zu100   癌 奮 戦 記 (その1)

 冒頭に平成27年7月31日掲載した“「話・話」(第2139話)突然の病”を紹介します。
       
 “ある日突然、私は重病人になった。正確に言うと、もっと前から病人だったのだが、全く気づかずにのんきに日常生活を送っていた。数カ月前から下腹に少し違和感があった。医院に行ってもわからず、婦人科で検査したところ「すぐに大きな病院へ」と言われた。「卵巣がんですか」と尋ねたら否定されず、紹介状を書いてくださった。
 夫に電話をして、ふだん通り帰りにスーパーに寄って夕飯の材料を買った。紹介された病院で検査すると、がんはかなり大きくなっており、周囲にも散らばっているとのこと。「あ、あかんわ」と思った。しかし、主治医は「薬がよく効くので、あきらめることはありません」と笑顔でおっしやった。すぐに手術はできないので抗がん剤で小さくしてからになる。
 私は出生時、仮死状態で生まれたと両親に聞かされてきた。60年間も生き、孫まで見られたのだからもう十分かと思ったり、不安でおしつぶされそうになったりの毎日だ。そんな私のために、夫は仕事をやめ、そばにいてあらゆる面でサポートしてくれている。それがなによりの支えだ。”(7月11日付け朝日新聞)

 堺市の主婦・宿南さん(60)の投稿文です。先日、鳥越俊太郎さんがテレビで話す場面を見ました。鳥越さんは65歳で直腸ガンを発症し、以後4度の手術をし、今75歳で張り切っています。そこでは「ガンは自覚症状がない病気である。早期に見つけるには検査で見つけるより方法はない」と言っていました。自覚症状が出たときにはもうかなり進んでいるのです。宿南さんの場合もまさにそれであったようです。
 そして今、ボクもまさにこれに直面しています。ボクの場合は65歳の時何気なく申し込んだPSA検査で11の値がありました。レッド?ゾーンです。すぐに精密検査を受けました。6点細胞を採ってきましたがすべて陰性でした。その後は3ヶ月毎に、後には6月毎にPSA検査を受けてきましたが、数値は10〜11間であまり大きな変動はありません。それでも医師は「生検をしてちょうど5年たつので、再度受けませんか」と言われ、素直に応じました。それが今年6月のことで、6月17日に検査結果を聞きに行くと「12点の内1点でガン細胞がありました」と前立腺ガンを告げられました。呑気に構えていたものがここからガンが意識の上で急上昇です。紹介状を書いてもらって別の病院に行ったのが7月7日です。別の所にガン細胞はないかの検査が始まります。7月14日にRI検査、7月28日にCT検査を受けました。結果、他にガン細胞はないようです。
 検査でガンだと言われただけで、何の自覚症状もないので何か不思議な気分です。これで手術などするのだろうか。でもこれがガンなのでしょう。宿南さんと違って、早期発見です。不幸中の幸いと本当は喜ばねばいけないのだろうが、複雑な気持ちです。

       

 この文のボクはもちろん私のことです。
 7月28日のCT検査では他にガン細胞のないことは良かったのですが、更に大変な疑いがあることが分かりました。それは大動脈解離というものです。「腎動脈分岐後の腹部動脈に一部大動脈解離を認めます」とあります。大動脈と聞いて私もびっくりしました。泌尿器科の医師も「検査するといろいろ出てきますね、解決はこちらの方が先ですね」と言われる。素人の私でも断層写真ではっきり解離が分かります。早速7月31日に血管外科の方を予約しました。私もその間にインターネットなどで少し調べましたが、やはり大変な症状です。そして、31日に血管外科の医師の判断を聞きます。「全く心配したことはありません」という言葉にホッとしました。図を書いて詳しく説明をされました。「確かに血管の層の中に血液が流れていますが、解離と言うほどのことではなく、ストレスか何かの都合で一部が破れたのでしょう。それも短いものです」という説明です。これで大動脈解離のことは終わりです。もう10年も前のことですが、定期健康診断の胃の検査で、精密検査を言われました。胃カメラの検査で「疑いを持たれたのは胃潰瘍の痕跡でしょう」と言うことになりました。知らぬうちにストレスなどで胃潰瘍にかかっていたのでしょう。今回の大動脈解離の疑いも昔のストレスだったかも知れません。あの頃はやはり大きなストレスがあったのだ、とおかしな納得です。
 そして、8月11日にまた泌尿器科の医師の話を聞きました。「前立腺ガンの対応についてはいろいろな手法があります。一度放射線科の医師の話を聞きませんか?」と言われる。「自分でよく判断して手法を選んで下さい」と言うのが泌尿器科の医師の考えのようです。こんなゆっくりした対応は、ガンは比較的おとなしいもので、範囲も狭く、進行も遅いと踏んでおられるからでしょう。実はPSAの検査を受けた最初は58歳の時です。その時は5でした。そして65歳で11、70歳でも11です。推測ですが、58歳から65歳の間にガンに罹り、70歳までさほど進行していない。私は今までの話や経緯からそのように推測しています。医師はそのような推測は言いません。


 そして、8月17日に放射線科の医師の話を聞きました。放射線治療は月ようから金ようまで毎日、38回受けねばならないと言われる。この方法しかできなければ仕方がないことですが、そうでなければ今の私には避けたい方法です。それと放射線治療は、親類に大きな弊害が出た人があって家族に拒否反応があるのです。
 実は、7月初め前立腺癌の治療をした知人から小線源という方法を聞いていました。やるならこれだと思っていました。この手法ができる病院は限られています。小線源の話も聞きたいと話し、9月1日に愛知県がんセンターへの紹介状を書いてもらいました。

 9月14日、愛知県がんセンターへ行きました。小線源を希望していると話しました。その日から血液検査や尿検査です。そして、9月29日にMRI検査、10月2日にX線検査、呼吸機能、心電図検査等を受けました。検査結果を聞かないまま10月9日から8日間の北欧旅行に出かけました。帰ってきて、10月21日に検査結果を聞きに行きました。ところがまた引っかかるのです。左心室肥大の疑いです。ホルター心電図検査を受けることになります。それよりもこの日に膀胱検査を受けたところ、前立腺が肥大し過ぎていて小線源治療は無理だと言うことになったのです。「今頃になってなんだ」と思いましたが、「最初にしなければいけなかった」と医師も謝りました。できないものは仕方がない。ではどうするか。話し合いの結果、ダビンチというロボット手術にすることにしました。知識も大分ついてきたし、そう迷う余地はありませんから、結論は早いものです。愛知県がんセンターにロボット手術が導入されたのはまだ今年9月末のことなのです。

 「前立腺ガンの対応についてはいろいろな手法がある」と書きましたが、ここでそれを紹介しておきましょう。根本治療は全摘出手術と放射線治療です。全摘出手術には開腹手術と腹腔鏡手術やロボット手術があります。ロボット手術が最新の手術です。放射線治療では外照射法と小線源法があります。この他に、前立腺ガンの進行を抑える内分泌治療(ホルモン治療)、抗がん剤による化学療法があります。更に定期的に検査をして経過観察するPSA監視療法があります。
 実は私にはまだ迷いがあります。危険や苦痛を犯して手術をする必要があるのか、PSA監視療法ではいけないのか。「今まで監視療法ではなかったのか」と医師に言うと「今まではガンではなかったから違う」という。何か禅問答のようです。何もせずにおくのにはまだ私は若い、とも医師は言う。70歳でも若いのか。折角早期発見されたガンです。何かの対策をしなければ、発見された意味がなくなると言う思いもあります。迷う私を妻は叱りつけます。悪いものはキチンと排除して不安はなくした方が良い・・・確かです。


 話をホルター心電図検査に戻します。ホルター心電図検査とは、小型軽量の装置を24時間身につけて日常生活中の心電図を記録し、これを解析する検査です。10月26日の午前につけ、翌日外しに行きました。この日トレッドミル検査も受けました。結果は問題なしと言うことになりました。
 11月2日、妻を伴って診察に行きました。医師から「奥さんと一緒に来て下さい」と言われたからです。がんセンターですから患者はほとんどガン患者でしょう。凄い患者数です。若い人も結構見られます。そして、配偶者など連れを伴っている人が非常に多いことも驚きです。やはりガンは大変な病気なのだ、と改めて思いました。この日、再度の説明でロボット手術にすること、手術日を来年1月21日にすることなどを決めました。そして手術までまだ時間があるので、肥大した前立腺を少しでも小さくした方が手術もしやすいと言うことで、この日からホルモン治療が始まりました。治療と言っても腹部に皮下注射を打つだけです。
 12月2日、2度目のホルモン治療を受けに行きました。この日も妻を伴い、正式に入院手続きをしてきました。1月19日入院、順調にいけば10日間の入院と言うことです。入院前にまだ2回検査に行かねばなりません。


 ここまでで感じたことは、念には念を入れた検査がされること、そして手術は健康体でなければできないと言うことです。病人なのに健康でなければいけないとは、何かおかしな話です。これらの検査で、前立腺以外は健康が証明されたという副産物をもらった思いです。
 こうして書いているように、ガンのことは何も隠すことでもないと、最近は人にもよく話しています。そして話すといろいろ教えてくれます。知識も自然に増えていきます。これを書くためにいろいろ調べ確認していると、改めて知ることもいろいろ出てきました。私には人生初めての大きな手術です。大変な思いをしている人にしてみれば、その程度のことかという人もあるかもしれませんが、この体験も大切にしなければと思っています。

                                 (平成27年12月20日)

川柳&ウォーク