zu080          花 を 買 う

 結婚して40年以上経ち仕事は第一線を退き、子供らは独立し、悠々自適とはいかないまでもそれに近いものになっている。そう言えるのはそれなりに順調に老後を迎えられたからであり、ありがたいことである。そして夫婦2人だけの平穏な生活になっている。

      若人に夫婦の惰性気づかされ
        気がつくと怠惰になっていた夫婦
         連れ添うて幾歳月のよどみあり
          慣れ慣れの夫婦に欲しいサプライズ
 平穏とはいい言葉であるが、見方を換えれば怠惰である。長年生活を共にすればいろいろが習慣的になり、おかしな点もあろうが特に正すこともない。こんなことでこれからまだ20年、30年過ごすのか。20年、30年と言えば人生旺盛期の期間に相当する。夫婦生活から見ればまだ3分の1の期間が残っている。そんなことでいいのだろうか。そんなことをふと思ったとき「バレンタインデーに男性から女性に花を贈ろう」と言う新聞広告のキャンペーンが目にとまった。バレンタインデーとは女性から男性にチョコレート等を贈るものと思っていた。男性から女性へはホワイトデーに飴ではなかったか?。バレンタインデーやホワイトデーの習慣は菓子屋さんの商魂と思っていたが、花屋さんまで乗り出してきたことに驚いた。


               男から花を贈れとバレンタインデー
                   厳冬にいたずら心芽を吹いて
                     広告に踊りその気になるも良し
                   高齢とてバレンタインデーにあやかろう
               酔狂も時に良かろう花買おう
 驚きついでに、この商魂に乗せられてみようか。私は妻と知り合ってからこの方、誕生日にも結婚記念日にも何も贈った記憶はない。もちろん花などあろうはずがない。惰性の夫婦生活に疑問を抱いた時にキャンペーンを見たのも何かの思し召しかもしれない。バレンタインデーは近い。時をおけばその気も薄れ、また機会を失うであろう。この機会を利用しよう。私には大いなる酔狂、サプライズである。
 さて、どうやって花を手に入れようか。最近はインターネットで買い、希望する時間に届けてもらうこともできるようだ。でもインターネットの写真だけでは不安だし、それではいかにも味気ない。やはり花屋さんで相談して買わねばなるまい。


                  
どう話し花を買おうか花屋さん
                  照れくささ捨ててしまえば楽なこと
                  似合わない目と手で花を選んでる
 通勤途上に時折挨拶する花屋さんがある。思い切って入ってみる。バレンタインデーの1週間前のことである。若い女性の店長さんが出てくる。どう切り出そうか・・・「妻に贈る花を下さい」などとはとても照れて言えない。そこで「バレンタインデーの花屋さんのキャンペーンを見た」と切り出した。もうこれで了解である。了解されれば後はスムーズに言葉もでる。店に並べられてある花についていろいろ聞く。

         ブリザーブドフラワーに永遠の愛を込め
         特別な花ですケースを買い求め

 そして気に入ったのが天使の像が付いた小さな入れ物に花を飾ったものである。ブリザーブドフラワーというものであった。生花を薬品処理をしたもので、生花の潤いを数年間保っているという。手頃な値段になってまだ日が浅いようで、良いものを見つけた思いである。湿気や風に弱いということでケースも買い求めた。バレンタインデーの日までに作ってもらうように注文してその日は帰る。


        花贈る我が人生の奇跡です
          この先の幸を信じて花贈る
            一言のありがとうで済まされる
              喜びはどの程度かと計りかね
 さてバレンタインデーの日、トレーニングに出かけた帰りにもらってくる。帰ったら娘が来ていて、帰るのを待って「バレンタインデーの贈り物です」と言って手紙と一緒に妻に渡した。手紙は数日前に書いておいた。すでに開き直っているせいか、戸惑いもなく渡せた。私にしたらプロポーズと同じ位に近い行為である。奇跡、珍事だ。なのに受け取った妻の態度は、涙を流すことまでは思っていなかったが、あまりにあっさりで少し拍子抜けである。この行為の効果はあるだろうか。


                   花のある部屋に優しさ増えていく
                   花の香に夫婦の絆包まれる
                   この花の効用を知るときは来る
 花は居間のよく見える場所においた。どうしていても目が行く場所である。そのせいか数日して変化を感じてくる。元々優しい妻ではあるが、言葉や態度に更に優しさを感じるようになった。私の気持ちや考えを理解してくれたのであろう。妻も言葉で言うことに慣れていなかったのだ。私自身も一肌抜け、素直になった気がする。
 人の命は1分1秒先が分からない。60歳半ばも過ぎればいつ脳溢血や心筋梗塞で倒れても不思議ではない。しかし、元気さを保ちながら20年生きるかもしれない。命は30年あるかもしれない。人間1分1秒先が分からないのは若いときも老いても同じだが、若いときは100パーセントに近い確率で元気な人は元気である。しかし高齢者になるほどこの確率がどんどん減少していく。そこに問題がある。いつ死んでもいいように、30年生きてもいいように、両面を考えて生きていくのは難しい。でもしなければならない。今私が思うには、まずいつ死んでもいい準備を早々にすることだろう。そうしておいてそのことを意識から遠ざけ、日々前向きに爽快に生きる努力することではなかろうか。私は遺言書も書いた。先日娘らに延命治療や臓器移植について希望を伝えた。まだしなければならぬことがあるかもしれないが、一応は済ませた。そして、今回妻に花を贈ったことによって夫婦生活に新たな雰囲気も生まれた。少し遅かったかもしれないが第二の青春の始まり、この先30年の人生の第一歩を踏み出したと考えたい。


          
 手をつなぐ三寒四温考慮して
          夫婦なら理由はいらぬ腕を組む
           初めてのことして気分春の中
            少しばかり遅いが今が始まりさ
             今更というなかれ今旅立ちぬ
 「今更・こんな歳で」という言葉を禁句にした。先日は腕を組んで歩いた。いつ以来か思い出せない。
 それにしても、つい先日までいささかも考えもしなかったことをしたものだ。その思いつきと行為に乾杯しようか、それともこんな文まで書き、私は正気を疑われるだろうか。


             【句は今年の川柳連れ連れ草2月号(第122号) 
             3月号(第123号)に掲載したものです】


                                   (平成24年4月27日)