zu090         合 縁 奇 縁

                            
 平成25年12月7日開催の一宮友歩会第47回例会は「史跡巡りシリーズ・名古屋編part2」として、地下鉄いりなか駅集合で行いました。檀渓址を見、塩付街道、飯田街道を通り、川原神社を経て香積院(こうじゃくいん)へ向かいました。途中の説明などに時間を要したのか、かなり遅れ気味になってきています。
 南山大学人類学博物館には午前中に着き、説明を受けることになっています。これでは先に南山大学へ行って状況を説明しておかねばと、私は香積院へ着いた時、中に入らずそのまま南山大学へ急ぎました。そして急いでいる途中、電話が入りました。香積院では境内に立ち寄るだけの予定でしたが、住職の奥様が出てこられ、勧められるままに本殿に上がり天井画を見ているというのです。驚きましたが、これでは南山大学の説明はもう午後にしてもらうしかありません。これで予定ははっきりしました。そして、南山大学では12時45分からの説明をお願いしました。


 12時過ぎに一行は着きました。広場で昼食をした後、12時45分から説明を受け見学をしました。そして般若台(はんにゃだい)方面へ向かいます。般若台は香積院4世の雲臥和尚が引退した後、この地に籠もり「大般若経」を写経したので、この名が付いたと言われている所です。この付近は高台になっており、般若台から名古屋城などよく見えたと言われています。しかし、今では般若台の周りに建物が建ち、般若台からの眺望は無理です。でも少し先に進めば道路の先端部から市内中心部が眺められ、名駅のJRセントラルタワーズなどがよく見えます。これを見るために上がってきました。

 ここまでの話は導入部で、この話の本題はこれからです。道路先端部で名古屋市内を眺めていると、ある役員が「会長、先ほど前を通った般若台は我々のために開けられているのかも知れませんよ」と言うのです。私が過去2度来た下見時には閉められていました。そして先ほど通った時には、確かに雨戸を開けている人がいました。先端部で名古屋市内を見た後次へ向かう予定でしたが、これを聞いてはそのまま通り過ぎる訳にはいきません。早速戻って雨戸を開けている人に「我々のために開けてもらっているのですか?」と聞きました。そしたら「そうです」とあっさり言われます。ありがたいことです。親切を受けるのは嬉しいことです。この親切を無にすることはできません。早速に皆を呼び入れ、本堂に上がり拝観させて頂きました。そしてまた誰かが私にささやくのです。「ここの娘さんは一宮市丹陽町のお寺さんへ嫁いでみえるようですよ」と。私は町内は違うものの、私の家から100mも行けば丹陽町です。これを聞いて、参考のために聞いておこうと、1人残ってその方にお聞きしました(実はこの方は丹陽町へ嫁いでみえる娘さんのお父さんのようです)。丹陽町以下の住所は分かりませんでしたが、寺院名は聞くことができました。

 さて帰って、早速にインターネットで調べました。驚きました。私が毎日見ている隣村なのです。今私は机に向かってこの文を書いていますが、隣村の竹藪が見え、その中にある寺院なのです。一口に丹陽町と言っても33町内9000世帯もある町です。遠い所は3kmも4km離れています。それがよりによって私が毎日目にする距離の寺院とは、何という縁でしょう。
 翌日、その日の予定もあって朝方早々に訪ねてみました。呼び鈴を押すと当の娘さんが出てみえました。早速に昨日からのいきさつを話しお礼を言いました。この訪問にさぞや驚かれたことでしょう。現在のところ、話はこれだけのことです。ささやかな事ですが、これにはいくつも偶然というか、縁が含まれていて、こんな事はなかなか起こることではなく思えます。
1)香積院で賑やかな声に奥様が出てみえたこと。これはいくらでもあり得ることです。特に事前に連絡もしておかなかったのですから、何事かと思われ出てみえるのは当然かも知れません。でも事はここから始まります。
2)この奥様は本当に親切な方で、また話し好きのようで、本堂へ招かれた。これもあり得ることかも知れません。後で聞いた話ですが、この時のコースリーダーは困ったようです。ありがたい話しですが、ただでさえ遅れています。これで更に遅れる、でもこの親切を無にする訳にはいかない。これを受け入れたことによって次につながります。
3)一部の人の前で、自分の娘さんが一宮市丹陽町に嫁いでいることを告げられた。一宮友歩会という名に親しみを感じられたのでしょう。でも初めて会った人にこんなことまで言われるでしょうか。奥様の人柄のゆえんでしょう。
4)般若台へ行きます。ここで般若台を開けておられる人がいる。それを見た人が「会長、先ほど前を通った般若台は我々のために開けられているかも知れませんよ」と告げる人がいた。般若台と香積院は、先に書いたように関係があります。でも、香積院を訪れたからといって、般若台まで開けるとは親切の上をいっています。それに気づき、私に告げると言うことになるとかなりの偶然になります。
5)更に「ここの娘さんは一宮市丹陽町のお寺さんへ嫁いでみえるようですよ」と私に告げる話になると、もうたまたま以外の何ものでもありません。聞いていてもほとんどの人は私に告げないでしょう。告げる必要もないし、告げる意味もありません。多分この人は、私が丹陽町と隣り合わせに住んでいることを知っていたのでしょう。でも丹陽町と言っても、先ほど書いたように広いのです。告げた人も何かを期待したと言うことは無いでしょう。
6)それを聞いた私が、1人残って場所を聞いてくる。実は先へ歩き始めましたが、何を思ったのか、踏みとどまって玄関に入っていったのです。そして丹陽町以上の住所は分からなかったが、寺院名は聞くことができました。
7)そして帰ってインターネットで調べ、目の前の寺院と知ることになるのです。
 思いつくままに7項目に分けて挙げましたが、どれもこの例会に予定していたことではありません。7項目も連携の必然性はありません。そして、どれ一つ欠けても、次につながりません。不思議なつながりです。
 もう少し考えると、こうした寺院を訪れる場合、参拝者が多い寺院とか、よほど大きな寺院以外は必ず事前に挨拶をしておきます。どうして香積院で挨拶をしておかなかったのか、どうして手抜きしたのか、今になるとよく分かりません。でも、挨拶をしておいたらこの話はありません。挨拶した時の数分ですべて理解し話は終わります。こんな経過にはなりません。まさにけがの巧妙でしょうか。そして、迂闊なのは目の前の寺院の名を知らなかったことです。この寺院の前は数えられないほど何度でも通っています。でも覚えていませんでした。興味や何かのきっかけが無いとこういうものです。一宮友歩会に参加されている人はこういうことをよく感じておられるでしょう。身近な史跡でも知らないことばかりです。また、一宮市で終わらず、丹陽町まで言われたからこのような経過になった気がします。考えれば考えるほどにいろいろな偶然を感じるのです。合縁奇縁、何が何として何となるや分からないもの、まさに人生の妙味を感じます。


 この例会であったもう二つばかりのことも紹介しましょう。
 久しぶりに参加されたSさんから「先日下水道科学館へ行かれたでしょう」と言われる。「11月26日に来年6月例会の下見で行きましたよ、どうして知っているの?」と言うと「私の家内が科学館に勤めていて、事務所内でのやりとりを聞いていたのです」と言われる。これにも驚きです。私と奥さんは面識がありません。これにはSさんが奥さんに一宮友歩会のことをよく話し、私のことも話していたという伏線があってのことです。この人が話に聞く会長さんかと思われたのでしょう。そして帰って早速にSさんに話された。夫婦の話題を提供をしたと思うと聞く私も嬉しくなります。
 私は12月3日4日、老人会の1泊旅行に参加しました。私の村からは20名もの人が参加しました。その中で1人知らない人がいます。バスの中で隣の人に聞きました。「I会社に勤めていた人だよ」と聞きました。I会社に勤めていた人は何人も知っています。一宮友歩会の副会長をしてもらっている人もその1人です。これで話のきっかけはつかめました。そしていろいろ話しました。話していて驚くことが分かりました。私が例会毎に作る「例会案内」がその人に届いていたのです。私は例会案内を作ると、それを一部の人にメールで送り、それをまたその人の知人に送ってもらっているのです。それが届いていたのです。「あのTさんは貴男でしたか」お互いに驚きです。その人と私の家は数百mしか離れていません。私の文が回り回って近くの人に届いていた、それをこの日までお互い知らずにいた。今の時代ではあり得る話しですが、それでもそれ程に多いとは思えません。面白い縁です。そしてこのことを、この12月例会で副会長に話しました。そして、またその人のことを多く知りました。全く知らなかった人が一気に身近な人になりました。


 
「縁は異なもの味なもの」とも言います。「合縁奇縁」と共にもともとは男女の仲に使った言葉のようですが、今ではまさにこの話のような場合にも使うようです。こうした縁が人生を形作っていくのです。誰もこのようなことはたくさん経験されているでしょう。多分、私も過去にいくつも味わってきたと思います。でもなかなか覚えていませんし、急には思い出せません。この文は、私が所属している小さな作文の会に提出するために書いています。締め切りが近くなって題材が見つからず、悩んでいた時にこの出来事です。これ幸いと書きました。そしていずれホームページにも掲載するでしょう。今回のことは小さな小さな話です。このように大げさに書くようなことではありませんが、これでこの出来事は生涯忘れられないことになるでしょう。これも縁です。これだから一宮友歩会は止められません。人生も止められません。
                                (平成25年12月30日)

 
  
川柳&ウォーク