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壱 岐 対 馬
この随想は、川柳連れ連れ草第127号(平成24年7月号)に掲載した句に説明をつけたものです。 |
よほどの博識、知識人にして「この世のことは知った」「私は物知りである」と言っても、情報の量からしてその程度は知れている。まして凡人などはほとんどのことを知らないと言った方がいい。
壱岐対馬問われて何も言えぬ口
最近は機会を捉えて外国旅行に出かけている。では国内のことはある程度知っているのか、と言われて答えられないことがほとんどである。先日壱岐対馬について問われてほとんど何も答えられない。恥ずかしながら長崎県と言うことも知らなかった。位置から見て福岡県か佐賀県かと思っていた。
知らぬなら出かけてみよう島巡り
行ったこともないし、答えられない。それなら出かけてみよう。旅行社のダイレクトメールに目を光らせる。K社の7月13日発「壱岐対馬3日間」と言うのを見つけ、これにしようと申し込む。
外国と同じ気分で出かけてる
九州本土から見て壱岐はまだしも対馬となるともう韓国に近い。ほとんど何の知識もないことからして、もう外国へ出かける気分である。
大雨の予報に日程うとましく
7月に入って九州北部は毎日雨である。それも大被害が出るほどの大雨である。13日が近づいてもこの天気状況は変わらない。九州は梅雨明けになっている頃だろうと思って申し込んだが、梅雨末期の大雨である。よりによってこんな日を選んだことが悔やまれる。
予報通り壱岐の港は雨でした
7月13日(金)、古屋駅を7時15分発博多行き新幹線「のぞみ」に乗る。博多駅に着くと大降りの雨である。バスで東唐津港に行き、ここからフェリーで壱岐の印通寺港に向かう。港に降り立つとやはり雨であった。
壱岐の島は全島壱岐市である。人口約28000人、南北17km、東西
15kmの自然豊かな平たい島である。
断崖の左京鼻で余命問う
バスで左京鼻へ行く。延長約1kmの海蝕崖である。東尋坊と同じと言われ、自殺の名所かと思う。我が余命は後どれくらいなのだろう。この余命をどう過ごすのか、最後の使い方は重要である。
はらほげの地蔵に六道教えられ
続いて海中に祀られているはらほげ地蔵へ行く。赤い前掛けをした6体の地蔵尊が並んで立っている。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道において群衆を苦しみから救うという。私はどこら辺りをさ迷っているのだろう。
この日はこの後、一支国博物館へ寄り、郷ノ浦港近くのホテルに泊まる。
翌日起きたら雨は降っていない。九州本土ではまだ降り続いているようだが、こちらではどうなるだろう。
猿岩の自然の奇智にただ見とれ
壱岐のシンボルとも言える黒崎半島の先端にある猿岩へ行く。目に入った瞬間「おおっ」と唸る。亀岩だの獅子岩だの○○岩と名付けられた岩はもう沢山見てきたが、この猿岩は今まで見た中でも絶品である。高さ約45mの海蝕崖の玄武岩であるが、大猿が海をじっと眺めている姿は全く見事な自然の造形である。自然の奇智であろうか。
この後、黒崎砲台跡、鬼の窟古墳、月読神社などを見学して郷ノ浦港へ戻る。この港から対馬へ向かうのである。
ジェット船壱岐対馬を一息に
壱岐の郷ノ浦港から対馬の厳原(いずはら)港まで約70kmをジェットフォイルという高速船で行く。フェリーだと2時間10分であるが、この高速船では1時間5分、ちょうど半分である。高速船は水上を滑るように走る。シートベルトも付けねばならない。まさに一息である。
午前中の壱岐では降られなかったが、厳原港へ着いたら雨である。
対馬は人口約34000人、南北約80km、東西約20kmのやや右側に傾いた細長い島である。
原形を留め価値あるお船江跡
まず厳原港近くのお船江跡へ行く。1663年築造の対馬藩ご用船を係留した船だまりである。これほど原形を留めているのは稀で、近代史上貴重な遺構と言う。
万関橋左右の海の色違う
島は南北に細長く、国道が1本南北を貫いている。バスは南から北を向けて走る。そして、中央部の浅茅湾の所では両岸から入り江が食い込んでいて、どこかで切れているのではないかと思ってしまう。しかし、切れているところはなく一つの島である。ここに運河を掘り左右の海を繋ごうと思うのは誰もが思うことではなかろうか。そして、明治33年に日本海軍が開削したのである。万関橋はここに架けられた橋である。対馬海峡西水道と右側は対馬海峡東水道につながり、運行は格段い便利になった。しかし、海の色も性格も違うのは以前のままである。
海中の鳥居に惹かれる和多都美神社
和多都美神社は本殿正面に5つの鳥居が立っている。そのうちの2つは海の中である。厳島神社を思い出す。厳島神社の華やかさには比べられないが、周りを山に囲まれ、静かな湾の中の風景が実にいい。対馬を代表する風景であろう。司馬遼太郎の「街道を行く・壱岐対馬の道」の表紙絵(カバー)はこの神社であった。
霧の中言われて上がる展望台
和多都美神社の脇を通り、大型バスが通るのは無理と思うくらいの細い道を烏帽子岳展望所めざして上がっていく。結構降っている雨の中である。上がるにつれて靄の中である。展望台に上がっても何も見えないだろうと思いながらも雨の中長い階段を上がる。案の定、近くの山が靄の中に見えるだけである。ここへ足を運ばすのは何だろう。ヒョッとしたらという希望的観測ともう二度と来ることはなかろうと言う思いであろうか。
雨の中一本道を走り抜け
対馬は本当に1本道である。今日は雨の中、南から北へ走り抜けた。宿は上対馬町西泊というほとんど最北の町である。明日はこの1本道を厳原まで戻るのである。
国境の島と言うには静かです
対馬は国境の島である。島の北端から韓国まで約50km、九州本土までは約130kmである。韓国の方がグッと近いのである。国境というと北方四島、尖閣諸島、竹島と何かと騒々しい。対馬を韓国領だという人もいる。しかし、そんなこととは別に全く静かである。泊まった宿は部屋から美しい海が見える。鳶?もゆったり飛んでいる。
そして3日目、宿でゆっくり過ごした後、来た道を厳原まで帰る。天気はやっと晴れた。
大杉に宗家の墓所が見守られ
対馬最後の見学は厳原の県立対馬歴史民俗資料館で勉強した後、歩いて近くの万松院である。万松院は対馬藩主宗家の菩提寺である。日本三大墓所の一つと言われ、樹齢1000年の3本の大杉が墓所を見守っている。この杉と百雁木と呼ばれる石段が幽玄なたたずまいを醸し出している。
これで対馬の観光も終わり、高速船で厳原港から壱岐を経て博多港へ向かう。
丸い壱岐長い対馬の相違知る
知ることの多かった旅に満足し
壱岐対馬についてほとんど何も知らなかったが、表面的ながら少し知ることができた。壱岐対馬と一言で言うが、両島は約70kmも離れており、島の形も大きく違う。生活状況、意識、文化も大きく違う。何も知らなかっただけに知ることは多く、少し天気には恵まれなかったが、十分満足する旅であった。
旅とは未知の扉を開けるもの
開けても開けても未知の扉は続く
帰って壱岐対馬についてもっと知ろうと、司馬遼太郎の「街道を行く・壱岐対馬の道」、仲尾宏の「朝鮮通信使」始め6冊ほど本を買った。まだ読み始めたばかりであるが、現地を見てきただけに楽しさと理解は深まる。旅とは未知の扉を開くもの、しかし、開いても開いても未知の扉は続く。人間一生に開けられる扉など知れたものだが、それでも少しでも開いて行こう。それが楽しめる自分でありたい。
(平成24年8月31日)
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