zu089 電車の中の風景(その2)
今務めている町会長職のことが頭の多くを占め文集の仲間の原稿のことを全く失念していた。これだけ老いたと言うことであろうが、間際になって思いだしたことでもまだ救われるだろうか。締め切りに日数のない中、また「話・話」を活用することにした。電車に関する話しを拾い出した。身近な話しだけに投稿文は多い。そして「話・話」で取り上げることも多い。目にとまった数話を紹介しよう。
(第806話) 電車内の出会い 2007年8月5日
“先日電車に乗っていたときのことだ。私の隣におばあさんが座った。大きめの紙袋を大事そうに抱え、何度も中身を確かめていた。そのおばあさんは「すみません」と話しかけてきた。「この洋服、どう思いますか」。紙袋から洋服を取り出した。「今の若い子の趣味がよく分からなくてねえ」と、とても心配そうな顔をしていた。私が「いい洋服だと思いますよ」と答えると、たちまち笑顔になって説明を始めた。どうやらお孫さんにあげる洋服だったらしい。おばあさんはうれしそうに、お孫さんが私にとても似ていると話してくれた。
私は自分の祖母を思い出した。いつも私のことを心配してくれていたが、私には感謝の気持ちがなかった。祖母もこのおばあさんのように私のことを大切に考えてくれていたのだろうと思うと、何だか胸がジーンとした。”(7月23日付け読売新聞)
松戸市の大学生・森さん(女・19)の投稿文からです。またまた電車の中の光景だ。他人同士の少しの触れ合い、それがいろいろ気付かされることになる。孫を思うおばあさん、自分のおばあさんもそうだったのだと感謝の気持ちが湧く。人は身内からの言葉や態度はなかなか教訓にならない、それどころか返って反発にさえなる。しかし、他人の態度には意外に素直になる、気がつかされものである。
孫を思うおばあさん、ほとんどにおいてそうだろう。わが家のばあさんも孫優先、ボクは二の次、孫は恋敵だ。
(第937話) 席を譲った若者 2008年5月23日
“ある会合で名古屋に出掛けたが、その時の電車内で、こんな出来事があった。八十歳近いと思われる高齢の女性が乗車して来た。つえをつき危なっかしい足どりである。その姿を見て、一人の若者が席からさっと立ち上がり、女性の体をそっと支えた。
「おばあさん、どうぞお掛けください」と、若者は優しく声を掛けた。「ありがとうございます。次の駅で降りますので立っています」と、女性はすまなそうに答えた。若者は座らず、次の駅までそっと女性の体を支えていた。「ご親切にありがとうございます。おかげで助かりました」と、女性は何度も頭を下げて降りていった。
その光景を見て、何か胸が熱くなった。人のことなどお構いなしという若者が多い中で、こういう若者もいることを知り、うれしくなった。”(5月10日付け中日新聞)
亀山市の岩谷さん(男・66)の投稿文です。投稿文にはこうした電車内の席の話は結構多い。こうした嬉しい話、譲ったけど座ってもらえなかった話、席を独り占めしている話、化粧の話など多々である。それだけ身近に人を観察できるからであろうか。この話の場合、立ったまま体を支えていたというところが、特に素晴らしい行為である。人によっては座ったり立ったりすることが大変で、少しばかりなら立っている方がいいという方もあろう。この老人の場合はそうだったのだろう。この若者はそれを理解し、支えておられたのであろう。実にさわやかな風景である。
実はボクも先日譲られたのである。孫とウォークに出かけた帰りの電車、二人掛けの席がどれも一人で座っておられ、二人でいっしょに座れる席がない。そこで空いている席に孫を座らせ、ボクは傍にしゃがんで孫とやりとりをしていた。それを見ていた若い女性が、近寄ってきて席を替わりましょうといい、孫の席に座り、ボクと孫は並んで座れたのである。何という心使いであろう。そうしてもいいと思ってもなかなか声はかけられないものである。その若い女性たるや、髪を染めた短パンツのキンキラギンの、とてもボクには近寄り難い女性である。この話を人にしたら、それは彼女らの単なるファッションであって、人柄がどうのこうのという問題ではないといわれた。まさにそうであった。
(第1433話) 席譲り合い 2011年4月12日
“先日、地下鉄に乗車した時のことです。私が座っていた右隣の席が空いていました。次の駅で二人連れの中年女性が乗ってきたので、私は二人が座れるように体を少し左に寄せました。
マスクを掛けた女性が私にお礼を言いながら二人が座って会話を始めました。しばらくするとマスクを掛けた女性が急に立ち上がったので、視線を向けると妊娠している女性に席を譲ったのです。今度は、私の左側にいた女性が席を左に詰めてくれたので、私もすかさず左に詰めました。そのため妊婦とマスクの女性も座ることができました。
妊婦の女性は連れの女性に「そんなに目立つかしら」と話しかけたのです。マスクの女性が「私と同じぐらいですよ」と言ったので、周りは爆笑の渦となりました。
公衆道徳が乱れがちな昨今ですが、私はこの善意のリレーにすがすがしい気分で一日を過ごしたのです。”(3月27日付け中日新聞)
名古屋市の自由業・毛利さん(男・65)の投稿文です。ボクにはこれが昔の普通の状況だったという気がする・・・と言うと言い過ぎだろうか。昨今の車内を見ると全く嘆かわしい。このように席をずらすという行為などなかなか見かけない。だからこのようなことに感動し投稿されたのだろう。
自分で言うのは少しおこがましいが、ボクは隣に座ろうという人があると、少し腰を浮かせて間を広くしようとする。実際にはほとんど広がらないでもそのような行為をしてしまう。癖になっているのだ。どこでこのような癖が身に付いたかはよく分からない。だから、座りたいと思う人が前に立っているのに、もう少し詰めれば座れるのにそのまま動かない人を見ると腹が立ってくる。気品のありそうな女性でもこの点でもう幻滅、大きな減点だ。少し詰めてやれ、と言いたくなるが言えない。できることは、自分が座るために手で仕草をして「もう少し詰めてください」と伝えるのがやっとである。
(第1617話) 通勤電車 2012年6月3日
“その女性は、いつも僕の前に立つ。朝の通勤電車でのことだ。どんなに混んでいても人ごみをかき分け、僕の前でニコリと微笑む。時には僕の前にたどり着き、よかったという安堵の表情を浮かべてくれる。
その姿を見て、間違いなく僕に気があると思った。内気な彼女は、口に出せない思いを笑顔や安堵の表情で精一杯伝えようとしているのだろう。わずか三駅だけのランデブーだが、楽しい一時だった。
ある日、ついに僕は声をかけた。「いつもお会いしますね」「ありがとうございます。毎日、幸せです」「ぼ、僕もです」「あなたがこの駅で降りることに気づいてから、通勤が楽になりました」
彼女は僕が今まで座っていた席に、いそいそと腰を下ろした。”(5月20日付け中日新聞)
「300文字小説」から茨城県高萩市の団体職員・沖さん(男・49)の作品です。この「話・話」は肩の凝る話ばかり集めているので、今回は少し気晴らしです。
サラリーマンにこんな体験が思い当たる人は結構あるのではないでしょうか。実はボクにはあります。この人の前に立てば次の駅で座れる、欲が見え見えで少し気恥ずかしさもありましたが、この幸運はそんなに簡単に手放せません。そんな時期がありました。但し残念ながら、その人は妙齢の女性ではありませんでしたが。
通勤というのは面白いものです。例えば、見知らぬ人が毎日同じ扉から乗り、同じ席に座る。行動はほとんど変わらない。それでもほとんど話すことはない。不思議な風景です。その他車内ではいろいろな風景が見られます。人間性もよく現れます。「話・話」でも取り上げていることが多いでしょう。少し意識すれば沖さんのような300文字小説なら書ける出来事もよく見かけるでしょう。沢山の風景が紹介されることを期待したいものです。
(第1656話) 座席交代 2012年9月13日
“名古屋駅から岐阜行きの名鉄電車に乗り、座席の窓側に座りました。隣に年配の女性が座り、通路を挟んでご主人が座られたんです。そこで「ご一緒に座ってください」と席を交代しました。
それだけなのにご夫婦は「これも何かのご縁です」と、温かい大判焼きを二つ包んで差し出されました。戸惑いながらもお気持ちにとても感激しました。家で子どもたちに話し、おいしく頂きました。ご夫婦に幸多かれと祈ります。”(8月28日付け中日新聞)
稲沢市のパート(女・49)の方からの投稿文です。もう何度も書いたが、電車の中の風景は全く面白いというか、興味がわく。自分しか見えない人、我関せずと全く人に無頓着な人がある一方、このパートの方のように絶えず回りに気を配っている人がある。夫婦が別々に座っておられるのを、一緒に座れるように席を替わる。小さな心遣いであるが、譲られた人には本当に嬉しかったのであろう。何かの縁と大判焼きを渡される。ボクにはこの程度のことで何かの縁と思われる人に興味がわく。どんな生活を送っておられるのだろう、本当に人様々だ。
(第1675話) 全席優先席 2012年10月24日
“「名古屋も地下鉄全席優先席に」(1日)を読みました。横浜市営地下鉄を利用した私としては大賛成です。
身内の葬儀に参列するため昨年、姉と新横浜駅から乗りました。二人とも身障者でつえを突いています。乗り込むと間髪を入れず十人ほどの方々がすっと立ち上がり、ほほ笑みながら席を譲ってくれて感激。びっくりしながら座って見回すと「全席優先席」とあちこちに掲示してありました。名古屋も見習えたらいいですね。”(10月10日付け中日新聞)
名古屋市の主婦(74)の方の投稿文です。「全席優先席」に反対ではないが、この話は何かおかしい。公共乗り物で弱者がみえたら席を譲るのは当然のことである。本来全席優先だったのだ。それが次第に譲らなくなった。そこで一部の席を弱者優先とした。そしたら他の席は譲らなくてもいいと理解する人が現れた(らしい。そうだとしたらボクはびっくりだが)。余分な配慮がおかしな現象を生んだと言えるだろう。横浜地下鉄では今どのような反響だろうか、気になる。どこの場所、どのような状況だろうと弱い人に配慮するのは当たり前のことだ。全席優先席で効果があるのならそれをするのもいいだろう・・・その時その時に応じた対応をするのも必要である。
(第1831話) 携帯電話禁止車両 2013年9月19日
“「申し訳ありません。心臓が悪いので携帯電話を使うのを遠慮してもらえますか」。電車の車内で携帯電話を使う人が現れるたび、何度もそう声をかける初老の男性を見ました。(中略)
車内では、「優先席付近では携帯電話の電源をお切り下さい」と放送されることもあります。しかし、それでも携帯電話を使用する人がいることもありますし、混雑した車内では先の男性のような方が優先席付近に行けない場合もあるでしょう。
1車両を丸ごと「携帯電話禁止」にしてはどうでしょう。そのような車両があれば、心臓に不安のある方や子どもへの電磁波の影響を心配する方も、安心して電車に乗れるはずです。鉄道機関の方に検討していただけたらと思います。”(9月3日付け朝日新聞)
岐阜県の国語教室主宰・高田さん(男・40)の投稿文です。誰もがどの車両にも自由に乗れて、どの席にも自由に座れる。そして、弱者やその人に応じた気配りを示す、これがあって欲しい姿だ。それが弱者優先席ができ、女性専用車両ができた。そうであれば、携帯電話禁止車両があってもおかしくない。車両の中を見ていると、携帯電話やスマホなどを見ている人の多さにボクは不思議な世界を見ている気分である。そして、人のことなど無頓着である。いくら注意の放送があっても動じない。高田さん提案の携帯電話禁止車両がかなえられるのもそう遠くない気がする。そうなると本当に悲劇だ。2005年8月5日の「話・話(第367話)女性化粧車両」はまだ実現されていないようだが。
ここまでは全く書き写しただけです。これではいかにも手抜きですので、先日我が身に起こったことを書いておきます。
10月12日、小学2年の孫と常滑の方へ海岸のごみ拾い活動に出かけました。その行く車内の出来事です。車内は全席埋まり、立っている人もかなりあります。私と孫は並んで座っていました。ある駅で少し足のおぼつかない私より高齢と思われる男性が乗ってきました。その男性は孫の前近くに立たれました。誰も代わりそうな雰囲気はありません。孫に「どうぞ」と言って代わるように促しました。内弁慶の孫はよう言い出せません。そして立とうともしません。そこで私が「私の方が元気そうですからどうぞ」と言って私が代わりました。男性は素直に座られ、数駅先で降りられました。降りられる駅近くで孫にチョコレートを2ヶ渡してくれました。孫はそのチョコレートを食べたがりましたが、孫にはやらず私が食べました。
これだけの話しですが、いくつもの示唆があります。老人同士が席を譲り合っているのに、誰も動こうとしない人々。まだ孫教育ができていないこと。そして、推測ですが、この男性は席を譲ってもらったとき、お礼をすることを準備されているのではないかと言うことです。席を譲って折り紙とかしおりとかを渡された話を「話・話」の中で、いくつも紹介しています。そのうち私も準備しなければならないかと、気になってきています。
いかがでしたでしょうか。「話・話」にはまだ多くの電車の中の風景を紹介しています。機会があったら読んでみて下さい。また車内を観察してみて下さい。いろいろな発見があるでしょう。
(平成25年10月31日) |