zu085 書くことの勧め
「伝えたい話・残したい話」(以下「話・話」と書く)として主に新聞の投稿欄から良い話を抜き出し、コメントをつけ、ホームページに掲載してまもなく丸9年になる。その数も昨年12月に1700話を越えた。「話・話」として掲載するだけでなくいろいろなところで引用、活用もしてきた。今回は「書く」というテーマで拾い出し紹介したい。
【1】(第539話)ブログ書き込みマナー 2006年2月14日
“ブログに書き込むときには、私は次の3つに特に気をつけている。
第1、感情の起伏の激しいときではないか。第2、個人名を出していないか。第3、表記の間違いはないか。
喜怒哀楽の感情が高ぶっているときには、得てして周りが見えなくなったり、反対の立場の人への思いやりを忘れてしまう。顔を見ないまま、文章だけで正しく思いを伝え合うのは本当に難しい。” (2月7日付け読売新聞)
埼玉県入間市の主婦・高木さんの投稿文です。本当にこの3つは気をつけなければならないが、特に第1である。ボクのこの「話・話」はブログではないが、同じようなものである。この「話・話」は、事前に書きためておいて順次掲載しているが、掲載するときにはほとんどが修正している。そして、新聞記事等を読んですぐ書いたときより、多くは柔らかくなっている。こんな程度のことでも感情が高ぶっているのである。書いているうちに高ぶっていくのである。これは何も文章ばかりではない。過激な発言や行動に出ようとするときは、一晩寝てからにすることが無難である。
【2】(第702話)年賀状の楽しみ 2006年12月27日
“今年も残すところ二週間となり、年賀状を出す時期となった。最近は、新年のあいさつも携帯電話やインターネットで済ます人が増えるなど様変わりしたが、年賀状にも根強い人気がある。新年に向けていろいろ工夫を凝らし、亥(い)年の図案や文字のデザインに苦心されたことと思う。受け取った年賀状に繰り返し目を通しながら、差出人のあれこれを思い浮かべるのは正月の楽しみだ。
年賀状には、差出人の個性がよく表れている。月ごとに自詠の句が書かれた年賀状をもらったことがあるが、感心させられた。その半面、決まり文句が印刷されただけの年賀状が最近は多くなり、寂しく思っている。せめて少しだけでいいから、肉筆で近況などを書き添えて、ぬくもりのある年賀状を送りたいものだ。” (12月19日付け中日新聞)
知多市の大橋さん(男・66)の投稿文です。皆さん、今年の年賀状はもう投函されたでしょうか。ボクは先日出すことができました。大橋さんの文に促され、できるだけ一言を加えました。
わが家の年賀状はもう20年来、妻とボクの川柳を載せることにしています。今年の句をまだここで紹介するわけには行きませんが、何人かはこの年賀状を楽しみにしてもらっているようです。大分手を抜いた年賀状ですが、この点だけが特徴です。(過去の年賀状に書いた句は、ボクのホームページに一挙掲載しています)
【3】(第711話)5年用日記 2007年1月13日
“今年も残り少なくなり、毎晩書いている日記もあと少しで終了することになった。5年前の年末、新しい日記帳を買いに行った書店でしばらく迷った。一番の迷いは、3年用にするか5年用にするかだった。
当時、夫を亡くして数年を経てもまだまだ生きる気力は少なく、とても5年用はいらないと思った。それで3年用を買って帰ったが、一晩眺めて翌日、5年用に取り換えてもらった。途中で書けなくなってもいいじゃないか。もっと気楽に生きてみようと。そして5年がたった。5年間使ってみると、その利点がいっぱいあるのに気づいた。(中略)
今年はためらわずに5年用を買った。5年間にすっかりなじんだので同じ日記帳である。この先5年生きられるかなどと悩む気持ちは全くない。「あと5年間しっかり記帳を続けるぞ」との思いで今年を締めくくった。”(12月29日付け朝日新聞)
豊橋市の向坂さん(女・79)の投稿文です。70歳を過ぎて、日記帳を買うのに3年用か5年用か迷ったという話しに、何か愉快なものを感じた。そして、5年過ぎて今度は迷うことなく5年用を買ったとは、また痛快な話である。日記を書く、それを続ける、書いていない人と比べるとその違いは大きい。
さてボクは、3年用を使い始めて23年たつ。少なからぬ効用があったと思う。
【4】(第758話)竜ちゃんだより 2007年4月24日
“「へんな奴(やつ)だと思うよね。それでもいいよ。竜介の個性だと思ってね」愛知県東海市の主婦佐藤美幸さん(52)が、自閉症の二男竜介さん(16)の近況をつづる「竜ちゃんだより」。「竜ちゃん」が小学4年の時、自閉症のことや日々の生活、家族の思い知ってもらいたいと作った1号には、こう記されている。(中略)
毎号、感謝の気持ちを込めて語りかけるようにつづってきた。パソコン制作のA4判1枚に、写真や、「竜ちゃん」が得意な絵もあしらって。読者は広がり、今では小、中学時代の同級生を中心に500部を届ける。
「たより」も3月発行分で通算18号。同月、美幸さんは「竜ちゃん」が小学1年の時に6年生で通学班長だった女子大生と、バスの中で偶然会った。福祉分野への就職を目指して大学で勉強しているという。「竜ちゃんがきっかけかな」。彼女が別れ際にさらりと言ったひと言。また、心が躍った。”(4月6日付け中日新聞)
ボクの身近に生まれつきや小さいときからの障害者はいない。だから障害者を抱えた家族の気持ちは本当はよく分からない。しかし、こうした投稿文はよく目にし、その文からはいずれも障害者を抱えた苦労より、喜びを語るものが多い。もちろんそれだから投稿されるのであろうが、それにしてもよく目にする。健常者の子育てに比べ、その苦労は比較できないほど大きかろうが、苦労の多い分、喜びも大きいと言うことだろうか。これは何事にでも言えることではあるが・・・。
「竜ちゃんだより」などというものを発行する思いつきも素晴らしいが、個人のことで500部というのも素晴らしい。500人以上が友人とも言えるのだから。
【5】(第810話)メモ上手 2007年8月13日
“新聞は国内外の政治経済、文化、事件から娯楽まで新しい情報を朝一番に伝えてくれる″知識の宝庫″だ。私は時間をかけて読むのが楽しい。でも、大事なことを覚えておこうと思っても、後で正確に思い出すことは難しい。
何日か前に載ったからと探すのは厄介で、閉口した経験から、今では必要なものはメモを取るようにした。切り抜きもするが、紹介された本、商品やその値段、行事の日程などは、メモ帳に書いている。
人は聞いたり読んだりしたことのうち、半日たつと3割は忘れてしまうという。10日以上たてば、記憶から消えるものが多いだろう。発明王エジソンは、気付いたことをいつでもメモできるように、鉛筆とメモ帳を持っていたといわれる。大事なこと、知っておいた方がよいと思うことをメモに取ることは、上手に生きる生活の知恵だと思う。” (7月25日付け毎日新聞)
伊万里市の出雲さん(男・82)の投稿文です。82歳の出雲さんでなくても、メモの必要性、重要性はよく分かっている。ボクなど40代の時にもう忘れっぽさに驚き、これで定年まで持つかと危惧したが、何とか乗り越え、今もまだ勤めている。何とかなるものである。人間生きている間はいろいろ工夫してやり過ごしていかねばならない。このメモなどその最たるものである。
わが家では先日ホワイトボードを買って掲げた。自分一人では心もとないので、妻と情報を共有するためである。それでも先日とんでもないことをしでかした。予定表に従ってのこのこ出かけていったら1日早かった。遅れた日を書かなかったのはまだ幸いだった。
【6】(第816話)きょうだい文集 2007年8月25日
“私たち六人きょうだいの文集「琵琶の里」が届きました。年2回で今回が71号です。筆無精で手紙は出さないが、父と妹の命日の一月と七月に、姉のところに文章を送り、文をまとめたものが「琵琶の里」として送られてきます。
義兄八十八歳をはじめ皆、七十歳を過ぎて高齢になりました。お互いの身を案じ、無理はできないと自分自身に言い聞かせながら、頑張っている様子や、孫の成長を喜び、毎日を感謝で暮らしている様子が文面から伝わってきます。あと何年続くか分かりませんが、まとめ役の姉に感謝しています。”(8月14日付け中日新聞)
滋賀県高月町の主婦・雨森さん(76)の投稿文です。きょうだいで文集、まずこれは普通ではできない。それが年2回で71号といわれるから、もう35年である。兄弟でこんなことができるなんて全く素晴らしい。兄弟とはなかなか似ていて否である。まして6人が文を書くなどと言う共通項があるのは古来稀である。
ボクも知人10人ほどでもう20年ほど、隔月に文を書いて交換している。でも妻や兄弟ではまず無理だ。人生様々だと感心するばかりである。
【7】(第868話)「くらしの作文」デビュー 2007年12月23日
“娘の二歳の誕生日の夜、突然、夫から「実はね、おれ、くらしの作文に送ったんだ」と言われました。びっくりする私に、この文章を送ったのだと見せてくれました。そこには、子育ての難しさや喜び、周りの人への感謝、私へのねぎらいの言葉がつづられていました。
振り返ると、結婚した頃の夫は、文章を書くのも読むのも苦手、新聞とは縁のない生活を送っていました。それが、私の母に勧められ、夫の新聞生活が始まりました。育児で忙しい私に、毎日面白かったり感銘を受けた記事を切り抜いてくれます。「今日面白いよ」「これ読んで考えさせられちゃったよ」などと、二人で話をするのが日課となりました。でもまさか、夫が自分の文章をいつも読んでいる「くらしの作文」に送るなんて。
「結構、苦労したんだ。二歳の誕生日までに載るといいなっと思って毎日ドキドキしてたけど、やっぱりダメだったよ。まだまだだね。ごめんね」。照れくさそうに言う夫を見て、一生懸命書いている姿が浮かび胸が熱くなり、涙があふれました。” (12月12日付け中日新聞)
愛知県大口町の主婦・伊藤さん(28)の投稿文です。文章を書くのも読むのも苦手な人が、ちょっとしたきっかけで読むようになり、果ては書くようにもなる。くらしの作文は身近なテーマだけに取っつきやすい。それも身近な人に感謝する文章となると、これまた更に良い。これぞ人生、楽しいではないか。
今のボクはこの「話・話」始め、毎日のように文を書いている。学校時代国語が得意だったかというとそうではない。文学に無縁なボクが全くおかしなきっかけで、35歳から川柳を始めるようになり、その中で文を書く機会もできる。そして日記も書き始めた。書くことに慣れてくる。投稿なども頼まれれば気軽に引き受けるようになる。上手下手は抜きにしてよかったと思う。何事にしろ、きっかけは日々身の回りに渦巻いている。その時触れてみる気が起こるか、何気なくやり過ごすか、それによってその後が大きく変わることになる。
【8】(第877話)絵手紙毎日8年 2008年1月9日
“福井県おおい町川上の画家渡辺淳さん(76)の大きなガマ口のような郵便受けに毎日、絵手紙が届く。差出人は練馬区の高校二年森岡実莉さん(17)。実莉さんは小学三年の時から渡辺さんに絵手紙を送り続けている。
「小学二年の担任の先生が毎日、日記を書くという課題を出していました。毎日やることはいいことだし、絵が好きだったから。送る相手がいた方がいいから淳にしました」。
自宅マンションのダイニングテーブルで一枚当たり十五分程度で描く。五十九歳離れた老画家から絵の通信レッスンを受けようという意図はない。絵の道に進む気持ちもなく、都立高校のバスケットボール部主将として都内で一つでも上のランクをと練習に励む日々だ。「淳さんは私の絵を全部ほめてくれます。習慣付いているので、これからも出します」と朗らかに話した。”(12月28日付け中日新聞)
川崎記者の記事からです。かなり省略してあります。またまたすごい人がいるものだ。「小学3年という子供の時代から」「8年毎日」「それも絵を」「59歳も年上の人に」、この1つづつだけでもすごいのに驚くばかりである。絵の道に進むつもりでもなく、バスケット部の主将だと言うから更に驚く。森岡さんにこれだけのことをさせるのは何だろうか。絵が好きだけでできることだろうか。継続の重要性を知っているから、といっても大人ではない、小学生である。森岡さんがどのような大人になるか、興味深い。
神童、天才と呼ばれた子供も20歳過ぎればただの人、という言葉がある。孫を見ていても神童か天才かと思うときがある。子供の能力は大人が思う以上に凄いのである。どの人もそのまま素直に育てば凄いのであろうが、大人社会に触れることによって低下していくのであろうか、もったいないことである。
【9】(第913話)月1回の葉書 2008年3月26日
“長男が13年前、東京の大学に進学する時、私ははがきを50枚持たせることにした。毎月、父親の給料日までに必ず近況報告をするようにと約束したためだ。「今からはがきを書くから、きょうの入金を頼むよ」と、給料日に電話がかかったこともあったが、そんな時は半額を入金して、はがきの到着を待って残りのお金を入金した。
6年後、東京へ進学する二男にも同じ約束をした。長男から次男への伝言は「オカンは甘くない。はがきが来ないと本当に入金はないぞ」だったという。息子たちから送られる月1回のはがきに励まされ、家計は苦しかったが仕送り生活を楽しむことができた。
その息子たちは社会人になり、大学時代にはがきを書かされた経験が今では役に立っていると笑う。私はこのはがきを大切にしまっているが、息子たちの子供が進学するころ、親になった息子たちにそっと渡したい。”(3月5日付け中日新聞)
愛知県日進市の主婦・長尾さん(55)の投稿文です。この知恵は素晴らしい、感心した。手紙を書く習慣、近況を知らせ知る安心感、親子の交流、仕送りのし甲斐等々、考えれば考えるほどに素晴らしい。大変な思いをしながら送り、当たり前のように受け取るのと比べれば、手紙1枚で雲泥の差である。手紙が遅れた場合の凛とした親の態度も素晴らしい。ここで変なやさしさを見せれば、なし崩しだったろう。仕送りする人すべての人が見習ってもいい行為だ。手紙1枚の効果を思い知った。世間にはいろいろな知恵があるものだ。
適当に「書く」に関するものを拾い出したら1000話までも来ないうちにこんなにもページを費やしてしまった。しかし、ここまででもブログから始まり日記、手紙、文集、投稿と様々なものを紹介できた。これだけ拾い出せたことに自分でも驚いている。それだけ書くことの効用は大きいと言うことであろう。いろいろな人があり、いろいろな場があることを知ってもらえれば紹介した意味はあるだろう。またいつかこの続きを紹介する機会を持ちたいものだ。
(平成25年2月23日)
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