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寺 葬 体 験
平成26年3月31日に1年の町会長職の任期を無事終え、何か自由を取り戻した気分であった。今年は顧問と言うことになっているが、顧問は顧問である。縛られることは少ない。
そこで1年間控えていた妻との旅行を早々に再開した。4月13日から2泊3日で新潟、山形の方へ出かけた。そして4月下旬にも1泊のバスツァーを予約した。
ところが4月19日(土)朝8時頃、一宮友歩会の6月例会の下見に出かようと準備していたところへ、檀那寺のお庫裏様から電話が入った。住職が19日午前3時頃亡くなったという。8時半に来て欲しいと言われる。考える間もなく、当分の予定はスッパリあきらめざるを得ないと決断する。早速に一宮友歩会の役員の一人に電話を入れて事情を話し、欠席とする。そして下見に必要な資料は妻に持っていってもらうことにする。
檀那寺の住職亡くなり皆騒ぐ
葬儀時の檀家総代その辛さ
任期中にないこと祈っていたのだが
電話鳴り予定はすべてくつがえる
五十回目に初めて下見不参加です
今年79歳になられる住職の体調は、ここ数年、良かったり悪かったりを繰り返していた。今年3月の老人会追弔会の時、勤められている姿を私は見ている。それなのにである。私は今年、3年任期の檀家総代の2期目を勤めている。体調に不安のある住職の不幸が任期中にないことを願っていたが、まさに任期中になってしまった。
一宮友歩会の6月例会はちょうど50回目の例会とになり、記念例会と銘を打って開催の予定である。49回まで約9年間、一度として下見を欠席したことはない。母の死や昨年度の町会長などいろいろあったが、うまくすり抜けてきた。50回目にして初めての欠席となった。
8時半、寺へ行ってみると、総代6名の内1人は体調不良と言うことで欠席であった。集まってはみたものの、葬儀はどのようなものか、何から手をつけていいのか、皆目分からない。今回亡くなった住職の奥さんが平成17年に亡くなっているが、その時は寺葬であった。そうであるならば寺葬と言うで、これは特に議論もなく決まる。寺葬とは檀那寺住職等の葬儀を門徒等で行う葬儀のことである。平成17年の時に総代だった人が言うには、その時はほとんどのことを住職が決め、皆言われるままに動いただけであったという。今回そのように指示できる人はいない。その時の資料を見ながらいろいろ推測する。住職の親族や法中(ほっちゅう・僧侶)さんで通夜、葬儀の日時は決められた。葬儀社も決められた。まずそれを檀家など関係者に通知することであろう。そして、総代や一般檀家衆の役割分担を決めることであろう。葬儀委員長は93歳の長老に、副葬儀委員長も年長の人に決め、私は会計部長となった。全容が見えないので11時頃一旦帰宅し、午後2時に再度集まることにする。
寺葬という重みも知らず決めていく
葬儀屋の話を聞いて見えてくる
門徒衆の配置決めから手をつける
2時から葬儀社や法中の話を聞き、少しずつ全体像が見えてくる。ところが話を進めていく内に、高齢者はどうしても口論だけの人になってしまう。実際にまとめていくのは私と私より2歳若い人の2人となっていく。辛いところではあるが、変な気遣いや遠慮、躊躇している時間の余裕はない。
年齢に応じ役割決まるもの
いつの間に実務をすべて負っている
翌20日、町内へは回覧により、近くの寺院は出向き、遠くの寺院や檀家には郵送で案内書を送る。これらの文は葬儀社が作ってくれた。檀家年行司への葬儀内容や役割分担は21日(月)午後7時から説明をすることにし、その資料は私が作ることになる。町内の檀家は約70軒あり、それを3組に分け、年行司として1年交替で世話役をしている。全員に集まってもらうのは大変なので、まずは年行司会で説明することにしたのである。そして約25名が集まった説明会では、私がほとんどの説明を負わされた。
こうして19日から21日までの3日間はほぼ終日葬儀のことで明け暮れた。22日(火)はどうしても一度会社に顔を出したいということで、この日の打ち合わせは午後4時からにしてもらった。葬儀社の方も細部が決まってきて、大方理解ができてきた。また、昨日渡した資料で苦情が出ていることを知らされた。説明会寸前まで名簿のチェックをしていて名前漏れが見つかり、説明の時に付け加えてもらった。それについて、説明会に出ていない人から不満が出ているという。こちらの苦労も知らずにと、腹立たしく思ったが、丸く収めるためにと謝りに行く。あきれるような話も聞かされる。全くやりきれぬ。
段取りの不備を責められ謝りに
世間とは小さな不備を責めるもの
こうして23日(水)はいよいよ通夜式である。私はこの日も朝から残された作業をし、午後4時から手伝ってもらう人全員への説明会及び作業開始となる。手伝ってもらう人は地元の檀家衆約70名全員である。今回も自分が大方説明をする。説明の後、会葬御礼や香典返しの袋詰め作業をする。そして軽い食事をして各役割の部所へ配置につき、7時からの通夜式に備える。
会計部は3名で行う。受付から回ってきた香典を開封し、金額を確認する。それを1人がパソコンに打ち込む。約20件分を一束としてまとめる。結果的のこのやり方が功を奏し、集計、確認や振り分けが非常にうまくいった。パソコンが得意な人だから取り込んだのではないが、このことが大正解となった。それでも結局この日は香典の整理に9時までかかり、通夜の焼香もできずに終わってしまった。
24日(木)は本葬である。8時半に寺へ行く。10時に一般手伝いの人が集まってくる。11時半から順次式が始まる。本葬は午後1時からである。この時は私も焼香の場所に立ち、会葬者にお礼の頭を下げた。
不安の中で通夜式迎えてる
白髪を会葬者に下げ続け
時流れ葬儀式も終演に
午後3時に香典の整理を終了し、取り引きのある農協職員に来てもらって香典のお金を渡す。5時から無常講があり、この日は7時半に帰宅できた。
翌25日(金)は午後1時より各納入業者に来てもらって代金を支払った。
未体験をここまでこなし誇りたい
面白い人生は苦に比例する
したくてもできない体験吉とする
早々に貴重な体験今年も良し
この葬儀の通夜式、葬儀式の参列者は約750名、費用は約700万円であった。葬儀式の法中は30名であった。葬儀は良くても悪くても時間が過ぎれば終わっていく。でも初体験のこれだけのことをこの期間でよくやったと感じている。もちろん多くの人の力の結集があってのことである。何か誇りたい気分である。
4月19日から25日までちょうど1週間を寺の葬儀に係わりづめであった。予定は皆没となり会社へも半日行ったのみである。最初の日に葬儀社の社員から「寺葬などは経験したくてもできぬもの」と慰められたが、その時はとんでもないことと思った。こうして終わってみれば良い体験になったと思う。また考えさせられることが沢山できた。特に檀家総代の選挙のやり方は変えたい。いずれ提案するつもりである。
葬儀そのものについての意見は控えたいが、葬儀社に操られている感はある。しかし、葬儀社なくてはとても出来ることではない。葬儀というのはとかく時間が限られている。初体験の中でどんどん進めざるを得ないのである。
川柳連れ連れ草の平成26年4月号に掲載した句を挟みながら今回の体験を書き留めた。会計としてまだ作業は残っており、7月5日に予定している年行司会で会計報告をしてすべてが終わる予定である。
最初にも書いたが4月29・30日にも1泊2日のバスツァーが予約してあった。葬儀は2つの旅行の間に挟まり、旅行はきわどい中にも何の差し障りもなく行くことができ、この幸運を喜んで29日も出かけた。最後の句に「早々に貴重な体験今年も良し」と書いたが、実はこの旅行がとんでもないことになるのである。世の中全くままならぬものである。
(平成26年6月28日)
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