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遺 言  義 務 
         
 平成23年1月5日の「話・話」第1549話で「遺言は義務」と言う話題を掲載した。以下にそれを示します。
       
 “時代の流れでしょうか。近年、生存中に自分の葬儀の積み立てなどをしておくのが珍しくない世の中です。納得するようなしないような、不思議な思いがします。
 自分が亡くなった場合に備えて遺言を残しておくのが、愛する家族のために果たすべき義務だそうです。遺言は、財産の多い少ないにかかわらず、相続人のトラブル回避のために有効といいます。相続財産が少ないほど、争いが多いそうです。
 遺言は時間と精神的エネルギーを必要とするので、遺書とは違って元気なうちに書き残しておくもの。後々の相続手続きを簡易、迅速にして、残された家族の負担を軽くします。
 遺言は、筆者の気持ちが伝わるとなおいいと学びました。筆者は自分の思い、家族への愛を伝えましょう。気持ちの変化で遺言の撤回や変更はいつでも可能で、新しい日付の遺言が優先されるとのことです。勉強会に参加し、頭が少し柔らかくなりました。”(12月20日付け中日新聞)

 名古屋市の主婦・宇野さん(75)の投稿文です。「遺言は義務」と言われて頷いてしまう。相続財産が少ないほど争いが多い、という言葉にも頷いてしまう。相続財産をどのように分配するのか、何の示唆もなかったら残された家族は全く戸惑うだろう。遺産が今まで穏やかに過ごしてきた家族の争いの元になってしまったら何のための遺産かということになってしまう。遺言は義務なのだ、そして人間はいつ死ぬかも分からない。
 こんな話しに数年前、私も案を書き始めた。そして中断してしまった。私にもう猶予はない。早速まとめねばならぬ。気になったら何度書き直してもいい。

       

 相続財産はない方が良いという声もあるが、普通に生活していれば何らかの財産が出来る。それが負債であっても、財産をゼロにして死ぬことは難しい。残された方してみればあるに越したことはない。ところが、相続人が1人であれば、また1人をのけて他の全員が相続を放棄すれば問題は生じない。数人いて分割となれば、分割方法に悩むことになるし、何らかの軋轢を生む。相続財産に生前には全く執着を見せない人でも、いざもらえる財産が目の前に置かれたら心が揺れ動くだろう。それが普通の人間の感情である。時には骨肉の争いになることも多々聞く。こうなれば論外だが、そこまで行かなくても、時間がたてば消えるほどのしこりはほとんどの場合で生じるのではなかろうか。それまで仲良くいっていた兄弟姉妹、またその他の人達の間が気まずくなるようだったら、何のために残した財産なのか、まして、親の愛情として苦労して残した財産が不和の元になったら悔やんでも悔やみきれない。親には産み、育ててもらったことに十分に感謝し、相続財産などというものは、法律的には権利であるかもしれないが、主張すべきものではない。
 上記の「話・話」の中でも書いたが、私は以前にもこのような話を読み、遺言書を書き始めた。私にはいささかばかりの金融資産と屋敷、田畑の土地がある。今回、またこのような文を読み、中断してあったものを一応まとめ、日にちと名前を自筆で書いて完成させた。遺言書を法律的に有効なものにするのはかなり難儀なようである。法律的には有効でなくても、この遺言書に従って欲しい旨も書いた。それに従えないような相続者なら何をしておいても無駄だろう。そんな相続者だったら分割割合に不満で恨まれることだってあるだろう。私の相続人になる人は、今の状況で行けば妻と娘2人の3人であり、複雑な家族関係ではないので、争いになるとはいささかも考えられない。しかし、「話・話」の中にも書いたが遺言書がないとどう分配したらいいのか戸惑うだろう。分配の道筋を立てておいてやれば苦労も少なかろう、と言うことが私が遺言書を書かねばならぬと思った第一の理由である。遺言書にはいろいろな場合を想定して書いたが、これから先、状況や考えが変わってきたら何度も書き直せばいい。ともかく一応の義務は果たした。


 更に「遺言は義務」の話から延命治療についても伝えねばならぬことに気がついた。延命治療について妻との理解はついている。子供にも伝えねばならない。基本的に延命治療は止めにして欲しい旨、早速文書にした。
 2月1日のNHK総合テレビ「クローズアップ現代」で、臓器提供のことを話題にしていたので見た。脳死になったとき、本人の意思が明確でないと、残された家族に判断が任される。その時の家族の苦悩を扱っていた。臓器提供についても妻との中では了解がついている。共に健康保険証の裏に「私は、脳死後及び心臓が停止した死後のいずれでも、移植のために臓器を提供します。」と記載している。このことも娘らに伝えねばならない。このことも文書に付け加えた。


 そして先日娘2人を呼んで、妻も交え伝えた。どんな気持ちで聞いたのであろう。このように私は終末に向けて準備をしている。準備はしているが、これらが役にたつのは少なくとも20年以上先のことと思っている。親を看取った1昨年の夏以後、妻とまさに人生を謳歌している。こんな良い時代をそんなに短期で終わらせてたまるか、そんな想いである。とは言え私の父は、私のこの年齢の時にはすでにガンに冒され、2年ほど後に亡くなった。ガンが発見されるまで全く元気な父であった。私も今のところ人に負けない元気さを持っているつもりでいる。

                                 (平成24年2月20日)
 
                       川柳&ウォーク