zu083 チベットへ行く
今年(平成24年)3月中旬、毎日のように送られてくる旅行社のダイレクトメールを見ていて「チベット」の文字が目に入る。来年は多分外国旅行などをする余裕はないだろうという予想があって、その分今年に行っておこうと年4回の外国旅行の目標を置いている。2回まではすでに決めたのであと2回はどこにしようかと思っていた時だけにふと気持ちが動く。数年前に鉄道が敷かれ、友人が早々に行ってきたことを思い出す。チベットへのツアーもいろいろ企画されているようだが、まだまだ一般的と言うことでもなさそうだ。ともかく標高が高い。誰もがヒョイヒョイというわけにも行くまい。
惹きつける何かがあってチベットへ
チベットについて知っていることと言えば、ダライ・ラマの亡命、チベット仏教、ラサ(拉薩)という街、そんな言葉を知っている程度で内容はほとんど知らない。そして先ほども書いた標高が高いこと、鉄道が敷けたことくらいである。知らないだけに何か神秘的である、興味も引く、それだけに行ってみたい。
3月30日に開かれたT旅行社の説明会に出かける。ますます興味を引く。不安もあるが、その場で申込書を書く。申し込んだ出発日は平成24年8月19日(日)で、この日以外に参加できそうな日はない。この日催行されないようであれば「チベットは縁がなかった」と言うことになりそうだと、旅行社の人に伝えておいた。
チベットの本を買い込み準備する
7月に入って催行されることを知る。行くにしてはあまりに知らなすぎる。本でも読んで少しくらいは勉強しておかなくてはと思う。チベットの本などフラリと本屋さんへ行っても見つかるものではない。そこでインターネットを思いつく。「Book・off・Online」のページを開いて、「チベット」で検索すれば何百冊と表示される。いろいろ試みて、発行の新しい物順に並べ、これはと言う物を適当に選び7冊購入した。新本の定価にすれば1万円以上であったろうが、古本の売価では2100円であった。
結局行くまでにこのうち5冊を読んだ。「天梯のくにチベットは今」「ダライ・ラマに恋して」「チベット問題を読み解く」「チベットチベット 在日コリアン3世が見た2つのチベット」等である。
高山病不安のままの出発日
昔富士山にも登ったし、3500mほどのスイスアルプスや4000mの黄龍に行った時も高山病を特に意識しなかった。しかし、本を読んで高山病がますます気になる。以前良かったからと言って今度もいいと言うことはないらしく、その時の体調に寄ることが大きいらしい。チベットを訪れる人のすべてに高山病にかかる恐れがあるとある。高山病にかかって入院したりただホテルで寝ていただけという人がある、という話も知人から聞いた。頭痛薬を持つなど本による対策をして出発である。
参加者に夫婦がいないこの不思議
8月19日(日)、中部国際空港に集まった参加者は18名である。男性15名、女性3名であった。ほとんどのツアーは女性が多く、こんなことは始めてである。更に驚いたことには夫婦が一組もいないのである。と言うことは1人参加か友人と言うことになる。これもチベットが特殊な地域と言うことを示しているのだろう。
実は私は親しい友人を誘っていた。申し込んだ後、その友人に出会った時に誘ってみた。そしたら乗ってきたのである。部屋は別に取ったが、グループ扱いにしてもらった。全く勤勉な人でいつもいろいろ助けてもらっている。お陰でかなり気持ちに余裕が持てた。
13:20、予定通り飛行機は飛び立ち、上海に到着。ここで乗り継ぎに3時間待ちであったが、予定通り飛行機は飛び立ち、西安に向かった。西安でも予定通り西寧行きの飛行機に乗り込んだ。ところが乗り込んでから飛行機が飛び立つまでに約3時間待ったのである。飛行場が混んでいるからという説明であるが、何とも納得がいかない。添乗員から「中国で1時間遅れは正常の範囲内」と言われたが、乗り込んでから3時間である。全くあきれる。お陰で西寧のホテルに入ったのは翌日の午前3時半である。中部国際空港から西寧まで実質飛行時間は6時間10分ばかり、それが乗り継ぎ時間を含めて14時間40分もかかっている。これだから外国旅行は辛いのである。
4時間ばかり寝たのか寝ないのかよく分からないまま、ホテルで朝食を取り、ホテルを出発したのは8月20日朝9:00である。
西寧で過ごす時間は高地順化
青海省の省都である西寧は標高約2300mである。ここから青蔵鉄道で標高5000mまで登り、終点のラサは3650mである。高地に少しでも体を慣らしておく必要がある。西寧で過ごす時間はその高地に慣れる時間とも言える。いきなりラサの空港に降りるよりかなり高山病にかかる恐れは減るだろう。
タール寺に釈迦の功徳見る我いかに
西寧での観光はチベット仏教寺院では最大規模のタール寺である。クンブムとも呼ぶ寺院である。山の斜面に並ぶように立っているが、麓にある入り口には、8つの宝塔が一列に並ぶ如来八塔がある。これは釈迦の八大功徳を表しているという。印象に残る塔である。塔には修復の人が登っていた。我が人生はいかに、何か一つでも功徳となるものがあるであろうか。ふと自分を振り返るのである。
(タール寺)
二千キロ青蔵鉄道は夢運ぶ
当初予定で西寧発は夜10時頃であったが、それが午後3時に変わった。遅く着いて早く出発となり、西寧での時間がかなり短くなった。西寧駅では何度もパスポートを見せ、荷物検査もあり、列車に乗り込んだのは時間ぎりぎりであった。添乗員はかなり焦ったであろう。
天空列車とも表現され、世界一標高の高い青蔵鉄道である。西寧からラサまで約2000kmを24時間で走る。最高標高地点は5072m、平均約4000mであり、客車は15両、定員は936名である。旅行社の募集要項では2等寝台車(硬臥車)となっていたが、1等寝台車(軟臥車)があてがわれたのはありがたかった。2段ベット、4名1室である。旅行社の説明時に「軟臥車は定員が64名しかなく取るのが難しい」と聞いていたからである。
この鉄道旅行は今回の旅行のメインの一つである。私も期待してきた。いよいよ夢の実現である。
羊追う人が手を振る友となる
車窓の風景を追う。全く広々とした草原、湿原、山々、湖、そして、羊やヤクの放牧である。日本ではどこを探しても見当たらない風景である。放牧を監視している老婦人らしき人が手を振る。何か嬉しくなる。早速カメラを向けるが間に合わない。
延々と続く風景である。何カ所か駅に止まるが、多くは駅付近に数件、又は数十軒の家があるのみである。食堂車へは決められた時間に行く。寝ている時には配られたチューブ式酸素吸入管を付ける。さすが24時間は長い。
ラサ駅に降りてチベットに来た気分
列車は順調に走り、8月21日(火)14:45、ラサ駅に着く。駅はラサの象徴のポタラ宮をイメージしたものという。ラサはチベット自治区の首府である。チベットの中心である。まさにチベットに来た気分である。
少し調べてみるとチベットというのは実に多くの問題を含んでいる。「チベット問題」と言われているが、この問題に比べれば尖閣諸島や竹島問題など取るに足らないものである。
興奮か高山病か鼓動高し
血圧計躊躇なく示す高山病
点滴を受けて気分は穏やかに
ラサ駅に降りて何か気分が楽である。標高5000mから降りてきたからであろうかと安心する。ところがホテルに入ってベットに転がると、心臓の鼓動が高まるのである。何かおかしい。まもなく医師が来て、血圧と血中酸素濃度を測ってくれる。血圧は何と200と95であり、酸素濃度は平常の約半分の45である。まさに高山病である。早速点滴と酸素吸入をしてもらうことになる。約1時間で終わるが、3万円の治療費を要した。でもお陰で気分は楽になった。
3時間ばかりホテルの部屋で休み、夕食と夜の観光にフロントに降りていく。18人中12人が点滴を受けたことが分かる。その後問題なく過ごせたことから、ここに一つの幸運があったと思う。先にも書いたが、青蔵鉄道の出発時間が当初より約7時間早くなったことにより、ホテルへもその分早く入れた。そこで全員が医師の診断を受けることになった。それが当初の予定だったらホテルへは午後11時過ぎに入っていたろう。そこで医師の診断を受けるとすれば、気分の悪い希望者だけになったろう。自分は快調と思っていたから当然希望しなかったと思う。西安から西寧に着く時間が遅くなり、ここで無理があったから高山病になった、と言う人もあった。この不運より私は全員が診察を受けられた幸運を取りたい。旅行は冒険である、何が幸運となり不運となるか分からない。
治療費の3万円は帰ってから保険の手続きを取り、全額補償された。
シンボルの高貴さ見せるポタラ宮
ほほ笑んで信頼厚いダライラマ
(ポタラ宮)
ラサの象徴であるポタラ宮へは何度も行き、何度も前を通った。21日には夜景を見に行った。そびえ立つ紅と白の宮殿が照明に照らされ、高貴さを感じる。22日には宮殿に入場した。7世紀に建設が始まり、本格的に進んだのはダライ・ラマ5世の1645年からであり、完成したのは死後の1695年であるという。これ以降、1959年3月のダライ・ラマ14世がインドに亡命するまでの約300年間チベットの聖俗両界の中心であった。白宮はダライラマの住居であり、政治を執り行う場、紅宮は歴代ダライラマの霊塔など宗教に関わる場である。東西360m、南北300m、高さ115mの規模である。310段の階段を上り屋上に出る。この高度でこの階段を上がるのである。ゆっくり、ゆっくり、何度も休憩しながら上がる。そして見学は最上階から順次降りてくる。
バルコルの露天商で買うマニ車
バルコルとはジョカン寺(大昭寺)の周囲をぐるりと巡る道で、日中は多くの店や露天商が開かれ、巨大な市場となっている。マニ車とは筒の中に印刷された経文を入れた物で、1回まわすと1回経文を読んだことになる。寺院の回廊にあったり、手に持って回すものもある。街中でマニ車を回して歩く多くの姿を見る。まさにチベットを思わせる風景である。置物としても多く売っていた。日本円として数百円のおもちゃのような物であるが、チベットらしいお土産としてバルコルで買った。太陽光で自然に回るというまさに現代のおもちゃである。
自分にないものを見る五体投地
五体投地とはチベット式の礼拝方法である。両方の手を合わせ、それを頭、次に口、胸と当て、最後は地面にうつぶせになって手を前方に伸ばす。これを何百回と繰り返す。この五体投地を寺院の前や、時には街中でも行っている。最初に見た時にはびっくりするだろう。我々にはとてもできないことである。まさにチベット仏教の本骨頂である。
(左)五体投地 (右)タルチョ
タルチョに見るチベット人の心意気
タルチョとは経文が印刷された祈祷旗で、家の屋上、テントの横、湖のほとり、峠などにはためいている。これは至る所にある。どうやってあんな高いところや危険なところに張ったのかと思われるようなものも見かけた。まさにチベット人の心意気を見るようであった。それだけ信仰心が強いのであろう。
願い込めカタを結ぶ胸躍る
シルク製の薄いスカーフがカタである。現地添乗員やホテルから都合3枚いただいた。高僧に祝福を受ける時にカタを持参して首に巻いてもらうという。標高4790mのカンパ峠へ行く前日、このカタに願い事や家族の名前を書いてカンパ峠でタルチョのように結んできたらいい、と現地添乗員から言われた。もらった1枚に早速書いて持参し、カンパ峠で結んできた。4800mの高地に結んできたのである。これほど天に近いところへ結べばきっと願い事は叶えられるだろう。胸が躍ったのは空気が薄かったからかも知れない。
終電車まに合い安堵の妻がいた
8月25日(土)15:00西安発の飛行機に乗り帰国の途についた。中部国際空港着は21:15の予定である。予定通り飛んでくれるか、最後の気がかりである。1時間程度の遅れなら最終電車で帰れるだろう。ところが上海乗り継ぎで定刻に飛行機に乗り込んだが、また飛び立つのが1時間30分遅れてしまった。最終電車に間に合うか間に合わないか、気が気でない。翌26日は朝から村の行事がある。間に合わない時のことも考えねばならない。
中部国際空港に着いて入国手続きを終え、プラットホームへ急ぐ。出発する電車に間一髪走り込んだ。それが最終電車であった。
チベットの熱さは強く僕を抱き
こうして7日間のチベット旅行は終わった。川柳連れ連れ草第128号(平成24年8月号)に「英人の20句抄」として載せた句に解説文を付けた形でこの随想をまとめた。句に従って書いただけなので書き足りないことばかりである。ラサなど北京と見間違うようなところもあるが、少し街を外れれば全く違う雰囲気である。自然の雄大さ、チベット人の行動、チベット問題と言われるものなど私は沢山の土産話を持ち帰った。ほんの一角を垣間見ただけであるが、印象に残る旅行であった。
(平成24年10月25日)
川柳&ウォーク
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