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          名古屋番割観音講

 名古屋番割観音講なるものを体験したので、それを紹介しようと思います。まずは名古屋番割観音とは何かを、いただいた資料で説明します。

         
 名古屋の熱田新田は江戸時代の初期、尾張藩主・徳川義直の命により、熱田の堀川から庄内川に至る海岸線(約4km)を、南北は百曲街道(ほぼ現在の国道1号線)と東海通に挟まれた範囲(約1km)を干拓したもの。正保4年(1647)に着工し、慶安4年(1651)に検地が行われ、3841石の石高があった。
 新田開発のような大規模な土木事業は、多くの犠牲を伴うことがあるので、作業の無事を祈り当時盛んに信仰されていた西国三十三所観音にちなんで新田を33か所に区割し、それを「番割」と呼び観音堂を祀った。中川、熱田、港区の一番町〜十―番町は現在もその名残りの地名として残っている。
 この三十三の観音はその後の災害等による消滅の危機を乗り越え複数を同じ観音堂に集めたりして現在も受け継がれている。
                  (はっけん・たんけん・中川区まちの魅力発信隊
                           平成19年3月発行の資料より)

        

 次に講(=神仏を祀り又は参詣する同行者で組織する団体)なるものにあまり興味のない私が、なぜ参加することになったのかそのいきさつを紹介します。
 平成23年11月下旬、 一宮友歩会の河川探訪シリーズでいつも説明などでお世話になっているY氏から「堀川編part1」で、一番割観音堂によって欲しい話しを受けました。一番割観音堂は名鉄神宮前駅より約1.5km、白鳥庭園の近く、その南西の場所にあります。
 平成23年12月17日の下見で一番割観音堂を訪ねました。境内に大きな地蔵尊が目立つ観音堂でした。そこで清掃をしている婦人を見かけましたので、自己紹介をし、平成24年2月4日の例会にこの観音堂を訪ねたい旨を伝えました。「それなら当日お堂を開けておきます」という嬉しい話をいただきました。ありがたい人に出会った幸運を感じました。
 また一方、孫とのあおなみ線ウォークは、平成22年5月を最後に2回分を残して中断していました。ところがY氏から一番割観音堂の話を聞いて、残っている中島コースが番割観音堂を巡るコースだったことを思い出しました。下見の翌日の12月18日(日)、保育園年長組の孫を誘い、中島コースに出かけました。二十番割観音堂から三十二番割観音堂を巡ります。二十六・二十七・二十八番割観音堂(3体が1箇所に祀られている)に来た時のことです。この観音堂に2人の婦人がおられました。話しかけると「隣だから鍵を取ってきましょう」と言って鍵を持ってきてお堂にあげてもらい、見学しました。そして、毎日輪番制で供物をあげたり清掃をしていること、毎月第3日曜日に観音講があることなどの話を聞きました。ちょうどこの日が観音講の日でしたが、観音講は一番東の一番割観音堂から回ってくるので、この観音堂には午後1時くらいの参拝になるということでした。少し早かったのが残念でしたが、観音講に興味が深まりました。
 帰って早速に番割観音や観音講をインターネットで調べてみました。ますます興味が深まりました。観音講について熱田区役所のホームページに少し記載がありましたが、問い合わせ先までは載っていません。翌19日の月曜日、熱田区役所に電話をして問い合わせ先を尋ねました。調べて後ほど電話をするという回答に、30分ほどすると電話がかかってきました。了解を取ったからと言うことで、電話番号を教えてもらいました。早速に電話をしました。婦人の方が出られ、観音講に参加したい旨を伝えました。そして、集合場所、持ち物や注意事項などを聞きました。ところが最後になって「一昨日見えた一宮友歩会の会長さんでしょうか」と言われます。なんとその婦人は土曜日に一番割観音でお会いした婦人(以下F婦人と書く)でした。何という縁であろうか、縁とはかくも不思議なものであるのかと、感心すると共に嬉しくなりました。こんな縁は大切に、できれば早い時期に、できれば孫を連れて参加したいと思いました。


 平成24年2月2日の例会は好天に恵まれ70名近い人の参加がありました。予定通り一番割観音堂を訪ねました。F婦人も待っておられ、約束通り観音堂の扉は開けてありました。種々お礼を言うと共にそんなに遠くない時期に観音講に参加する旨を再び伝えました。

 そして、平成24年5月20日(日)、小学1年になった孫と参加することにしました。F婦人には前日に確認の電話を入れました。当日は7時前に家を出て名鉄神宮前駅で降り、歩いて一番割観音堂へ向かいました。8時少し前に着きましたが、すでに20人近い人が集まっており、読経の始まる寸前でした。参加費の300円を払い、また100円で「熱田新田西国三十三観世音御詠歌集」を求めました。ご詠歌は西国三十三観世音(青岸渡寺〜華厳寺)のものを用いています。まずは般若心経を、そして、第一番青岸渡寺の御詠歌を唱えました。これで出発かと思えば、境内に交通安全身代わり地蔵が立っており、その前でもこの地蔵尊にちなむ御詠歌を唱えました。そして「名古屋番割観音講」と書いた袈裟をかけて出発です。
 最初33箇所にあった観世音菩薩像は、その後の災害等により複数を同じ観音堂に集めたりして現在では17箇所になっています。東から西(熱田神宮から新川)に向けて順に回っていきました。なぜか番割り順になっていないところもありました。また、水に関わる白龍神の祠や新田開発に尽力した鬼頭景義の墓碑のある空雲寺でも御詠歌を唱えました。こうして終わったのは午後3時少し前、約11kmのウォークにちょうど7時間かかりました。近くのバス停から神宮前駅へ向かいました。こうして第1回目の番割観音講を終えました。


 終えて少し感想を書いてみたいと思います。
1)先にも書きましたが、観音堂は今では17箇所になっていますが、33体の観世音菩薩は皆健在で、約400年、よく守られてきたものだと感慨の感を持ちました。
 新田ができた時から、徐々に田は減っていったであろうが、戦前までは急激な変化はなかったと思います。ところが昭和30年頃から多くの家が建ち始め、今では田畑の用地はほとんどなく、住宅、工場が建っています。特に近年になって生活様式も地域に対する思い、慣習も大きく違ってきています。観音堂を守っていくには地域の人の世話がいります。今後どうなっていくのでしょうか。
2)そして観音講はいつから行われてきたのでしょう。できた時から信心の厚いた時代ですのでもっと盛んであったろうと推察されます。今は25人前後の人が参加さているとのことですが、この観音講にきちんとした組織はないことを聞きました。奇特な数人の方で維持されているようです。昔は御詠歌を習う人も多かったが、今ではほとんど見当たらないとも聞きました。先導する人が必要です。この面でもどうなっていくのでしょうか。
3)各観音堂では、観音講を迎えるのにいろいろな準備がされていました。掃除をし、花や御供養物を飾り、座布団を敷き、湯茶のサービスもしてありました。帰る時には多くで御供養物をいただいてきました。パン、菓子、缶コーヒーなどの飲み物、終わりの頃にはリュックサックがいっぱいになるほどでした。あるところで「大変ですね」と声をかけると「大変です」と言われました。あるところでは当番表が貼ってありましたが、迎える方もどんな体制になっているのか、金銭面はどうなっているのか、気になりました。今は組織があるとしても、今後急激にその維持が大変になってくる気がします。
 私の村に薬師堂があります。その維持に地域の人を3グループ(1グループ20人ほど)に分け、毎年交代で世話をしています。ある特殊事情で金銭面は何とかなっていますが、やり方はここ数年でかなり様変わりをしています。手間暇のかからない方法になっているのです。例えば、以前は手作りだった門松が数年前から購入になりました。すると全員の参加は必要でなくなり、その年の役員だけで足りることになります。こうして簡略化が進みだすと切りがありません。行き着く先に憂いを覚えます。
4)観音講は、般若心経を唱えるので、弘法大師を慕う宗教でしょう。それを参加されている皆さんにどれほどの意識があるのかは知りません。多くの日本人の宗教心は神でも仏でも、万物霊鳥も何でも受け入れます。これはもう信仰心であると同時に日本の文化と言えると思っています。今参加されている方でも、信仰心の方も親睦や健康のための方も、それぞれの想いの中で参加さていることでしょう。日本の文化としても観音講が存続していくことを願ってやみません。

 最後に川柳連れ連れ草に「観音講」と題して掲載した句を載せておきます。
     縁と縁その先にある観音講
       何事も興味を持って縁となり
         御仏の導きだろう出かけよう
               様々な想いを抱き集う人
             経験を孫にもさせる爺心
           一団が賑やかになる孫の参加
          孫がいて話のネタが尽きません
                    三十三の仏が守る干拓地
                    読経して守り続けて幾百年
            鈴ならし調子を合わせ絆生む
             般若心経聞いて雀が寄ってくる
              ご詠歌の意味を問いつつ声合わせ
              動かぬ目に見つめられ正座する
             手を合わせ読経すれば善男善女
            数珠を持つ手が震えてる涙かな
       歩きつつ唱えて入る別世界
     先導者に導かれ身が軽くなる
      巡り終え心は軽く身は重く
        快い疲れで明日は晴れるだろう
          体験を積んで明日に夢描く

                             (平成24年6月30日)

 


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