zu099   2 0 1 5 年 の 夏

 2015年(平成27年)の夏は、前半は猛烈なる暑さ、後半は雨の多い不純な日々であった。いや、今も続いている。私はそんな日々を一喜一憂で過ごした。そんな夏の思い出を川柳連れ連れ草8月号に載せた句を紹介しながら綴ってみたい。


     夏休み老いても風を楽しまん
 先日満70歳の古稀を迎えた私は、勤めも今年4月から週2日となり、もう勤めているとは言い難い状況である。これを機会に旅行等いろいろ予定を入れ、また地元の役員等全く何の予定もない日は数える程である。とは言いながらも自由時間は多くなった。そして、孫が夏休みとなると、妻と2人のわが家もおのずとその影響を受ける。やはり夏休み期間中は他の月と違ったものとなる。折角持って来てくれた夏休みの風を共に楽しもうと思う。


    子供らとラジオ体操する夏で
    お寺さんに集う子らは良い子です
    一二三 声あげて夏乗り切ろう
    老人が一人混じって保護者顔

 夏休みになると、今でも多くの地域で、NHKの朝のラジオ体操に合わせて小学生のラジオ体操が行われている。昔は夏休み中ほとんど毎日であったが、今ではかなり短いようだ。それでも我が村では、寺院の努力で7月21日から8月10日まで毎日行われた。大人も参加していると聞いて私も1昨年から参加するようにした。私が家で毎朝ラジオ体操をするようになってもう10年以上になる。家でするのも他でするのも一緒である。
 子供らの参加者は20人前後である。子供の数の2、3割であろうか、全く少ないと思う。大人が来ると言っても保護者が数人で、全く関係ない人は私の他には1人であった。私は外国旅行に行っていた最初の3日間を除いて、その後は毎日行った。子供らが自主的にやっている感じで、大人はほとんど関わっていない。自然私は監視役であった。少し物足りなさも感じるが、いろいろ注文をつけ始めたら切りがない、こうしたことをやっているだけでも良しとしなければと思っている。

    
 ガンですよ告げられたその瞬間に
     寿命を身近に覚えるガン宣告
     検査するその都度不安舞い込んで
     人間の愚かさ暴く検査です

 前立腺ガンの検査であるPSA検査ではガンであってもおかしくない高い数値が何年も前から続いていた。そして今年6月初旬に5年ぶり、2回目の細胞を採ってくる生検を受けた。そして6月17日にガン細胞があることを告げられた。聞いたその瞬間の気持ちは、今よく思い出せない。陰性を半ば期待していたと思うが、とうとうか、と言った気持ちだったろうか。ガンと聞けば、今ではなくてもいつかは命に関わる病気と理解する。時間をおいて「自分にも寿命があるのだ」と言う気持ちが沸き起こってきた。人間に寿命があることは当然に理解しているが、特に支障がない私にはその実感はない。でもこの宣告で寿命を実感した。そしてその後、他の箇所にガン細胞やその他の問題はないのか、いろいろ検査を受けた。その度不安を覚え、特に大動脈解離を言われたときは驚いた。大動脈に問題があると聞けば驚くのは普通である。実は気にするような問題はなかったが、こんな時に愚かさが現れる。


      
暑いと言っても動じぬ温度計
      何もかも放棄したくなる猛暑日
      猛暑日の日数だけ負けている
      猛暑の日は沈黙を続けます

 今年の名古屋の夏の天気を調べて見ると、7月中旬から8月中旬まで全く暑い日が続いた。最高気温が35℃以上の日を猛暑日、30℃以上の日を真夏日、25℃以上の日を夏日と言うが、猛暑日16日、真夏日53日、夏日15日と出ていた。暑い訳である。体を守るだけが精一杯で、何かをするどころではない。熱中症で倒れた人の数をこれほど聞くことも過去になかった。熱中症は特に高齢者に多い。わが家はほとんど冷房を使わない家であるが、今年は結構使った。そして、いろいろ言いながらもこの夏を乗り切った。ヤレヤレである。


      
夏休み孫の世話に妻取られ
      忙しさに不平と嬉しさ半ばして
      孫らの声が聞こえる終戦日

 孫と同居していたり近くにいるのは嬉しいことではあるが、鬱陶しい面もある。夏休みともなればなおさらである。わが家には150mばかり離れたところに2人の男の孫が、車で10分ばかりの所に2人の女の孫がいる。毎日ではないが母親は共に働いている。わが家を含め助け合ってやり繰りしている。夏休みともなればわが家の出番も多くなる。私は半ば傍観であるが、妻は引っ張りだこである。忙しい、忙しいと言いながら嬉々としているのだから文句も付けられない。世の中に孫の話をできない人も多いのだから、喜んでおかねばなるまい。


      
 涼風に身を横たえ明日思う
       ざわざわと緑が揺れて明日憂う
       人並みに生き人並みに老いていく
       明日来る古稀に新たな覚悟する

 あんなしてこんなして今年の夏も無事乗り切った。ただガンが見つかり、9月に入ってもまだどうするか模索している状態である。ただそのガンも非常に初期で小さく、あまりあわてることはないようである。それを医師の言葉から感じてあまり気落ちすることもなく、新た挑戦、体験の気持ちが強い。だがガンである。見つかってそのまま放置しておく訳にはいくまい。治療法を決め、それを行うまでは半ば宙ぶらりんの状態である。1人静かに過ごす時、いい気持ちになりながらもこれからのことが頭をよぎる。
 先日満70歳の誕生日を迎えた。70歳を憂える気持ちは全くなく、一つの区切りを無事乗り越えた気分である。そしてこれから老後に臨む気分である。今の時代、元気に老後を迎えられた人にはこれからこそ人生謳歌である。私にはその気にさえなればまだまだやれることはいっぱいある。体力を付け、気力を養い、前を見て歩こう。そして机の上に置いてある文を忘れずに行こう。
    
「明日死ぬと思って生きなさい。
        永遠に生きると思って学びなさい」

                                 (平成27年9月9日)

川柳&ウォーク