ほぼ1年前の令和3年4月、一宮市役所で「己書(おのれしょ)」という作品展を見る機会がありました。そしてその年の7月の公民館学習講座案内に「己書」の講義が載っていました。早速に申し込み、10月9日に2時間ばかりの体験をしました。「己書」とは「自分の世界観を自由に表現する、自分だけの書」とあります。生まれながらにしてこの歳になっても書心、絵心もない私ですが、上手下手もない、ルールもないというので早速挑戦してみました。題材は「話・話」に求め、葉書用紙に書いています。これがなかなか面白く、何かはまった感じです。書いたものは、ホームページに「はてさて己書」のタイトルで掲載をしています。今年に入ってからのものの一部を紹介したいと思います。
(第3253話)母にエール (2022年01月01日) 己書作R4.01.02
“高齢者には「きょうよう」と「きょういく」が大切と母が言う。「今日、用事がある」「今日、行く所がある」とは言い得て妙なり。体育会系の母だが、八十代で両膝を人工関節に、数年前には救急車で運ぱれ、心臓カテーテル手術を二度受けた。昨年からは加齢黄斑変性症でほとんど失明状態と満身創痍。朝昼夕の薬が欠かせない状況ながら、ピンピンコロリを切望する母は意に介さない。
先週も月火水木金はグラウンドゴルフ、土曜は私たち姉妹とシャッフルボード大会、日曜は孫娘と三人のひ孫も加わりダーツのミニ大会に参加。どこに行っても最高齢参加者で、周りの方々がびっくりされる。「家を一歩出たら見えを張ってシャキッとしている」と本人が言うとおり、帰宅後は「疲れたぁ」を連発してヘトヘト状態である。(後略)”(12月7日付け中日新聞)
(第3254話)人は変わる (2022年01月03日) 己書作R4.01.06
“これと言って趣味のない夫の退職後の行く末を家族中で案じていたが、周囲の心配をよそに、本人自らJAの農園を借り、畑を始めた。長年畑をやっている友人が近くにいたことも幸いし、いろいろ教えてもらい恵まれたスタートを切った。「やれやれ、何とか続いてよ」と祈る気持ちで見守った。ところで夫はもともと好き嫌いが多く、結婚当初から「ジャガイモ嫌い、カボチャ嫌い」と臆面もなく言い放った。ちなみに私は大の大人が食卓で好き嫌いを言って食べ残すのを、非常にみっともないと思う者である。
それが、キュウリの大収穫時には、サラダ、酢の物、漬物、味噌汁にまで毎日キュウリのオンパレードに文句を言わず食べた。大根、人参に至っては葉もすんなり食べた。(後略)”(12月11日付け中日新聞)
(第3258話)声かけ (2022年01月11日) 己書作R4.01.14
“それは、娘が七人ほどの人から優しい声かけと優しい気持ちをいただいた、十五分ほどの間の出来事でした。東京ドームの最寄り駅、地下鉄の後楽園駅。祝日の午前十時ごろ、ホームに下りる階段を踏み外し、階段を下りた所で足を伸ばして座っていた。すると、電車から降りてきた三十代ぐらいのカップルが「大丈夫ですか、駅員さん呼びましょうか?」と声をかけてくれた。ただの捻挫と思っていたのと、少しは歩くことができたので「大丈夫です、ありがとうございます」と返事をした。
優しい声かけが二分おきぐらいに繰り返され、最後の人は駅員さんを呼んでくれた。(後略)”(12月21日付け中日新聞)
(第3261話)卒アル写真 (2022年01月17日) 己書作R4.01.17
“学校の卒業アルバムや保育園の卒園アルバムの作成に人工知能(AI)の顔認証技術を活用する動きが広がってきた。生徒や園児の登場回数を自動でカウントし「平等に」アルバムに掲載するのを支援する。手間のかかる写真選びを効率化でき、教職員や保護者から評価されている。
ウェブシステム開発の「エグゼック」(東京)は昨年から顔認証技術を搭載した卒業アルバム制作サービスを提供している。ソフトはパソコンで操作する。米IT企業のAIと自社技術を調整して使用。昨年は約百の写真館を通じて約三百校で利用された。今年は七百〜八百校程度に増える見通しだ。(後略)”(12月26日付け中日新聞)
(第3263話)道草のすすめ(2022年01月21日) 己書作R4.01.21
“忘れられかけていた一冊が、突然注目を浴びた。「子どもの道くさ」福岡県糸島市の僧侶水月昭道さん(五四)が子どもの登下校に付き添い、その様子や意義をつづって二〇〇六年に世に出した。千五百部を印刷して、終わり。そうなるはずだった。
十四年後の二〇年七月。旅行ライターの岡田悠さん(三三)がツイッターで本の感想をつぶやいた。道草をする子どもの写真を添えて「全然ちゃんと帰らなくて良い」。投稿は、あっという間に十二万を超える「いいね」を集め、コメントも相次いだ。「通学路は大いなる学びの場!」「帰り道って冒険の毎日だったよなあ」(後略)”(1月1日付け中日新聞)
(第3265話)ラジオ体操 (2022年01月25日) 己書作R4.01.29
“家から歩いて二十分ほどの公園で毎朝ラジオ体操をするようになって七年になる。友人の誘いで始めた当初は第一、第二の両体操に続いてグラウンドー周走るのがきつかったが、仲間との談笑が楽しくて続けられている。散歩中の夫婦がやり始めたのをきっかけに、通り掛かった人たちも次々と加わって体操クラブを結成するまでになったのだ。現在のクラブ員は十五人ほど。その平均年齢が七十代前半になっても、思い思いに開始三十分前には集合して準備体操をしている。昨年十一月にはクラブの創立十周年をみんなで祝って万歳三唱をした。新しい仲間が加入してくれることを心待ちにしている。(後略)”(1月3日付け中日新聞)
(第3268話)継続の大切さ (2022年02月01日) 己書作R4.02.02
“ついに昨年十月、初めてとなるフルマラソンの完走を果たした。保健体育の教員となり三十年ー。加齢から近年は体力や気力の衰えもあり、走るどころか、歩くことさえ苦に思うことがあった。気付けば生徒に実践してみせるより、言葉巧みに諭す指導に重きが移っていてハッとした。このままでいいのか? 自問自答を重ねて五年前に一念発起しウオーキングを始めた。やがて少しずつ走れるようになってきた。今は月に計200km走っている。体重は落ち、足の筋肉がまた付いてきた気がする。我慢強くもなった。残された教員生活で、わが体験を教え子に伝えたい。「継続することで大きな自信は生まれるのだ」と。(後略)”(1月10日付け中日新聞)
(第3269話)一・十・百・千 (2022年02月03日) 己書作R4.02.04
“「一・十・百・千を忘れないで過ごそうね」。姉から教えられた「一・十・百・千」という言葉。数字の位の話ではない。私たちが年を重ねていきながらも、心身ともに健康に暮らすために必要な数字だそうだ。姉がどこかで耳にし、強く共感したそうだ。その意味とは・・・。
「一日に一回は大声で笑い、十人と言葉を交わし、百文字は書き、千文字は読もう」ということだそうだ。(後略)”(1月12日付け中日新聞)
(第3277話)日めくり (2022年02月19日) 己書作R4.02.20
“起床しての最初の仕事は台所の日めくりカレンダーをめくることだ。掛け替えたばかりはまだ分厚く、一年の重みを感じる。
カレンダー選びはいつもわが楽しみの一つだ。近年、大型スーパーの売り場をのぞくと月めくりのものが多く、かわいらしい動物や美しい風景の図柄のものからは癒やされ、旅情を誘われるものの、私は幼少期から慣れ親しんだ日めくりに勝るものはない気がしている。その数字を眺めているだけで、かけがえのない日であることを感じさせてくれる。めくるたび新鮮な気持ちになれるのも長所の一つだ。神社でのラジオ体操や、散歩に出掛ける意欲まで湧いてくる。(後略)”(1月25日付け中日新聞)
(第3286話)湯たんぽ (2022年03月09日) 己書作R4.03.14
“大掃除をした昨年末、天井裏から亡き両親それぞれの湯たんぽが出てきた。昨今主流の電気式と違って、昔ながらの注水式だった。そんな旧式を、妻と二人で試しに使ってみた。ポリエチレン製の容器に熱湯を満杯にしないと容器がへこむ原因になるそうで、こぼさずに入れるのは案外難しかった。それでも布団の中に置いておけば就寝時、気持ちの良いほど温かくなった。このホカホカ感が朝まで続くのは驚きだった。おかげで今冬は毛布いらずで過ごせている。安眠できる上、妻にも感謝されて一挙両得。さらに、中の湯は翌朝の洗顔にぴったりの温度だ。思いがけず親から引き継いだ湯たんぽは、もう手放せない。”(2月17日付け中日新聞)
(第3291話)愛妻 (2022年03月19日) 己書作R4.3.20
“●節分 夕食時、幸せそうな顔で手巻きずしをほおばる夫に「今年の恵方はどこなの?」と聞くと、瞳をじっとみつめて私を指した。「私がいる方向ってこと?」と思わず確認すると、満面の笑み。(毎日ラブラブの40代妻)
●我慢比べ 「おーい、お茶」。夕食が終わると、互いに言い合う。すました顔の妻に、いつも私が根負けする。「私がいなくなっても一人で入れられるね」と言う妻に「おまえがいなくなったら誰に入れるんだ」と返し、二人で笑った。(幸せな時間・67歳)(後略)”(2月23日付け中日新聞)
(第3294話)親からの贈り物 (2022年03月25日) 己書作R.03.30
“(前略)習い事をすることで、将来の選択の幅が広がる。子供はまだ幼いため、習い事の選択権はほとんどが親にある。もしかしたら、子供の希望通りではない習い事をさせてしまうかもしれない。でも逆に、子供の可能性を引き出してあげることができるのは親だけなのだ。
私は幼い頃からチアダンスを習わせてもらっていた。幼稚園以外でのコミュニケーションの場ができ、この習い事を部活動にもつなげることができた。とても親には感謝をしている。子供に習い事をさせるというのは、子供にいろんな挑戦をさせてあげられる、という親からのプレゼントなのだ。”(2月27日付け中日新聞)
令和3年10月19日に第1作を書いて以来、令和4年4月15日で第41作となりました。約4日に1作を書いてきたことになります。いろいろな制約もありもう惰性の感もありますが、いろいろ試した中で自分の書き方が見つかればいいかな、と思っています。「はてさて己書」としたのは、これが本当に己書なのか、本気で取り組んでいる人に失礼ではないか、そんな気持ちもあって「はてさて」と付け加えました。「我流書」が適当かとも思っています。
人生終末に新たなことに挑戦する人を聞いて感心したことが幾度もありますが、ささやかながら何か自分もそんなものを見つけた感じです。「話・話」 と連携させられたことも大きな効果です。「話・話」 を続けている限り、素材に事欠きません。相乗効果になるでしょう。
紹介した己書に付けた文は、「話・話」の元になる投稿文の一部にしました。それも後略したものが多くなっています。私のコメントは省いています。己書の文字の意味を知っていただく参考ためです。
(令和4年5月15日)
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