zu107 高 齢 者
平成27年の日本人の平均寿命は男性が80.79歳、女性が87.05歳という。長くなったものです。そして、今年に入って日本老年学会と日本老年医学会は、一般的に65歳以上とされている高齢者の定義について、75歳以上とすべきだとする提言をしました。65〜74歳は「准高齢者」、90歳以上を超高齢者と位置づけようという。しかしながら「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」具体的に言うと「自力で食事、排泄、入浴、更衣、移動などの日常生活動作が可能で、自分の意思によって生活できる期間」の健康寿命とでは男性で9年、女性で13年の差があるという。この間は不健康期間です。これだけの差がありながら、日本老年学会の提言が妥当かはこれからの議論に待ちたいと思います。
私は酉年生まれ、今年は6回目の年男を迎えました。立派な高齢者と思っていましたが、この提言では准高齢者となります。こんな私ですが私のホームページの「話・話」では自然高齢者の話が多くなっています。びっくりするような元気な高齢者があります。今回は昨年書いた「話・話」の中から、数話を紹介したいと思います(一部修正しています)。
◎1月13日 (第2215話)おだて上手の魔法
“朝起きると、きょうも元気に起きられたと感謝の心で仏前に手を合わせる。老化が進み、何事も億劫になってきて、自分ながら情けなく思う日常だ。しかし、毎朝電話してくる神奈川に住む次女が、おだて上手で一日が明るくなる。例えば私が「きょうは天気がよいので布団を干して部屋の掃除をするの」と言えば、「うわぁ、一人で布団運んでさおにかけたの、すごーい。中に入れる時は転ばないようにね」。コレステロール、中性脂肪の値を報告すれば「私よりずっといいわ、長生きすることうけあいね」。「ぼつぼつ、パーマかけに行くから」には「きっと世界一の美人になるかもね」。思わず噴き出す。「けさの新聞の数独パズル、難しくてまだ解けない」。「もう一度やれば絶対解ける。今度会う時に競争するから、腕磨いといて」と乗せられる。
「5年日記がもうすぐ終わるから、1年か3年にするか迷う」。「そりゃあ、10年日記に決まってる」。さすがにこれには乗らなかったが、奮発して5年日記を購入した。おだてに乗り、ウキウキする90歳。長男夫婦、犬1匹との平穏な暮らしに感謝し、電話でのエールにも力をもらう。”(12月30日付け朝日新聞)
愛知県岡崎市の田村さん(女・90)の投稿文です。おだて上手とは、まさに褒め上手である。この文は90歳の女性が書かれたものである。しっかりしたものだ。そして、話の主人公は二女の方である。毎朝電話をしてくると言う。時折ある話ではあるが、田村さんは長男夫婦と同居されている。時折ある話と書いたが、それはほとんど1人暮らしの場合である。この点にも感心する。田村さんはこのような文を書かれるほどに達者であるが、それでも老いた親の面倒を見るのは大変である。この二女の方は、そんな長男夫婦を少しでも手助けしようという気持ちがあるかもしれない。思いやりあう良い家族である。
田村さんがおだてに乗って5年日記を買われたのはまた良かった。10年日記でもよかったのではなかろうか。でも、10年日記だと書く欄が少なくなります。慣れた日記で正解でしょう。ボクは3年日記を使用しているが、後何冊買うことができるだろうか。田村さんにあやかりたいものだ。
◎4月29日(第2262話)学びの連続
“「一年生」とは、入学初年度の児童・生徒や学生のことですが、技芸などを始めて日が浅いことの例えでもあります。そういう意味では、人は何歳になっても人生の一年生ではないでしょうか。なぜなら、毎日の生活の中に出会いや感動、驚きがあるからです。もちろん失敗や悲しみ、悔しさもあるでしょう。いずれにせよ、同じ日は二度とありません。ですから毎日を新鮮な思いで過ごすことができますし、毎日がピカピカの一年生です。
私も一年生体験が続きます。三年前は還暦一年生でした。一昨年は実父の葬儀や相続の一年生でした。昨年はNPO勤務一年生でした。悲喜こもごもですが、新鮮な学びの連続です。「今が一番若い」という言葉がありますが、何歳であっても後からみればその時点が一番若いのです。この年齢で一年生であることに、晴れがましさを感じています。”(4月10日付け中日新聞)
「一年生」と言う課題で、岐阜県可児市の団体職員・日比野さん(男・63)の投稿文です。「毎日がピカピカの一年生」という言葉に驚いた。こういう捉え方もあるのだ。確かに毎日、今日という日を迎えている。今日という日は今日始まる。初めて迎える日なら、迎える自分も一年生だ。一年生はピカピカだ。新鮮だ。新鮮な気持ちで毎日を過ごそう、と日比野さんは言われるのである。何か禅問答の気もするが、毎日を楽しく送る知恵に違いない。慣れて惰性の日々より、新鮮で何かを期待する毎日の方がいい。さて、今日は何があるか、いろいろ関心や興味を持って過ごしたいものだ。
さてボクの今年の1年生は、何と言ってもがん手術後の尿漏れである。これは早々に卒業したいものだ。そして、十八日講の自主参加である。昨年は地元役員としての参加であり、1年の任期であったが、今年から個人参加で、この任期は自分の意思にかかっている。どこまで続けるのか、続くのか興味がある。他にどんな1年生が待っているだろうか。
◎6月18日(第2287話)似顔絵1万枚
“七十歳から地元の保育園、幼稚園の卒園記念に園児の似顔絵を贈り続けている。一万枚を目標に、九千八百枚になった。昨年、がんのため入院し現在治療中だが、園児たちは似顔絵を待っている。年長児が絵をもらうのを見た年下の子たちは「僕たちももらえる?」と先生に聞くらしい。
体力がなくなり、手に力が入らなくなり困っている。毎日紙に線や円を描く練習をしている。ようやく以前のように絵が描けるようになった。今年も市内の全園児を描きたい。一人一人に以前のように手渡しして喜ばせたいが、体力がなくなり歩けず、自動車の運転もできない。園長さんに渡してもらい園児たちを跳び上がらせて喜ばせたい。
十三年前、一幼稚園の園児の似顔絵を描いて以来、市内の全園児を十三年間も似顔絵で喜ばせている。最初に描いた園児は、もう大学生になっている。この似顔絵によって大府市の各家庭が笑顔で明るくなったらしい。うれしい。”(5月31日付け中日新聞)
愛知県大府市の深谷さん(男・83)の投稿文です。この深谷さんは、2012年9月5日の「話・話」第1653話で紹介しています。あれから5年、83歳になられ、枚数も1万枚近くになった。毎年1000人である。凄い精力が要る。そのために体力も付けておられる。70歳にして生き甲斐を見つけられた。これだけ楽しみにしている人がいては止めるに止められない。人間幾つになってその人の価値が出るか分からない、と言うものの70歳である。70歳というのは今のボクである。ボクもこれからなのか。ところがボクはいろいろしてきたことの仕舞い方を考え始めている。遺産相続のことも考え始めた。ガン手術が影響している気がする。でも手術はもう10年憂いなく活動するためであった。「明日死ぬと思っていきなさい。永遠に生きると思って学びなさい」良い言葉が机の上に載っているではないか。両面を頭に入れながら過ごしていくのだろう。勤務は来年の今頃で完全退職予定だ。しかし、市議会議員との二人三脚は始まったばかりである。
◎7月24日(第2305話)90歳のボランティア
“父が二年前に八十八歳の誕生日を迎えた時、私はお祝いに何を贈るのがいいかと考えました。日ごろから父が練習をしているハーモニカでミニコンサートができたら、と思いつきました。「祖父が皆さんの前で演奏したいと言っているので、コンサートを開催できませんか」。私の子が早速、仕事を手伝っているデイサービス施設に声をかけてくれました。
曲目には、よく知られる八曲を選びました。父は目が見えません。肩をポンとたたかれるとスタートし、耳と頭を使いながら、音を探りながらの演奏です。替え歌やおしゃべりなどを交えながら、楽しい一時間余りを利用者さんたちと一緒に過ごしました。
九十歳になった今年、また機会を得て演奏することになりました。本人もデイサービスに通っていますが、他の施設でボランティアをさせていただきました。
二人で帰る途中、父は「九十歳のよい記念になった」と喜びました。元気に毎日が過ごせ、目の見えない老人でもボランティアができてうれしいことや、家族、特に妻に感謝していることなどを話してくれました。物ではないプレゼントを父にできたことに、私も幸せを感じました。でも疲れました。慣れない司会をして。”(7月6日付け中日新聞)
名古屋市のパート・河合さん(女・66)の投稿文です。これはまた愉快で良い話である。お父さんの誕生日祝いに、お父さんが趣味でやっているハーモニカ演奏の発表の場を作った。それがきっかけで、今度はボランティアとして他の施設で演奏したというのである。何がどんな繋がりになるか分からない、人間万事塞翁が馬という。その良い例である。
それにしても90歳にして目が見えなくて、どうしてハーモニカの演奏会だろうか。人間はやはり気持ち次第だ。意欲があればかなりのことができる。今のボクは、手術以来尿漏ればかりでなく、その他にも不具合も生じている。もう半年である。半年ばかりと言われるかも知れない。もう少しの辛抱とは思うが、大分イライラが募ってきた。そしてやはり意欲がでない。体の不調はともかく影響が大きい。今それを身に負って教えられている。心身満足でない人が意欲的に過ごされていることを見ると、以前よりより凄いと思えるようになった。
◎7月28日(第2307話)傘寿展
“さまざまな趣味の八十歳の小学校同窓生七人。たそがれにはいまだ間があると、頑張る日々を送っています。先日、皆で百貨店のギャラリーで「小学同窓傘寿の記念展」をやりました。水彩、油彩、パステル、ちぎり絵、写真、書など教室で学んだり、あるいは趣味に励んだ作品を持ち寄って出展しました。出来栄えは、趣味ならまあまあのレベルかな、という程度。さすが百貨店の会場。多くの方が来場され、それぞれお褒めや励ましの言葉をいただきました。
無事展覧会を終え、気持ちが盛り上がったところで、「もう一度やりたいね」の声。温厚なT君が「傘寿の次は米寿かな」。再挑戦に異議は出なかったものの、「八十八歳は無理でしょう」の意見。再びT君が、「あきらめればそこで終わり。あきらめなければ夢はかなう」。
みな年相応に、何らかの症状と向き合っている。かつては八十歳代などは超高齢、おじいさんの世界だった。今は八十歳代など普通だ。なにせ、傘寿展を自分たちでコーディネートしているのだ。あきらめなく努力していけば「ひょっとして、ひょっとする」場面がくるかもしれない。夜のとばりが降りる前に、もうひと踏ん張り頑張ってみようか。”(7月9日付け中日新聞)
浜松市の鈴木さん(男・80)の投稿文です。小学校の同窓生7人で作品展を開くとは、素晴らしいことである。同じ教室ならあり得るかもしれないが、いろいろ違った文芸である。それも80歳である。何人の同窓生であったろうか。そんなにどこにもあり得ることとは思えない。地元の公民館程度ならこれも分かるが、百貨店のギャラリーとはまた堂々たるものである。やはり意気込みがあったのだろう。80歳で始めてやって、更に再度を目指されるとは、やはりここにも意欲が現れている。本当に今の老人は凄い。
さてボクについて可能性を考えてみると、ボクには川柳がある。これを色紙にプリントすればボクにはできる。同級生に伊勢紙をしている人がいる。押し花をしている人がある。捜せばまだ他にあるかも知れない。数人集めて公民館程度ならできるかも知れない。考えてみよう。
◎10月12日(第2341話)子見守る幼稚園長
“知多市つつじが丘の近藤とみさんは、11月に102回目の誕生日を控える現役の幼稚園長。「子どもの笑顔こそ世界の宝」と園児たちの健やかな成長を見守る。
名古屋市で花嫁修業の専門学校を営んでいた58歳の時、日本の将来のために重要なのは幼児教育」との理念を実践に移すため、知多市に「まさ美幼稚園」を開設した。以来、40年余り。現在は知多、名古屋市に開いた4つの保育、幼稚園を巡回する毎日。「耐える心、顧みる心、感謝する心が豊かな人間をつくる」を信念に、園児たちを教え、導く。幼児教育を「子どもたちの一生を左右する命懸けの仕事」と話す。長寿の理由は「ひたすら真剣に生きてきただけ」。(後略)”(9月19日付け中日新聞)
「百歳現役」と言う記事欄からです。長寿社会となり100歳越えの人も多くなった。と言ってもボクの村には1人も見当たらない。やはりまだ希有の人である。そして、現役となればまたまた希有である。それが4つもの保育・幼稚園を巡回する園長である。名前だけではない。花嫁修業の専門学校から58歳の時、日本の将来のために幼稚園を開設したという。理念も意欲も凄い。これだから100歳までいられるのだろう。と言っても意欲だけでは生きられない。いろいろなものが幸いしなければならない。
自分とはほど遠い人と思いながらも、こういう人がいることは励みになる。どうせ死ぬまで生きていなければならないのだから、意欲を失わないように活き活き生きよう。
まだまだ紹介した文はいろいろありますが、今回はこの程度にしておきます。「黄金の10年」という言葉がありますが、私は勝手に、冒頭に紹介した准高齢者の時代と思っています。もちろん不健康期間に入っていてはいけませんが、この時代になれば大方は職を辞し、家族への義務も終え、世のしがらみもほとんど抜け、まだまだ体力もあります。自分の意思さえあれば多くのことができます。今の時代は多くの人に可能です。ここに紹介した人々は素晴らしすぎますが、刺激にはなります。私は「話・話」に紹介するために毎日こんな話を探し求めています。でも紹介するだけではいけません。少しでも近づかねばいけません。さてどんな行く末になるのでしょう。
(平成29年2月22日) |
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