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 癌奮戦記(その2)


 
 平成27年12月16日に尿道からカメラを入れる検査を行う。2回目である。1回目はダビンチと決めていないときに行ったので、もう1度確認のためと言われる。見るところが違うのであろうか。年明けて平成28年1月5日、MRIの検査を受けました。ホルモン治療による前立腺の縮小具合を見るためという。70ccから50cc位になったようです。これで入院前の準備はすべて終わったようです。平成27年6月8日の生検以来、T病院に2回、D病院に7回、がんセンターに10回通ったことになりました。(ここで言う「がんセンター」は正確には「愛知県がんセンター中央病院」と言います)

       
病得て優しい風が吹いてくる
 癌の宣告を受けて以来、皆が少し優しくなった気がします。病人に優しくするのはある程度当たり前でしょうが、嬉しいような申し訳ないような気がします。妻などは本人以上に気を揉んできたようです。
     予定終えいざ入院と準備する
 入院を1月19日(火)としたのは、主な行事を終えてからにしたのです。特に1月17日の支援する市議会議員の初詣旅行の後にしたかったのです。これに行かないと「なぜ来ないのか」と話題にされ、私の癌の話が広まってしまうと思ったのです。無事にこれも終えて、入院の準備となりました。


    
 スーツケース見て旅行とたがう人
 10日間予定の入院にスーツケースは一杯になりました。着替えと尿取りパットが大きな嵩になりました。そして2リットル入りの水のペットボトルを4本入れていっぱいにしました。外見は誰が見ても外国旅行です。
 そして、平成28年1月19日、8時前に妻と家を出ました。地下鉄を乗り継ぎ、がんセンターに着いたのは9時半です。すぐ入院の手続きをし、病室へ案内されました。
      手続き終え後戻りはできません
      病室へ覚悟と荷物運び込む
       見晴らしのいい部屋ですぐ写真撮る
        あれこれと興味が募る一日目

 部屋は東棟831号室、個室です。病院は元々高台にあり、その8階南側ですから全く素晴らしい見晴らしです。東山動植物園は目の前に、スカイタワーや平和公園も目に入ります。8階を歩き回れば名古屋市内はもとより長久手市や瀬戸市など近郊も一望です。御嶽山や恵那山も見えます。見晴らしについては名古屋市内のホテルも及ばないでしょう。


 そして次々看護師さんなどが挨拶にやって来ます。こんなに多くの人が係わるのだと、びっくりします。第1日目は説明以外特になし。早々に寝ました。
       絶食の二日目から病人に
 朝目を覚ましたら外は雪で真っ白です。景色が一段と素晴らしい。入院が昨日で助かりました。妻は1昨日から風邪気味で、今日は来ないことになりました。そして今日から絶食です。点滴が始まります。いよいよ病人です。
 そしてこの日、最後の決断を迫られました。神経温存をするかです。医師の「簡潔がいい」という言葉から切除と決めました。


 
入院3日目、1月21日(木)、いよいよ手術です。
 7時頃、浣腸をさせられました。9時に看護師さんが迎えにきてくれました。点滴の台を持ちながら歩いて手術室へ向かいます。
      手を振って不安隠して手術室
       空白の七時間のこと問い詰める

 手を振って出てきたものの、手術室へ入ったときには何か目の前が真っ白になった覚えです。手術台に乗って受け答えしたことまでは覚えていますが、その後は空白です。次に気がついたのは、6時頃、病室で皆の顔が少しずつ見え始めてからです。
      手術は成功と聞き安堵する
 「手術は成功」という言葉は手術後に妻が聞いた言葉です。手術は全く順調だったらしく、手術時間が特に長いと言うこともなかったようです。私が聞くのは、退院後始めての診察の時でした。


    
 手術の翌日に不安増してくる
      看護師の優しさ不安消していく
       翌日に歩けますかと促され

 妻に聞くと、取り出した前立腺は小さい卵くらいあったという。医師からは50g程度と聞いたからそんなものでしょうか。そんな肉の塊を体の中から切り取ってきたのです。腹部には2cm前後の傷口が6箇所ついています。でも、体の中は掻き乱され、かなりな痛みでしょう。今のところ痛み止めのお陰で、痛くも痒くもありません。この後どうなってくるか不安ですが、看護師さんは本当に優しい。数時間おきに来ていろいろ計り、優しい言葉をかけてくれます。
 さて手術の翌日昼前に「歩いてみましょうか」と看護師さんから声をかけられました。もう歩くのか。体の痛みは全然ないし、体力の減りも感じてはいない。でも、見えないところで体に傷つけたのだ。本当に大丈夫だろうか。
       淡々と歩き驚く誰もかも
        管つけて院内を見て回る日々

 歩くためにベッドから出たところでドアーが叩かれました。迎えに行ったら医師でした。迎えて貰ったのは始めてと言ってびっくりされました。肩も借りず、普通に歩けたのです。淡々と歩く姿に看護師もびっくりした様子です。これもウォーキングや筋トレを続けてきたお陰でしょうか。できるだけ歩いて下さいという言葉に、時折院内を歩くことにしました。まだよく見ていないので、知りたいことばかりです。しかしながらこの日は、熱が7度5分まで上がりました。手術のせいでしょう。あって当たり前です。


 入院5日目、手術から2日目です。この日から食事が出るようになりました。食事と言ってもほとんど水分のみです。その後少しずつ食事らしくなり、退院時には七分粥になっていました。
 入院6日目。朝、背中から入れていた痛み止めが空になっていることに気づきました。「痛くなったら言って下さい。鎮痛剤を出しますから」と看護師に言われました。しかしながら、退院するまで痛みを感じることはありませんでした。本当にそんなに大きな手術をしたのであろうか。信じ難いくらいです。全くありがたいことです。まさに医療の進歩でしょう。
         退屈を紛らせていく見舞客
 妻はほとんどの日来てくれているが、この日は親族一同が次から次へと来てくれました。外は寒いという。入院翌日の雪からその後は寒い日が続いています。院内にいれば寒さは感じません。寒い間入院していることになりました。そして7日目から9日目まで、会社の人や聞きつけた知人が見舞いに来てくれました。部屋にいるときは電子ブックや新聞を読み、飽きると院内を歩いて回る。しかし、こんな生活は数日で飽きます。見舞客がありがたい。これまでの顛末を語って聞かせる。何回も語るのでかなり雄弁になってしまいました。

 1月27日(水)、入院9日目、手術後6日目。午後2時頃、検査室へ行きます。膀胱と尿道がキチンと接続され、漏れがないかの検査です。この検査に合格すると退院です。そしてOKが出ました。尿道管が抜かれます。
        尿道管はずしてからが大騒ぎ
 手術後、尿道を通して膀胱まで管が繋がれていて、尿が垂れ流し状態になっていました。管を外して尿が止まればいいが、どうなるだろう。尿漏れはほとんどの場合あると聞いていたので、ある程度は覚悟していました。ところがこれは尿漏れとは言わないでしょう、垂れ流しです。尿意も覚えない。最悪です。
 こんな状態ですが、入院10日目、予定通り退院です。11時頃妻と二女が迎えに来てくれました。昼食をして会計等退院の準備にかかります。午後1時半病院を出ました。こうして10日間の入院は終わりました。


 2月1日(月)、挨拶がてら会社へ行きました。見舞いに来てくれた人に礼を言い、また他の社員に報告をしました。この日は2時間ほどいて帰宅しました。
 手術後1ヶ月はおとなしくしていようと思っていました。しかし、垂れ流し状態は安静にしておれば治るというものではない。無理をしてはいけないが動いた方がいろいろな筋肉も使います。インターネットで調べて見ても動いた方がいいと書いてあります。この週から、週2日の勤務を始めました。ただし、当分は半日程度で帰らして貰うことにしました。


 2月5日(金)、退院後始めて診察に行きました。取り出した前立腺の病理検査結果を聞きました。生検時と同じ結果だったようです。そして、ある数字を示し、癌の取り残しはなし、うまく行ったと言う説明でした。垂れ流し状態について話しました。
       治らない人はいないと医師は言う
        時間が解決すると医師は言う
         医師信じ心静かに時を待つ

 医師は上記の句のような説明をします。大変なのにこれでチョンです。医師の言葉を信じるより他はない。信じ、静かに時を待つ。インターネットを開いていたら、全く同じような状態の人のブログを見つけました。驚くほど詳しく書いてある。2ヶ月ほどしたらかなり改善され、尿取りパットが必要なくなったのは14週目という。時間はかかっても治るのだ。不具者になるために手術をしたのではない。後10年、心配事は減らし社会の中で活動するためにしたのです。医師の言葉とこのブログでかなり安堵感を覚えました。
 垂れ流しの状態をパットで過ごすのは、なかなか大変ですが、これも与えられた試練でしょう。2月19日には2時間ばかり畑仕事もしたし、20日には雨の中、一宮友歩会4月例会の下見で2万歩近くを歩きました。地元の行事にも参加を始めています。見かけ上は平生の生活ができていますので、少しは気が楽です。いつの日か「癌奮戦記(その3)」で尿漏れを懐かしく思い出して書けるよう、今は焦らずあわてず行こうと思っています。


            (ここに使用した句は平成28年2月号「川柳連れ連れ草
             第170号」に掲載した句です)
                                (平成28年2月22日) 

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