある。
 開講式は4月11日であった。午前はオリエンテーリング、午後は役員の選出である。問題は役員選出である。全く見ず知らずの62名である。60歳以上であることと一宮市及びその近郊に住んでいること以外、ほとんど何も知らない。まず班別に分かれ男女の班長を選出する。その後、班長の中から委員長、副委員長を選出するのである。このことは昨年度も経験した。昨年度、私はもう1人の男性が80歳超えと言うことで男性班長を潔く引き受けた。その後、男性班長の中から正副委員長候補を選出するのであるが、それこそ全く知らない人達である。本人が手を挙げない限り、選びようがない。そこでくじ引きとなった。そして何と私が引いてしまったのである。女性側からも1人選出されてくるのであるが、ただただお願い一辺倒に委員長を引き受けるのである。こんな経緯があって今年である。この場にどう臨もうか・・・。相手の男性が今年来たばかりの人だったら押しつけよう、その他は成り行きだろう。ところが、相手の男性は昨年からの人であった。私の名前を見て「しめた!絶対押しつけよう」と思ったと言われる。そして、男性班長の集まりである。全員の前で自己紹介をする。新しい男性受講者は2人であったが、ともに班長に押されていた。昨年からの人は皆私に委員長を押しつける。結局引き受けることになる。女性班長代表も昨年と同じ人であった。昨年と同じ正副委員長コンビとなった。昨年はただ連絡役だけであったが、やはり知られているということに何らかの意味があったのだろう。そして16人の役員の中で私が最年長者であることも分かった。


 そして、月に3日ずつ講義がある。ところが、従来は講義後3時から1時間くらいのホームルーム時間を持っていたのであるが、今年度はまだコロナ禍の中ということで、その時間を持たせてくれないのである。正式の時間内に全受講生の交流を認めないのである。しかし、これでは人を知ることはできない。私的に集まるのは自由と言う回答を得て、私は6班だが、午前講義のなかった4月18日11時に班員を集めてもらった。そしてこのことを他の班にも伝える。次々機会を設ける班が出てくる。更にいろいろ不満がたまっているのであろう。5月に入って、事務局に尋ねてもらえるように委員長に要望書を出すという班が現れてくる。そこで私は全班に、5月30日までに要望書を出すように伝える。
 今年の特徴をもう一つ書いておきたい。今やスマホのラインの時代である。もう初日から班ごとのライングループを組んでいるのである。私の班もその日の内にできた。スマホでない人も数人あるが、それは他の方法でホローする。4月25日の昼休みに班長に集まってもらった。数日後には男性班長、女性班長グループのラインができる。多分、30年のASCの歴史の中でこんなこと初めてであろう。我々の前期は3年前になるが、その時にはまだこれほどスマホは進んでいなかったと思う。私にしてもやっと間に合ったという感じである。便利である。ところがラインは短い文である。即答のことも多い。とんでもない行き違いが起きる。もう何度トラブったことか、でもそれを十分承知しながら行えば、全く便利なものである。これがなかったらこれほど進まなかったろう。


 ところがここでまたとんでもないことが生じるのである。私の妻のウイルス感染が5月26日に判明するのである。私は6月1日まで自粛となる。それどころか、十分感染の恐れがある。事務局への要望書は30日に渡すことにしてある。他の人にお願いすることを伝えもしたが、委員長が郵送でも電話でもして伝えて欲しい、と言うことになった。文書にして30日、そっと渡して帰る。全くいろいろ起こる年である。そして、食事の準備等慣れないことをしながら、多くを畑仕事で過ごし、感染することもなく乗り越えた。


 その次の大仕事はクラブ活動である。班ごとの交流は少しずつ進んでいるが、班を超えた交流が次に求められることである。事務局では従来からクラブ活動の実施を目論んできた。ホームルームはしないといいながら、同じことをしようとしているのである。話し合いや議論の場がないのにである。もう頼るのはラインである。どんなクラブなら入るか、どんなクラブならできるか、班ごとに意見をまとめてもらう。すべての班の意見が出たところで、6月13日1時から特別に許してもらって初めての班長会議を開いた。出てきたクラブは25に上がった。要望の多いものから、また似たようなものはまとめ、9つに絞った。その日のうちに副委員長から全班に伝えてもらった。班員1人ずつから第1希望、第2希望を聞く。1班1クラブ第1希望が3名以下に調整してもらう。全員の希望聞き取りが終わった6月24日、私は整理を始める。成立条件は1クラブ5名以上15名以下である。そして何と、これだけの整理で56名が決まった。残る6名は第2希望に回ってもらった。私としてはじゃんけんや第3希望を聞くことなどもっといろいろな場合を想定していたが、杞憂に終わった。最多11名、最少6名、7クラブと見事にばらつき、簡単に終えることができホッとした。そして、全員に伝えて欲しいとラインを送る。ところがそうではなかった。6月26日、朝5時15分に電話が鳴った。副委員長からである。第2希望に回ってもらったことによって、1班から同一クラブが4人になっているところがある、という。これは迂闊だった。すぐに理解し、7時を待ってその班の班長に電話をする。希望を伝え、その20分後に解決した。私はこの経緯を27日、全員の前で話す。5時15分に電話とは、私は毎日5時起きですので何の問題もないが、一時も早く私に伝えねばと時間を忘れて電話をされただろう、と。こんな裏話まで話すとは、皆さんは、副委員長はどう思われたのだろうか。


 実は私にはもどかしくてならない点があります。多くの人と自由に話せる機会が少ないのです。ここは昨日まで無縁の人の集まりです。この受講生は何を求めてこのASCに来たのでしょう。講座を聴いて教養を深め、そうして豊かな余生を送りたいからでしょうか。私も勧められ何となくでしたが、今は違っています。私は役目柄、皆さんの前で話すことが多いのですが、無駄話と思われることをいろいろ話しています。そうしていくうちに理解が深まっていくと思っています。委員長がそのつもりで話しているのなら、自分も機会を見つけて話してみよう、そう思ってもらえないかと思ってしているのです。今のところ一人芝居です。皆さん、この歳になってまだ教養を深めたい、やる気のある人ばかりです。話し始めればやかましいくらいです。でも、どんな人生を過ごし、今何をやっているのか、何を考え何をしようとしているのか、さっぱり分かりません。表向きの話しだけではうわべだけの付き合いになっていくかも知れません。利用できる機会は利用し、少しでもお互いが理解できる方策を採らねばと思っています。「人を知るのは無駄話の中にある、裏話の中にある」と言いたいのです。
 私はこんな話しもしました。「今までの人生は、学校であったり職場であったり、地域であったり何らかの繋がりがある中で構築されてきたことが多い。それはもう整理する時期に入っています。ここは今まで無縁の人が集まり、新たな人生を構築しようとしている。そんな矛盾した自分に笑えてきますが、でも入ってしまったのです。もう引けません。」


 そう思って自分の人生を振り返ってみれば、もう35年も前のことになるが、一宮第九を歌う会の初代会長を皮切りに、30年にわたるウォーキング活動、そのうち25年は何らかの役員をしてきたでしょう。また地元では町会長を始め寺院や神社の総代などほとんどの役員を務め、千秋町老人クラブ連合会長を務めたこともあって今も地元の老人会長を務めている。しかし、今続いている役員ももう数年後には辞めることになるでしょう。
 奇しくも私はASCの委員長を務めることになりました。責任もあります。私が楽しくなくて、どうして皆さんが楽しめましょう。新たな人生を与えられた気分です。もう数年の人生ではやる気が起こりません。せめて10年、できれば20年くらいはあると思ってやりたい。私に答えてくれる人はありませんか。
                              (令和4年8月15日) 

川柳&ウォーク