zu097 不 安 の 序 章
人間いくつになっても不安から逃れられるものではない。その時、その歳により、それはさまざまである。明日の見えない人間にとってそれは当然であろう。不安などとてもあると思えないほど安定し恵まれていると見える人にもある。いや、そうした人ほど、その安定がいつ崩れるかと不安になるのである。
人間70歳ともなればその不安の代表は健康であり、終焉がどのような形になるか気にかかるところである。悟ったようなことを言っていても、多かれ少なかれあると思う。今回はこうした個人的なことを除けて、私が近年係わりあっている地域社会の不安について記して見たい。すでに度々書いたことではあるが、近年地域の役員をいろいろやっており、その中で感じてきたことです。
平成23年度に輪番制の町内区会役員が回ってきたことから書いてみます。役員の中で霊園管理委員長を任命された。遠くにいて維持できないという人がどんどん増えていく。また墓地、埋葬に関心があっても、自分中心の考えになっている。先祖があって今の自分がある。産む人があって人類が続いてきた。それなのに先祖の意識が希薄になっていく。私の地区の墓地も返却がどんどん増えている。墓地の管理がどうなるかという不安もあるし、こうしたものの考え方も気にかかる。
24年度は町内に6つある老人会の一つの長をやり、6つの会の副代表を仰せつかった。老人人口はかなりの勢いで増えている。当然老人会は活発になっていくものと思いきや、会員は減っていくばかりである。新たに入ってくる人がほとんどいない。超高齢になった人は退会していく。24年度までは6つあった老人会が、26年度は4つとなり、今年度は3つとなった。老人会に魅力がないからという理由も分かるが、それまでは続いてきたのである。社会との係りを避ける若い人の話を聞くが、高齢者も似たようなものである。もっと手をつなぎ、助け合わねばならないのにである。
平成25年度は町会長を仰せつかった。私の町内は580戸ほどあり、町会長はその代表者である。戸数が多いだけにやはりいろいろなことがあった。その時にも難しさを感じたが、その後も年々難しくなっているようである。その一番が人の問題であるようだ。積極的に係わる人がいない。避けたいばかりである。そんな中、注文を付ける人は多くなるばかりである。
26年度は檀那寺の檀家総代や公民館の役員を務めた。これは27年度も続いていく。26年4月に住職が亡くなり、寺葬という貴重な体験をした。私も宗教に関心が深かった訳ではないが、こうした環境が少なからず作用していき関心も深まる。そうなると全く無関心な人が気にかかってくる。公民館活動でもいろいろなことを知った。先日今年度の初会合があったが、役員が大幅に減っている。問題は山積みである。
27年度は新たに、西切というわが町内独特の団体の代表を務めることになった。会員はちょうど60名である。引継ぎでいろいろな問題があることが分かった。この代表になると、十八講という仏教の講にも係ることになる。まだ1回参加しただけでよく様子がわからないが、これこそ後期高齢者の集まりだということが分かった。行った早々から長期に係ることを懇願された。それというのも西切の代表任期は1年であるからである。後期高齢者では先が見えている。継続できる後継者が欲しいのである。70歳はまだ若いのである。
こうしてみてくると、自分のこと以外に無関心なこと、結果人材不足の問題に行き着く。東北の震災から絆の重要性が叫ばれ、その絆が日本の良さのように言われているのにである。少子高齢化社会である。ますます助け合わないと悲劇の山となる。これは私の一部地域のことだけではなく、全国的な問題であるだろう。不安は募るばかりである。
私の住む市ではもうまもなく市会議員選挙に突入する。今まであまり選挙には係わったことはなかったが、今回は大きく係わることになった。昨年の10月に、同級生が市会議員選挙に立候補を表明し、その支援が始まった。後援会副事務局長を務めることになった。この活動の中でさらにいろいろ知ることになった。不安は減るどころかますます増幅されているのである。これらの不安は一個人のことではないだけにそうそう簡単には解決しない。
いつか選挙の話も書くことになろうから、今回少しいきさつに触れておきたい。1昨年、私の地域から出ている市議が引退を表明した。私の地域は市域のはずれで、大きな声を出さないと市に声は届かない。そんなことで長いこと地域推薦の市会議員を送っている。こうした進め方が良いか悪いかの議論はあろうが、後継者探しが始まった。先にも触れたが、私も1昨年は町会長であったので、後継者探しに係わった。本人が少しその気になってもほとんど家族の反対にあい、あきらめることになる。立候補は家族も大きく巻き込まれるのであるから、本人だけの問題では済まされない。特に配偶者は大変である。「どうぞお好きに、離婚します」と言われて終わりである。昨年9月に入って、私の親しい中学・高校の同級生が立候補してもいい、と言っていると伝わってきた。最後の最後まで誰もなかったら、自分のやり方で立候補しようかと密かに思いもしていた私である。これ幸いと早速本人に確認し、町内会の幹部にその旨伝えた。その後紆余曲折はあるが、地域推薦を得て後援会組織の設立などの準備が始まった。こうなってくると同級生という以上に親しい私として何かしなければならないだろうと思っていたが、想像以上に大きく巻き込まれることになった。町内の役員は毎年替わります。継続して事に当たり、経過もよく知った人がいると幸いですし、また必要です。その役が私のようです。後援会がある限り私の役は続くようです。こうなると私も中途半端な対応では済まされません。彼と命運を共にする気概も必要です。そうして取り組んできてまもなく、告示、選挙運動期間に入ります。そして4月26日が選挙日です。私が市会議員になる訳ではないが、状況によっては私の生活も地域の係わりも大きく違ってくる気がします。私の不安に立ち向かうことになるかも知れません。結果の出る前に、序章としてこの文を急いで書きました。
(平成27年4月17日) |
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