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独 瑞 仏 を 訪 ね て
・・・どくずい仏ってどこにある??・・・
外国旅行は行き始めたら病みつきになる、と聞いたことがあるが、まさにそれに近づいてきた。昨年6月に母が亡くなり、大きな束縛が解けたことに加えて、今年の4月から会社勤務が週5日から3日になった。気持ちにかなり余裕ができてきた。自分の意識として、外国旅行には出遅れの意識を持っている。今のところ自分の健康や体力に不安は覚えていないが、元気であっても1週間以上続くような外国旅行は70歳前後までがひとつの目途と思っている。それだけに焦りの気持ちと行きたい気持ちが重なる。余裕ができたと言っても勤務の他に一宮友歩会の運営と地元役員が続く。これらの間を縫って計画をしなくてはならない。
自由時間増えて旅行考える
外国へ行きたい気持ち湧いてくる
行きたい時に行くのがいい旅行
5月は都合がつけやすい月であった。これを逃すと9月まで1週間もの旅行は無理である。そんなことで5月は是非行こうと思ってきた。妻の体力健康状態について、昨年11月のイタリア旅行では特に問題はなかったが、少し不安があり、本人は1週間以上の外国旅行には二の足を踏んでいる。そこであまり無理なく、誰も気軽に出かけているハワイを申し込んだ。ところが4月に入って、人が集まらず不催行の通知が届いた。これだけでは諦める気にならない。5月に行くには早急に探さねばならない。すぐに催行決定のツアーをインターネットで探してみる。そして見つけたのが、J社の5月22日発「ロマンチック街道8日間」というツアーである。妻に話すと、一人で行ってらっしゃいという。4月13日に名古屋の事務所に出かける。参加状況を聞くと、今のところ、沖縄から16名で名古屋からは私一人という。少し驚き、迷いもするが、これも面白かろうと申し込むことにする。2つのオプショナルも含め約30万円を払い込む。正式ツアー名は「ドイツロマンチック街道とスイスアルプス・リヒテンシュタイン・華の都パリ8日間」という長いものである。タイトルの独瑞仏は訪れた国の漢字名の独逸、瑞西、仏蘭西の頭文字である。
このままでは引き下がれない五月風
許されて一人出かける意欲持つ
ハワイから欧州にする無節操
いとも簡単に決めてしまった外国旅行をこれから紹介していくが、記した時刻は現地時刻である。日本との時差は上海で1時間、ドイツ・スイス・フランスは7時間である。日本時刻からそれだけ差し引けば現地時刻である。
5月に入って1つのオプショナル不催行の通知が入る。行きの飛行機は中部国際空港から上海で乗り継ぎ、ドイツのフランクフルトまでである。上海では乗り継ぎのための待ち時間が6時間以上ある。この待ち時間を利用して上海市内を観光をするというオプショナルである。これは儲けものだという気がしていた。当然沖縄の人と一緒になっての行動と思っていたが、名古屋は一人なので催行できないという。何かはぐらかされた思いと不信感が漂う。6時間も一人で過ごさねばならなくなった。
前日に添乗員の人から電話が入る。スーツケースの扱いの話になり、沖縄の人はフランクフルト受け取りであるという。1週間前に届いた私への案内では上海で一度受け取ることになっている。一人でその荷物をどうしようと思っていただけにこの差別に驚いた。その後少しやり取りがあって、結果的にはフランクフルトまでスルーでスーツケースは届くことになった。実はまだ他にも不信をいだくことがあり、更に不信感は強まった。インターネットで現地の天気予報を調べてみると、後半は雨の毎日である。上海まで一人で行く不安と前日までの旅行社への不満、更にこの天気予報に気が滅入りそうである。少し無計画に進めた旅行に内心悔いの気持ちが湧く。
しかし、楽しくいい思い出にして帰らねば大金をドブに捨てるようなものである。気を取り直して5月22日12時過ぎ、妻に最寄り駅まで車で送ってもらっていよいよ出発である。中部国際空港の手荷物検査で思わぬミスもあったが、16:00発の上海行き飛行機に無事乗る。結局名古屋からは一人であった。飛行時間は2時間40分、予定通り17:40に上海・浦東国際空港に着く。入国口で空港案内係員の人に会い、出国口まで案内してもらう。手続きを終え、搭乗ゲート前で一人で待つことになる。23時頃、添乗員の女性と出会う。やっと一人から解放される。ところが香港から来る乗り継ぎの飛行機が霧で遅れているという。結局遅れること3時間半、上海を飛び立ったのは23日の午前4時近くであった。何と上海空港で10時間以上待っていたのである。持ってきた推理小説が1冊読めてしまった。ますます先が思いやられる。
楽しみが消え不信感寄せてくる
旅行とはいい思い出を買う期待
長時間一人待つ知恵ケースに詰め
暗雲を乗せ飛行機は雲の中
フランクフルト国際空港に着いたのは23日午前9時半である。上海との時差が6時間あり、飛行所要時間は12時間強である。入国手続き後、大型バスに乗り込みローデンブルグに向かう。いよいよ欧州旅行の始まりである。参加者は沖縄から19名、私を入れて20名である。早々バスの中でマイクを持たせてもらって一人挨拶をする。早く仲間に入れてもらおうと積極的な行動である。
ローデンブルグはフランクフルトから南東方向約150kmにあり、ドイツ全土でも1、2を争う人気地で、特に女性に人気がある街である。パステルカラーの建物が並び城壁に囲まれた街で、マルクト広場、市庁舎、聖ヤコブ教会といったところが見所である。街中を1時間位散策する。城壁にも上がる。そして、ここからロマンチック街道を終点のフッセンまで約290kmをバスは走る。広々とした田園風景と放牧、朱色の屋根が目立つ集落を心地よく眺める。フッセンのホテルに着きすぐに夕食、部屋で荷物をといだのは24時近くであった。飛行機が遅れたこともあってきつい行程だった。
城壁に囲まれ歴史残す街
撮影のポイント探す旅の人
ロマンチックという名にいだく期待感
眠る人乗せて草原走るバス
5月24日、ホテルで朝食を済ませ、出発は7:20である。まずヨーロッパで最も美しいといわれる世界遺産のヴィース教会を訪ねる。シンプルな外観から想像できない華やかで壮麗なロココ芸術の内部、今回の旅行の思わぬ見所であった。そしてドイツ観光のハイライトであり、ディズニーランドの「シンデレラ城」のモデルになったというノイシュバンシュタイン城(新白鳥城)である。シャトルバスに乗り換え、まず絶好の撮影ポイントといわれるマリエン橋へ行く。そして、予約した9:30を待って入場する。まさに贅を尽くした城である。その見学後、湖畔のホテルでロールキャベツの昼食である。なかなかナイフで切れないキャベツにびっくりである。午後はアルペン街道を通り、オーストリアに少しだけ入り、そして小豆島ほどの面積のリヒテンシュタイン公国である。首都のファドゥーツを1時間ほど散策する。そして、スイスである。インターラーケンのホテルに一度入り、夕食に外へ出て、戻ったのは21時半である。やっとゆっくり過ごせる夜が来た。
第4日目5月25日はいよいよスイスアルプス観光の日である。24日までは好天であったが、事前に調べた天気予報ではこの日から雨になっていた。一番好天になって欲しい日である。夜中に雨が降った。朝起きてみると、ホテルから今日めざすユングフラウの山頂が青空の中に真っ白な姿を見せている。期待できる、ホッとする。7:45にホテルを出発し、ユングフラウ鉄道の乗車駅であるグリンデルワルト駅をめざす。30分ばかりで着き、8:45発の登山鉄道に乗る。途中一度乗り換え、1時間40分ばかりで標高3454mにあるユングフラウヨッホ展望台駅に着く。高速エレベーターでスフィンクス展望塔に上がる。野外にも出てみる。360度のパノラマである。雲も霧も遮るものが見あたらない好天である。素晴らしい日にきたものだ。雪原にも出る。氷の宮殿も回る。それほど寒くもない。1時間ほど過ごし下りの鉄道に乗る。乗り継ぎ駅で昼食である。早々に昼食を終えて外に出た参加者に添乗員も驚いていた。どの人も少しでも長くこの景色を見ていたいのだ。
青空へゆっくり登る登山鉄道
これ以上ない好天で見るアルプス
絶景をカメラに目にも焼き付ける
グリンデルワルトからローザンヌまで2時間半ばかりのバス移動である。そして、ローザンヌ駅18:03発のフランスの新幹線TGVに乗りリヨン駅に向かう。リヨン駅着は21:59。バスでパリのホテルへ向かうが、かなり都心から離れているらしく、運転手も迷うような所で、結局ホテルに着いたのは日も替わって26日の0:15であった。
26日はパリ市内観光である。パリ市内はいつも渋滞である。予定よりかなり遅れて着いたらしく、午前はルーブル美術館を見ただけで終わる。昼食後、車窓からの市内観光をし、その後は自由行動となっていたが、全員がオプショナルを申し込んでいた。ベルサイユ宮殿の見学とセーヌ川クルーズである。セーヌ川クルーズは思いのほか良かった。
モナリザやヴィーナスが作る人の山
人垣の中で小さな超名画
両岸に芸術並ぶセーヌ川
第6日目5月27日は観光の最終日である。片道400km、4時間かけて「海のピラミッド」といわれるモンサンミッシェルへ行く。モンサンミッシェルは遠浅の海に浮かぶ小島の名であり、その島と修道院の見学である。現在最も観光客の多いユネスコ世界文化遺産の1つといわれるだけに、狭い島内は大変な人混みである。といっても、この日は駐車場の混み具合から見てかなり少ない日のようであった。そしてびっくりしたのは、この日から修道士が待遇改善を要求してストライキに入り、修道院が見学できなくなったことである。この入場料金がクッキーのおみやげに変わった。2時間ばかりの見学に1日がかりの移動であったが、その価値はある気がした。異国は車窓風景も観光である。この日もホテルに帰り着いたのは23時を過ぎていた。
観光客に埋もれる海のピラミッド
小島には我忘れさす修道院
修道士も労働者なりストライキ
5月28日はもう帰国の日である。始めてホテルでゆっくり過ごし、皆さんとも談笑した。話の多くは観光地の話ではなく、ホテルの設備などに戸惑った話である。10時近くにホテルを出てシャルル・ド・ゴール国際空港に向かう。13:40発の飛行機に乗り、上海空港へは5月29日の7時に着く。沖縄の皆さんにお礼の挨拶をしてここで別れ、また一人で帰る。帰国はほぼ予定通りに移動でき、自宅に着いたのは午後2時過ぎであった。
外国旅行というのは、特に問題もなく過ぎたと言っても戸惑うことが多いのである。景色も食事も物の扱いも習慣も多かれ少なかれ違うのである。すべてが話のネタになるのである。まだまだ書き足りないことばかりであるが、特に思うことを最後に箇条書きにして終えたい。
1)出かける前にこれほど気分が重かったことはかつて覚えがない。どうなるかと案じられたが、結果オーライであった。その第1は全日好天であったことである。25日の夜中と27日のバス移動中に少し降ったがそれだけで何の支障もなかった。寒さを心配したが、これも天気が良かっただけに寒さを感じることも少なかった。後半悪い予報だっただけに全く恵まれた。人の努力が及ばぬところだが、旅の良し悪しは天候が7割方左右する。
2)結果オーライの第2に添乗員の気遣いを挙げたい。女性の年齢はよく分からないが30代であろうか、活発な人だった。大きな声を出して動き回っていた。仕事とは言え、慣れているだろうとは言えきつい日程にかなり疲れもあろう。よく頑張っていたと思う。名古屋から一人参加の私へは特に気遣いをしてくれた気がする。写真をいつもどうですかと言って撮ってくれたり、特に帰りの飛行機で席を替わってくれたのは助かった。出発前の旅行社に対する不満は帳消しにしてあまりあるものになった。
3)沖縄の人との交流も良かった。19対1である。こちらから話しかけねば始まらない。バスに最初乗った時、添乗員の挨拶に続いてマイクを渡してもらって挨拶ができた。これでかなり気兼ねがなくなった。迷惑がられないように控えめにしたつもりだが、孤独を感じることは全くなかった。
4)午後9時を過ぎても明るいのにはずっと戸惑っていた。午後6時頃かなと思うともう8時を過ぎている。今は1時間繰り上がっている夏時間だからよりそうなのだろう。帰国してインターネットで調べてみると夏時間を採用している国は世界で約80カ国あるという。日本でも時折話題になるが、まもなく消えている。夏時間の目的とするところは仕事後の時間の活用と省エネにあるらしい。省エネが重要なテーマになっている現在、世界でこれだけ用いられている制度ならもう少し真剣な検討があっても良いと思う。
5)今回も行程はきつかった。ホテルに落ち着くのが夜12時前後が5日の内3日、朝の出発も7時台が3日あった。初日家を出てホテルに入るまでに43時間を要している。飛行機やバスの中でウトウトしているといっても辛いものがある。結果オーライだっただけに妻をもう少し強引に誘った方が良かった気もするが、これだけきつい行程だったことを思うと連れてこなくて良かったとも思う。一時体調を崩す人が3人あった。理由は知らないが、疲れが一因と言うことはあろう。妻を同行するならもう少し余裕のあるコースを選ばねばなるまい。バス移動時間が少ないことも大切であろう。こまめに下車して観光したい気がする。今回のロマンチック街道でも300km近くをただ走るのではなく、1、2カ所でも降りて見学したかった。あれでは現地ガイドさんが冗談に言ったネルチック街道である。と言っても外国旅行は時差もありどうしてもきついものになる。それだけに若ければ若いほどいい、得た知識も有効に活用されるだろう。
6)と言いながら、今回81歳の女性の方が参加されていた。きつい階段等もあったが、全行程無事にこなされた。こういう人を見ると私の先はまだ長い。体力、健康に気をつけ少しでも多くの旅行をしたいものだ。
天候の良さに不満は忘却へ
気遣いを確かに感じた添乗員
夏時間戸惑ったまま旅を終え
行程のきつさ覚える帰国後に
何はあれ結果オーライで気分良し
終えてみてますます募る異国の旅
(平成23年6月28日)
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