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欄干が語る町物語


 私のウォーキングが、ホームページを作り始めてからいろいろに発展している。それは特に路上観察学なるものを知ったことに始まる。単に歩いて見て回るだけではなく、路上観察学の発想で、歩きながらいろいろな物に焦点を当てて観察、収集するのである。収集といっても写真を撮ることである。松田哲男氏らの路上観察学会は路上から見える看板・張り紙など通常は景観と無関係なもの、また無用なものを観察することであるが、ここは主に有用なものを対象とした。狛犬から始まり、神の使い、手水舎、留め蓋と神社仏閣に関係したものが増えていき、そのうち地方富士、欄干、偉人像と広がっていく。収集を目的に出かけるわけではなく、ウォーキングの途中で偶然見つけたものを収集していくのだから、この収集は一朝一夕にできることではない。
 橋の欄干に注目し始めてもう丸7年になる。集めた橋の数もちょうど70橋になるので、振り返りながら少しまとめることを試みたい。

 橋の上に立つ転落防止用の柵を、私は高欄というと思っていたが、一般には欄干と言うことを偶然知った。このホームページを作るに当たって高欄と話していて「それは何ですか」と問われたのである。それが多くの人でそうであった。そうなると高欄はどうも土木専門用語らしく、私が高欄と言い出したのも大学へ入ってからかもしれない。面白い発見であった。危うく高欄を使うところであったが、無事「欄干が語る町物語」となったのである。
 私は土木技術者としていろいろな橋に携わってきたので、欄干のデザインには大いに興味があった。特徴のある橋は町のシンボルになりうる。橋の欄干のデザインも通行人に及ぼす効果大きい。そのデザインがその地域の特徴を現すものだと更に効果は大きい。しかし、そういったものは探して見つかる程度である。その橋の立地する場所や担当した人の意識によることが大きい。予算のこともあるだろう。

 ではまず見つけた70橋について、どんなものが表現されているか分類してみた。植物を描いたものが25橋と断トツに多い。ほとんどの市町ではその町の花や木を指定している。また、指定していなくても有名なものがある。その花木を描いているのである。桜、梅、藤、紅葉、ツツジなどである。その中でも桜はやはり多い。これだけを見ても桜は日本を代表する花だと実感する。江南市の藤や知立市、刈谷市のカキツバタは市の花であり、東海市の胡蝶蘭は特産品である。メロンや柿、リンゴなどもあり、これらも特産品であろう。

 次に多いのは動物で13橋あった。動物といっても鳥や魚が多く、ヒバリや鴨、鯉や鮭である。これらはその地域に多いということであろうが、生息している地域も多いのである。カワセミは岐阜県清見村で、コハクチョウは滋賀県湖西町で見つけたが、これらはその地域にかなり限定されるだろう。犬山市の鵜は鵜飼によるだろうし、下呂温泉や道後温泉の白鷺は伝説による。奈良では鹿があった。

 武家時代を表すものも多い。分類の仕方によっては動物より多い。お城や武家屋敷、大名行列、大名の家紋などもある。また宿場の様子など浮世絵を活用したものもある。こうした時代的なものはデザインとしても面白い。例を挙げると、愛知県の犬山市や岡崎市ではお城があった。犬山市は国宝犬山城があり、岡崎市では徳川家康の岡崎城である。岐阜県の岐阜市や大垣市では大名行列があった。中山道の大名行列であろう。関ヶ原町では合戦の様子をいろはカルタで現すという凝ったものであった。名古屋市では宮宿が、静岡県では新井宿や由比宿の浮世絵がはめ込まれていた。名古屋の堀川では開削した福島政則の家紋が、岡崎市では徳川家の葵の紋が施されていた。こうしたデザインは地域の歴史を知る格好のものである。ホームページには別立てで「街角の偉人」と題して公園や公共施設に立っている銅像(胸像やレリーフも含む)のページを設けているが、戦国時代から江戸時代初期までの像は非常に多いのである。日本人の戦国武将好きが思い浮かぶ。
 そして地域の代表的な祭りや行事である。愛知県の半田市や常滑市では山車が、一宮市では七夕祭り、犬山市では獅子舞があった。遠くでは柳川市の川下り、石川県七尾市の青柏祭を表したものがあった。
 その他その町の風景や建物がある。変わったものでは愛知県半田市で、その町出身の新美南吉の童話を表したもの、その隣の東浦町では郷土の言い伝えを表したものがあった。いずれにしろ、そのデザインは地域と無関係ではなく、地域の特徴を表しているのである。

 次に造られた年代に注目したら、年代の分かっている53橋の内30橋が平成元年からの10年間のものであった。昭和30年代5橋、昭和40年代5橋もあったが、これだけ偏っているのにはびっくりした。失われた10年といわれるが、それは平成3年(1991年)からの10年をいい、この時代と一致してしまうのである。デザインを施せば、一般には費用がかさむ。予算が少なくなってそうした橋も少なくなるのなら理解ができるが、全く逆なのはなぜだろう。デザインの有効性が認められた、というのなら嬉しいが、私にそれは信じがたい。数少ない橋のたまたまの偶然なのか、もう少し収集したらまた分析してみたいと思う。

 ウォーキングや観光の途中で見つけた橋をピックアップする程度の探求心である。探求心というより遊び心である。でも自分がインターネットで調べた範囲では欄干に焦点を当てたホームページは見つけられなかった。それだけに貴重なテーマと思って続けていきたい。
 同じようなものに橋の4隅に立っている親柱があるが、これも地域性を表すデザインを施したものは多い。しかし、これは多すぎて、これを集め始めたらウォーキングや観光どころではなくなる。ウォーキングの副産物の姿勢は当分そのままにして続けたい。 
                              (平成22年2月23日)


川柳&ウォーク