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イ タ リ ア  旅   

 多くの人にとって旅行は大きな魅力、楽しみである。我が夫婦も旅行を究極の楽しみほどに思ってきた。しかし、老母の健康状態に思うに任せない。と言ってもいつまで続く分からない介護に、機会を捉えて近いところには出かけていた。車の運転が苦手な私はほとんどが旅行社の団体旅行である。申し込んでいても、母の様態で何度もキャンセルした。
しかし、その老母も今年6月、満95歳の誕生日を迎えてまもなく老衰により亡くなった。妻の両親も含めて4人の親を看取り、次に気になるのは自分達の健康である。だが今のところは問題はない。行けるときに行っておこうと、いろいろ検討の結果、11月2日からの「充実のイタリア8日間」という催しに申し込んだ。妻と8日間も旅行するのは新婚旅行や国内旅行も含めて始めてのことである。イタリアを選んだ最大の理由は「ローマ人の物語」を読んでいることにある。その他イタリアに関する本も買って旅行に備えた。


 10月に入って風邪気味になっていた。旅行を控え体調管理に気を配らねばならぬ所ながら、、長期に家を空けることから、逆に畑仕事などに精を出した。旅行日近くになって咳がひどくなっている。外国で症状が悪くなったらそれこそ大ごとである。出発前日の11月1日、会社から帰った後、薬でももらっておこうと近くの病院に出かけた。状況を話したところ「念のためにレントゲンを撮りましょう」と言われる。そして「軽い肺炎ですよ、CTも撮りましょう」と言うことで撮ってみれば「やはり肺炎です」と言われる。妻に電話をすると「キャンセルしようか」と言う言葉が出る。医師も外国旅行だけに簡単にいいでしょうとも言えない。本人は咳が出るくらいで特に体の不調を感じていない。やっと可能となった外国旅行である。事情などを話し「奥さんが一緒ならマアいいでしょう。無理しないように、休養しながら行ってきてください」と言う言葉と沢山の薬を出してもらった。

 さて、不安を抱えて出発日の11月2日を迎える。中部国際空港に7時集合ということで、4時半に起床、5時半に車で家を出る。岩倉駅から名鉄有料特急で空港に向かう。中部空港からイタリアへの直行便はなく、便利なものでもヘルシンキ等を経てイタリアへ入るものである。ところが我々に来たのは成田空港、ミュンヘン空港を経てイタリアのミラノに入るものである。成田まで行く時間とその待ち時間が余分にかかるのである。この分で4時間を要した。結局ミラノのホテルに入ったのは同日の夜12時近くであった。時差が8時間あるので、自宅を出てから26時間を要していた。我々の一行は31名の大人数、女性の添乗員が中部空港から付いていた。

 第2日目、いよいよイタリアの見学である。ホテルで朝食を取り、8時半にバスでホテルを出発する。イタリア内の移動はすべてバスである。まずスフォルツェスコ城に行く。ここから現地のガイドさんもつき案内を受ける。次はミラノの中心部、オペラの殿堂スカラ座の前でバスを降り、1878年完成のショッピングアーケードの元祖と言われるビットリオ・エマヌエレ2世アーケードの見学である。その入り口も立派ならアーケードそのものも立派である。こんな立派なアーケードは見た記憶がない。中央部にドーム天井があり、その下に雄牛のモザイク画がある。その中央部に凹んだ部分があり、そこにかかとをつけて1回転すると幸運がもたらされるという伝説に、自分もやっておく。アーケードを抜けるとドゥオモ広場である。ドゥオモとは大聖堂のことである。ドゥオモが目にはいると「オッオー」と思わず声が出る。後期ゴシック建築の最高峰と言われるだけに全く素晴らしい。1387年に建築にかかり完成までに500年かかったという。135本といわれる尖塔と2245体という彫刻にも目を見張る。イタリアの建築物はほとんどが石造り、凝った造りに日本の建物には思いがつかない。石と木の文化の違いは大きい。聖堂の中もステンドグラスやモザイク画など喚声を上げるばかりである。
 この見学を終え、市内のレストランで昼食を取る。日本のように水は出てこない。ミネラルウォーターを注文する。前菜とメインディッシュ、デザートの3品である。
 ミラノを発って、ベルガモという高台の街を見学した後、ベネチアへ向かう。しかし、先日来の雨で土砂崩れが起こり高速道路の一部が閉鎖されているという。下道を走ることになり、これで3時間ばかり余分にかかった。おかげでベネチアの舟乗り場に着いたのは夜9時頃であった。それから水上バスに乗り、ホテル近くの船着き場へ。歩いてレストランに向かい、ホテルに入ったのは11時過ぎ、寝るのは12時である。これだから外国旅行は体力のある間にしかできないのである。私が最年長だろうと妻が言うので、添乗員に聞いてみたら2番目であった。私はこれから外国旅行だと思っているのにどうなるのだろう。

 第3日目はベネチア観光である。この中心はサン・マルコ広場である。最初行った時には広場の中央部が池になっていた。2度目に行った時は水は引き広場になっていた。潮が上がると池になり、下がると広場になるのである。この時期季節風の影響で高潮が発生して広場全体が冠水し、見学ができないことがあるという。それほどに低く潮の影響を受けるのである。街の至る所に高さ50cm程の仮設渡り廊下のような踏み台が置いてあった。不便であろうが、それでもここに住みたい人は多いという。広場の周りにはサン・マルコ寺院、鐘楼、ドゥカーレ宮殿などがあり、サン・マルコ宮殿には入場した。ベネチアングラスの工房などを見学した後、ゴンドラに1時間ばかり乗る。6人乗りの豪華な船である。昔は貴族の乗り物であったそうだが、今はもっぱら観光客用である。この漕ぎ手はゴンドリエーレといい、花形職業であるという。ゴンドラに乗った後街を自由に散策する。水の都は独特の雰囲気があり、異郷に来た思いを強くする。
 ベネチア観光を終えた後、フィレンツェ近くのプラトーという街へ向かう。今日明日はここで連泊である。この日の移動も約300km、ホテルの入ったのも9時頃である。


 第4日目、最初に行ったのはピサである。誰1人知らない人がないと思われるピサの斜塔があるドゥオモ広場へ行く。ここには大聖堂、礼拝堂などがあり、斜塔は鐘楼である。斜塔は料金を払って上ることができ、半分くらいの人が上った。私は体調を思って止めたのは全く残念なところである。上った人の話によれば、体が斜めになって上るという貴重体験であったようだ。
 次にフィレンツェへ行った。ここの第一の見所は大聖堂であろうが、いくら立派でももう見飽きてきた。もう一つの見所はビーナス誕生や受胎告知のあるウフィッツィ美術館である。入場に空港と全く同じような身体検査を受ける厳重さである。2班に分かれ詳しい説明を受けながら見て回る。目の付け所がよく分かり全くありがたい。

 第5日目はプラトーからローマに向かう。また300kmの移動である。300kmというと名古屋から横浜までの距離である。毎日こんな旅をしている。
 ローマではバチカン市国のサン・ピエトロ寺院とコロッセオをバスから降りて見学する。ホテルに一度入り、夜はトレビの泉に出かける。大変な人出である。人並みに泉にコインを投げ入れる。そして、カンツォーネを聴きながらの夕食である。夜に催しがあったのはこの日だけであった。
 第6日目はポンペイ観光である。ポンペイはローマから約250km、紀元79年のヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれていたが、18世紀に発掘が開始され、現在は主要な部分が有料で一般公開されている。好天の中ゆっくり説明を受けながら見学する。最近テレビでも紹介され、それを見ていたのである程度理解していたが、実際来てみると全く違った感動である。日本でいえば弥生時代、竪穴住居の時代である。その違い大きさ、信じがたいほどの成熟度である。

 この日はその後ナポリを車窓観光し、ローマまで戻ったので500kmの走行距離である。
 第7日目、帰国の日である。ホテルを出る11時まで自由時間である。自分達はコロッセオまで約2kmをゆっくり街を見ながら往復する。歩き始めてまもなく雨が降り出す。こちらへ来て初めての雨である。
 ローマ発14時35分の飛行機に乗り、来たときと全く同じルートを逆に帰る。帰宅できたのは11月9日午後9時であった。


 「川柳連れ連れ草11月号」はこの旅行を題材に句を掲載した。ここにも紹介するが、上記文で理解はして頂けるであろう。
 
   母看取り念願の旅申し込む
   風邪気味で病院へ行く出発前
   肺炎と言われあわてる夫婦像
   事情言い妻同伴で許される
           二十六時間耐えて疲れてミラノ着
           ゆとり買うゆとりのなさのエコノミークラス
           スカラ座の前で聞き入るダビンチ像
           完成に五百年かけた大聖堂
               観光で沈下を防ぐベニスの地
               豪勢なゴンドラに揺れ殿気分
               日に何度池となる謎のサンマルコ広場
       傾いて人気を増やすピサの斜塔
       騎士像に守られ生きるフィレンツェ
       持ち物の検査を受ける美術館
  イカ墨のパスタを食べた口を見る
  ポンペイを今に残した火山灰
  二千年前のローマに圧倒され
               石と木の文化の違い考える
               イタリアを満喫し無事旅を終え
               好天の日々の幸運持ち帰る


 最後に今回の旅行を箇条書きでまとめてみる。
1)肺炎と言われながらこの旅行を決行してしまったが、この判断がよかったのか、悩むところある。人には無謀といわれた。結果的には良しであったが一つ間違えば大ごとである。キャンセル料で済むことではない。保険には入ってきたが、お金だけの問題ではない。旅行中は咳が強く、そのことにかなり気を遣ったが、それ以上に特に悪くもならず、皆と同じように全行程をこなし、見る物は見て帰国できた。帰って完治するまでかなり長引いたが、これは当然のことであろう。こんな程度で終わったのは大きな幸運である。最大の愚かさは旅行前の行動を慎重にしなかったことである。
2)更に幸運だったのは天候である。我々がイタリアに着く前日までは連日雨で寒かったという。行っている間は毎日が暖かく好天であった。帰国する日に雨になったが、その後また雨が続いたようである。旅行の良し悪しは8割方天候に左右される。これほどの幸運はあろうか。
3)今回世界遺産の@ベネチアとその潟Aフィレンツェ歴史地区Bピサのドゥオモ広場Cローマ歴史地区Dバチカン市国Eナポリ歴史地区Fポンペイ遺跡と、七つを見学した。紀元前後の遺跡からルネッサンス時代まで、日本では見られない豊かな文化に感動の日々であった。石の文化の素晴らしさを知った。立派なドゥオモは食傷するほどに見た。それもあってかベネチアの異国情緒とポンペイの遺跡は心に残った。

4)添乗員が「この旅行で日本の(生活の)良さを実感されるだろう」と最初に言われた。置き引き、スリにはどこでも注意された。日本の治安が悪くなったと言っても比較にならないようだ。飲める水はすべて有料、トイレの多くも有料である。日々頻繁に使うものだけに負担である。成田空港に着いた時、水飲み場を見てホッとした。私には食事も日本の豊かさとは比較にならないと思った。食材の多さ、料理の仕方、彩りの良さ等本当に日本は素晴らしい。
5)成田からミュンヘンまで約13時間かかる。この飛行時間をビジネスクラスにするのか、少し迷うところがあった。ビジネスクラスを勧める知人がいたからである。今回の旅行代金は全食事付き、オプショナルなしで一人18万円である。ビジネスクラスにすると一人22万円の追加料金がいる。8日間の旅行代金より高いのである。結局追加料金なしのエコノミークラスで行った。帰って妻と話した所、我が家としてはあれでよかったろうと言うことになった。我が家はまだまだ体力で勝負できそうだ。
                                (平成22年12月25日)

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