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町会長職1年を振り返って
平成26年3月31日を以て1年の町会長職を無事終えられた。3月31日の夜12時を待つ気分は退職時と同じようなものだった。1年と38年との違いは大きいが、何か起きれば静かに4月1日は迎えられないのは同じである。しかしながら静かに迎えられた。「本当にご苦労様でした」と自分で自分に言いたい。
さてこの1年の町会職はどんなものであったろうか。昨年6月に「町会職3ヶ月」を、8月に「防犯灯から見えたこと」を書き中間報告的なものをした。その時「終えたときどんな感想を持つだろうか」とも書いた。結果を書かねばならない。
まず知ったのは、町会長と一口で言っても、町内によって規模、分担、責任等全く違っていることである。隣村とも大きく違っていた。だからこの話は我が町内に限った話となってしまう。そこでまず我が町内会の概要を書いてみたい。
我が町内会は戸数約570戸、役員は選挙で選ばれる正副町会長の他には輪番制の区会役員26名だけである。他に前年度の正副町会長の顧問が2名いるが、これはまだ数年前にできたものであり、任務もまだよく定まっていない。そしてすべて1年任期である。これだけ多い戸数で、これだけ単純な構成はまずないだろう。
町内会の主な業務を拾い上げてみる。
1)町内会費、赤十字募金、赤い羽根などの集金業務がある。町内会費は持ち家者と事業者、借家者に分けられていて、更に前後期に分けて集金するので、都合4回しなければならない。今年は何十年ぶりかに町内会費を値上げした。その上、事務軽減のために一括納入をお願いした。これを話した知人から「お前は正気か?、値上げしたのなら更に分割を認めるがのが普通だろうが、それを一括とは!・・・」と言われてしまった。確かにそうだろうが、今の時代、6000円の一括納入は返って面倒がない、と思う人も多かろうという判断である。事業者はすでにほとんどが一括になっている。持ち家者400戸弱の内、100戸以上あればこの施策は正解と思っていたが、何と360戸以上の方から一括納入に応じて頂いた。今年の役員は事務が複雑になり大変だったが、来年度以降は大幅に手間が省けることになろう。
2)土木事業の要望は町内会の大きな業務である。町民から要望を聞き出し、整理し、順位付けをして県市に要望する。そして立ち会いをする。我が町内は区会役員の中から担当委員を選任することになっているが、継続性があり重要な業務だけに地域によっては、複数年の役員を設けたり、選挙にしたりしていることを知る。
3)従来霊園の管理は独立の団体が管理していた。10年近く前に私が副町会長をした時はそうだった。それがいつの間にか町内会管理に変わり、3年前に私が区会役員をやったときは、私が管理委員長を務めた。毎月の清掃、供養祭、管理費の徴収などがあり、大きな業務である。
4)これも数年前からであるが、小学生の登下校の見守りをするようになった。これは他の団体と分担して行っている。毎週木曜日が町内会の担当で、1役員3ヶ月分をこなしてもらった。
5)各種苦情の受付、対応も町会長の大きな業務である。ゴミ出し場の苦情、大型ごみの不法投棄など結構多いのに驚いた。
6)各種行事の人集めは難儀な業務である。まず大きなものとして町民運動会がある。他の団体にも協力してもらうが、選手集めに町会長が奔走しなければならないのは何ともやりきれない。何チームも出す町内では複数年の担当役員が作ってあることを知った。地元推薦の市会議員後援会の対応もある。私の町内会の組織不足をしみじみ感じた。
7)葬儀への参列も大きな負担である。今年葬儀は16軒あり、内5軒は家族葬であった。11軒の通夜、葬儀のうち都合がつかなかった2軒については代理を頼み、他はすべて参列した。他の多くの行事は事前に予定がつくし、急に来るものでも少しくらいの時間の余裕はある。しかし、葬儀だけはそうはいかない。このために私的な活動は控えざるを得ない。これは全く辛い。
8)町会長会や各種団体への出席、各種行事への参加、役員会の開催、施策の発案等がある。これらが町会長としての本来の業務であろう。
一部の業務を紹介した。私は前例踏襲といいながら、小手先の事ながら自分がこの方が良いと思ったことは積極的に変えた。先に挙げた町会費のことの他少し挙げてみる。
1)正副町会長選出の年齢制限を69歳から75歳に引き揚げた。誰もがこれでは近々行き詰まると言うことを感じながらも誰もがしなかった。少なくとも我が町内会の町会長はフル勤務の人には無理である。それをすれば本人にも町内にも悲劇である。定年が65歳になろうとする今、69歳までの人で適任の人を見つけ続けるのは至難である。更に少子化である。行き詰まる前に改正しておくのがベストであるという判断である。一度町会長をすれば5年の免除期間があるが、これで今68歳の私の再選が可能になってしまった。大きな犠牲にならないことを祈りたい。
2)選挙投票用紙を氏名記入式から、氏名を記入しておいて○を打ってもらう方式に変えた。これは、我が町内は事前に委員会で候補者3名を決める方式だから可能なことである。誰もが分かりやすく簡単で、間違いも少ない。自賛している。
3)区会役員の慰労のための日帰りバス旅行を廃止し、料亭での食事会にした。この発案に全員が賛成してくれたことには、正直驚いた。慰労会をするのは市から出ている手当を使って行うのでやましいことではない。町会長手当もこれに充当しているのは、少し疑問に感じている。
4)側溝清掃の収集袋を全戸一律配布から希望配布に変更した。現在ほとんどの側溝は蓋がかけられ、一般の人には清掃ができない構造になっている。それなのに昔ながらの一律配布の方法をとってきた。希望を聞くことによって、配布枚数は4分の1に減り、複数枚欲しい人にはその要望に応じた。これは小さな変更の1例であるが、1年町会長では必要に迫られたこと以外なかなか変更できないのが実情である。
そしてこれは私の最大の功績だと思っているが、防災講演会の開催である。昨年8月の「防犯灯から見えたこと」に「まだ誰にも話していないが、今年度後半には防災講演会を開いて、皆に考えてもらう機会を作りたいと密かに思っている」と書いたが、その通り防災講演会を開催したのである。2月24日(日)午後、公民館で市の危機管理室から講師を招き「地震について(自助・共助・公助)」と題して講演をしてもらった。私からも「小学校区が同じ4町内会で自主防災会がないのは当町内だけである」と言うことを訴えた。76名の参加者があった。近年、この町内でこれだけの人が集まる機会はなかった。それだけに成功とも言えるが、少し物足りなく感じるのは欲張りすぎだろうか。次年度への引き継ぎで、是非講演会は継続してくれるようにお願いした。
こうして大きなトラブルも嫌な思いをすることもなく町会長職を終えることができたのは幸いだった。いろいろな知識を得、知人も増え、貴重な体験となったが、負担も大きく疲れた。旅行など個人の活動が制限されるのが辛い。そして、いろいろ憂いが増え、やりきれなさが増えたのも事実である。
そんな中で一番の問題は町内組織である。何十年も前の120戸の時代から570戸を超えた現在まで、同じ組織だと言うことでは問題がない訳がない。少しはしょって言えば、町会長が決めて走り、副町会長が会計始め事務処理を行う。区会役員は言われたことだけをこなす。これでは現代に対応できる相応しい組織とはとても言えない。どんな組織がいいか、他の町内のことも知り、そして考え、当町内に相応しい変更をする。組織を変えるというのはとても大きな気力と忍耐がいる。組織を検討していくと、いろいろな問題にも触れなければならない。自主防災会も当然問題になる。きっかけは何でもいい、何かのアクションが必要である。これは1年役員ではとても対応できるものではない。一案として歴代正副町会長で検討委員会を設けることを提案したい。
その組織の問題の中でも、私の町内の他の団体も含め、すべての役員の任期が1年だということが大きな問題だと思っている。1年では1回経験して終わりである。新たな施策も改革もできない。それでは町会長も複数年継続できるようにするとか、副から正に上がるようにすればいいという意見があろうが、今の負担でボランティアはとても耐えられない。1年を通じて来客も電話も何の用もなかった日は数える程であろう。役員を増やしてもっと軽減する必要がある。例えば先に述べた参加者集めや葬儀への参列は是非他の人にしたい。
今年は顧問としてものを言える立場であるが、形だけの顧問になるか、それは今年の町会長と私にかかっている。少し自画自賛の多い文になったかも知れないが、約束の文も書き終えて今はヤレヤレの気分だけである。
(平成26年4月27日) |
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